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単純な真理よりも複雑な事実

【書評】『神は詳細に宿る』養老孟司=著/青土社

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす

 養老孟司待望の新刊である。しかも、出版社はかつて『唯脳論』を上梓した青土社。いやが上にも期待が高まるではないか。題名はアビ・ワールブルクの「わが愛する真理の神は、一つ一つの細部に宿りたまう」という言葉を想起させるが、なんとも養老先生らしい。
 養老先生の名言に、「真理は単純を好むが、事実は複雑を好む」という言葉がある。たしかに真理はいつだっていたって単純だが、でも事実は複雑ですよ、と心のなかで言い返す養老先生が目に浮かぶ。養老先生は、単純な真理よりも、複雑な事実を愛する人なのだ。
 科学は事実と事実のあいだに共通性を見いだし、抽象化しようとする。そして、抽象化された事実は、さらに別の事実と抽象化され、より抽象化された概念へと帰納される。諸事実は系統樹をさかのぼるように抽象化を繰り返し、その頂点にいたって究極の普遍的真理となる。科学者はみな、それを目指している。
 この真理は、キリスト教の神と同義である。究極の真理への信仰と、神への信仰は同じことである。科学という名の神を信じるか、それとも単に神を信じると表明するか、それだけの違いに過ぎない。したがって、西洋科学と一神教はコインの表裏である。
 この真理と事実の問題は、どちらが正しいとか、優劣の問題ではない。ただ、現代人はやや概念に傾きすぎる。養老先生はゾウムシの研究家でもあるが、普通の人はヒゲボソゾウムシを見ても、「そういう名前の虫なんですね」で満足してしまう。もっとひどい場合、「なんだ、虫か」で終わり。
 たしかに、これはヒゲボソゾウムシであるという知識は、ある種の有用性には違いない。しかし、それは単なる知識であり、事物を本当に知っているのとは異なる。そこからこぼれているのは、手足の動き方であったり、表面の感じであったり、彼らの発する音や匂いだったりする。そうしたディテール(詳細)を知ることが、事物を本当に知ることである。つまり、「神は詳細に宿る」。
 現代はインターネットとスマホでなんでも知ることができる時代である。だから、いまの人は知識だけは事欠かない。しかも、その事実は有用か否かという尺度でのみ測られた知識である。そうした知識を積み上げていけば、やがて普遍的な真理にたどり着く。そう信じるのは勝手である。しかし、ほかならぬわれわれ人間自身が、有用性という尺度では測れないことを忘れてはならない。
(二〇一九年一月)

𝐶𝑜𝑣𝑒𝑟 𝐷𝑒𝑠𝑖𝑔𝑛 𝑏𝑦 𝑦𝑜𝑟𝑜𝑚𝑎𝑛𝑖𝑎𝑥

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