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精神科病院転院支援(19人目のAさん)

Aさんは65歳、男性。
10年前に離婚してその後は一人暮らし。
アパートの部屋で倒れていたところを家主が見つけ、救急車で当院入院となりました。
着の身着のまま。無保険の状態。
医療費とこれからの生活のため本人と面談し、生活保護申請。

今までの生活のことなど聞いていると何か変。
明らかに精神疾患が疑われました。
家主さんから保健所にも相談があったようで、ちょうど保健所が訪問に行く予定だったらしいとのこと。
また以前生活保護申請の相談が家主からあり、担当者が訪問面接していることもわかりました。
しかしそのときは本人の意思が確認できず、面接のみだけで終わっていたようです。

今回の入院は栄養失調。
本人曰く3ヶ月何も食べていないとのこと。
理由を聞くと「修行の身だから」。
入院して3度の食事をとると見る間に元気になり、退院できる状態になりました。
生活保護も無事決定しました。
日常的なサポートが必要だろうと介護保険を申請し、要支援の認定もでました。
いろいろ話もできるようになり、昔のことも話してくれるのですが、全くつながりません。
旧帝大法学部卒業、弁護士を目指していたようで、司法試験も何回か受けたらしいです。
話す内容はかみ合いませんが、さすがに時折専門的な法律用語や解釈が出てきます。
退院に向け地域包括支援センター、保健所、生活保護課と連絡をとり準備を進めました。
しかし生活保護課の担当者はあの部屋で生活できるんですか?と懐疑的。
すごいゴミ屋敷らしいのです。
退院前に住環境を見ておきたかったので、着替えを取りに行くこともかねて自宅訪問しました。
地域包括支援センターにも連絡すると、担当者も是非見ておきたいとのことでした。

部屋を見てなるほど・・・。
いままでゴミ屋敷をいくつか見てきましたが、ここもなかなかのもの。
玄関入り口からゴミ(本人には大事なもの)があふれ、足の踏み場もないとはまさにこのこと。
着替えを探しましたが、着替えられるものはありませんでした。
本や雑誌が束ねられて、そこかしこに積まれていてかなりの勉強家だったことも分かりました。
Aさんが家に帰るにはまずこの環境を何とかしないといけない、ということになり地域包括支援センターとも相談し、とにかく業者に掃除を依頼しました。
しかし、私たちにとってはゴミですが、Aさんにしてみれば大事にとってあるものです。
部屋の片づけ、ゴミ(と私たちが思っているもの)の処分を何度も本人に説明し、やっと了承してもらいました。

当日はAさん立ち会いの下、病院からは担当看護師も勉強(?)のために手伝ってもらいました
床が見えたのは何年ぶりだろう、という感じ。
あまりに捨てるものが多かったので1回では終わらず、日をおいてさらに掃除の段取りをくみました。
ところがその後からAさんの様子がおかしくなりました。
話は入院当初からかみ合わなかったのですが、さらにかみ合わなくなってきました。
今後の具体的な話をしても、日本が戦争に負けたのは・・・やら民法の改正は・・・とか、とにかく会話にならないのです。
主治医と当院にパートにきている精神科医師と相談し、一度精神科で診断してもらうのが望ましい、という話になりました。
しかしこれを納得させるのがまた難しい。
主治医から説明したのですが、Aさんは何故自分が精神科受診に行かないといけないのか全く納得していません。
半ば強引に受診をすすめ、翌日私が同行することになりました。

当日の朝、思った通り何故いかないといけないのかと納得できないAさん。
いろいろ説明するも納得してくれず、しかし何故か外に車を待たせています、の一言で「そうか」と腰を上げ、すたすたと1階に降りてくれました。
車に乗ってからは調子よく、脈絡のない話を続け、精神科病院についても機嫌良好。
診てくれた医師も、始めは真剣に話を聞いていましたが、途中でこれは・・・という表情。
すぐにしばらく入院しましょうと説明してくれました。
しばらく抵抗したAさんでしたが、男性看護師2人が連れて行ってくれました。
まさかすぐ入院できると思っていなかったので、この展開には思わずほっと一安心。
病院に戻って関わっていただいた機関に連絡。
みんな同じ思いでした。
精神疾患の人は一般病院では適切な対応が十分できません。
Aさんは栄養失調という入院必要状態が改善した後は社会的入院に近い入院。
入院を機にいかに今後の生活を立て直すかが大きな課題でした。
いろんな窓口に相談し、関わってもらうことで立て直しの基盤もできました。
結局精神科病院入院となりましたが、退院時にはみんなまた関わりますといってくれていました。
今度の退院支援は精神科病院の相談員が中心に行うことになります。
まさに多職種連携です。

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