見出し画像

食べる

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす

自分や家族の手料理でも、お店で売っているサンドイッチでも、つくった人の心がこもったものを、おいしく食べたい。食べるということに対して、きちんと感謝したい。それ以外のものは、ほとんど毒に近いんじゃないかと思います。忙しさを口実に、いつも機械でつくられたものばかり食べていたら、大人も子どもも不幸になってしまう気すらします。

──松浦弥太郎『今日もていねいに。』(PHP文庫)

 以前、牛丼チェーンの吉野家が「牛丼を三ヶ月食べ続けても健康に問題はないか」という実験をしたことがあった。その結果は、「一日一回、吉野家の牛丼の具を通常の食事として三ヶ月食べても、コレステロール、中性脂肪に悪影響はなかった」というものだった。
 自社の食事の安全性をアピールしたかったのだろうが、私は経験したことがある。仕事が忙しくて毎日終電で帰っていた頃、夜中に開いている店がコンビニと松屋しかなく、毎晩松屋の牛丼を食べていた。すると、ある日突然耐えがたい腹痛に襲われ、病院に運び込まれたのである。
 まあ、普通に考えれば、毎日毎日同じものばかり食べ続けて、体が大丈夫なわけがない。吉野家の実験は三ヶ月は健康に問題なかったと言っているが、もっと注意深く結果を読んだ方がいい。私の場合、どこかで体がシグナルを発していたはずなのだが、意識がそれを無視し続けていたのである。その結果が病院送り。
 最近は人が握ったおにぎりが食べられないという人もいるが、私は基本的に自分が作ったり、作った人の顔が見える食事しか食べない。コンビニ弁当とか、スーパーのお惣菜とか、そういうものは一切食べない。これは意識して食べないのではない。体の声に耳を傾けるようにしたら、不味くて食えなくなったのである。私は別に美食家ではない。店で食事をして味に文句をつけたことは一度もない。けれど、機械が作ったような料理というのは、体がもう受け付けないのである。
 私の元同僚で、料理は一切しない、食事はカップラーメンのみという人がいた。私が勤めている間にその人が倒れたことはなかったが、だからと言ってそれでいいのか。食事は生物として欠かせない行為であり、人間に特有な文化であり、人生のうちのいくばくかの時間でもある。「別に、美味しけりゃ何でもいいじゃん。」本当にそう思いますか? インスタントな食事ばかり食べて、それで果たして人間はハッピーなんだろうか。
(二〇二一年九月)


養老先生に貢ぐので、面白いと思ったらサポートしてください!