ここだけ工業化(大英帝国物語⑨)

人類の転換期

ちょうどアメリカでは独立戦争が起きている頃,ちょうど日本では暴れん坊将軍徳川吉宗が脳卒中で死亡した頃,そんな頃にイギリスでは世界を一変させる出来事が起きていた。それは「機械をつかって製品を大量生産する」というシステムを開発したことだった。このスゴい出来事を「工業化(産業革命)」という。

工業化ってなに?

工業化とは「工場で製品を大量につくれるようになったこと」をいう。いまでは当たり前のようにいろんな工場で製品がつくられているが,工業化まではそんな工場はなく,製品というのはみんなお手製で味のあるものだった。そして,お手製ではつくれる製品の数に限りがでてくる。その制約をぶっ壊したのが工業化だ。では,なにもないところからこのシステムは生まれたのか。なぜイギリスで生まれたのか。こんな疑問がでてくる。

なぜイギリスで?

イギリスには工場を建てるだけの「お金」がいて,工場で働けるだけの「人」がいて,工場で製品をつくるための新しい「技術」が発明されていた。だからイギリスで工業化は起こった。

お金は植民地から

お金は植民地から得た。エリザベス1世の頃から徐々に世界を旅しはじめたイギリスはだんだん海外の植民地を獲得し,そこでの貿易や大農園の経営することによって貿易商人や経営者はお金がどんどん富を獲得していった。さらにフランスとの植民地戦争に勝って黒人奴隷貿易権を手に入れる(1715)と,この動きは加速した。

人口は穀物から

同時にイギリスでは人口が増えていた。

1600;460万人
1700;580万人
1800;910万人

オランダから輸入されたカブやクローバーによってイギリスの農業は新しいスタイル(ノーフォーク農法)に変わった。これらを植えることで今までは毎年殺すしかなかった家畜の牛や羊を来年以降も育てることができつようになり,穀物の生産と家畜の飼育を組み合わせることができるようになった。そしてこれをきっかけに農業のやり方もそれまでのバラバラなやり方から大規模かつ効率的なやり方(第2次囲い込み)に変わっていったことで食料が増え,それによってイギリスの人口増加が可能となっていたといわれている。そこでは,資本家である経営者と労働者である農民が必要となり,代わりに自営で農業をしていた農民は没落していった。

技術は鉄から

蒸気機関の発明によって鉄道や蒸気船が生まれ,輸送力が格段に向上した。スエズ運河(1869)は帆船では通れない。蒸気機関ははじめイギリスの石炭鉱山の排水を処理するためのものとして実用化された(1712)が,この時のものは相当効率が悪かった。しかし,この排水処理機がどんどん改良されてワットがニュータイプをリリースした頃(1769)には結構効率化が進んだことで,鉄工業よりも先に水力を使ってすでに工業化していた綿工業にも取り入れられた。

なぜ石炭だったのか。

イギリスでは兵器製造をきっかけにした製鉄業で木材を大量に使っていたために,森林破壊によって国内の木が慢性的に不足していた。そんな木材の代わりの燃料としてして目をつけられたのが国内にたくさんあった「石炭」だった。石炭は木材の代わりとしてどんどん使われていった。しかし,そのままの石炭では鉄づくりに使うことだけはできなかった。それを改善したのが「コークス(1735)」だった。

コークスは石炭を蒸し焼きにすることでつくられるが,石炭をこのコークスにすることによってより高温で燃焼させることができ,製鉄にも使えるようになった。そうして石炭は重宝されるようになり,たくさん採れる石炭は蒸気機関の燃料にも使われていった。ロンドンで開かれた第1回万国博覧会ではその圧倒的な技術力をみせつけ世界の度肝を抜いた(しかし,20年もするとアメリカやドイツとの差は縮まった)。

その効果

そういうわけでイギリスの工業化は進んでいったが,その過程では社会のいろんことが一気に変わっていった。大量に製品がつくられることで大量に消費する社会が生まれた。労働の価値は成果物ではなく時間となった。労働力が外国から流入してきて移民が増えた。都市が発展し,人口が集中した。労働者階級が爆発的に増えたことによって産業資本家の発言力が高まった。女性も農家ではなく都市に住むようになり社会進出していった。その都市の脇でスラム街が発生し,犯罪者たちはオーストラリアなどに流された。いまの時代はこのイギリス工業化の延長線上で流れている。

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