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僕がゲームをeスポーツにしたい理由。

こんにちは、よろずです。

今の日本におけるeスポーツの現状を考えると、夢を見ている様な気持ちになります。

金であれ、単なる興味であれ、ゲームに対する関心は年々高まるばかりで、もう「盛り上げる」なんて言葉は戯言で、「盛り上がっている」が適した言葉になりつつありますね。

ただそんな中で、eスポーツとゲームの判断基準は明確にあるのだろうかと思うことが多々あります。

eスポーツという名前を使っただけのゲーム体験コーナーなんて本当に意味が分かりません。

ただそれでも、僕は対戦ゲームをどうしても、eスポーツに“したい”のです。

ゲームを“好き”にしてくれた。

ずっとゲームが好きというよりは「楽しい」という感情がずっと僕の中にありました。

その楽しさにずっと依存していて、物事を「楽しい」か「楽しくないか」の二つに分けて生きていたと思います。

楽しいからゲームに時間を割いて、楽しくないから勉強はしていませんでした。

常に今から逃げていた感覚があったし、勉強をしなくちゃいけないという思いも強くありました。

だから、今の逃げ道を作ってくれるゲームを“好きになってはいけない”と思っていたし、そんなゲームに逃げる自分も好きになれませんでした。

そんな中で、eスポーツと呼ばれる競技で、ゲームに真摯に向き合ってるプレイヤーを見た時に、少しも逃げているとは思いませんでした。

自分の中の「頑張る」という言葉の幅が大きく広がった瞬間でした。

それまで自分は、努力するものといえば勉強やスポーツのみに限られていて、頑張るものなんてなくて、「頑張らねばならないものしかない」と考えていました。

だから、思春期もあったのか、反抗心で、強制されるものなんかやりたくなかったし、頑張って生きてもいませんでした。

頑張ること、頑張れるものに「選択権」があることを、その時初めて知ったと思います。

そして、僕は初めてゲームを“好き”になれました。

誰かの偏見を壊したい。

僕の原動力、僕がeスポーツという言葉を借りて記事を書く理由はここにあります。

僕はeスポーツに「偏見」を壊されました。
というよりも、eスポーツが偏見を壊してくれました。

ずっとわからなかった問題が解けた時のように、人間は障壁が壊れると、驚くほどに色んなことができるようになるし、色んなことが分かるようになります。

そんな可能性を狭めているものこそが、偏見だと僕は考えています。

自分にとって、1番分かりやすい偏見の例こそが、「ゲーム」だったと思います。

ゲームばっかりしていると馬鹿になる。
ゲームばっかりしていると暴力的になる。

「ゲーム“ばっかり”していると論」こそが僕の行動の目の前に現れて、自分の行手を阻む1番の存在でした。

僕はeスポーツのおかげでその敵を倒すことができたので、前に少しずつ進むことができているのかなと思っているのですが、そうでない人もたくさんいることを、高校3年生になって、受験生になって気付きました。

志望理由書はこういうものでなければいけないとか、夢はこうでなければいけない。仕事は安定したものじゃなきゃダメとする様々な個人の中に潜む壁を、たくさん目にしました。

勉強、テスト、受験。
はたまた親、親戚、友達。

何が彼らの壁を築き上げたのかは僕に知る由もないのですが、そんなもので本来平等に与えられた可能性を消されていると思うと、悲しいというか、納得がいかないというか、なんだかとっても悔しい気持ちになりました。

そして、そんな誰かの「可能性」を救いたいがために、僕は今こうやって記事を書いているのです。

人間の数だけ、偏見があると思います。

僕は全ての偏見を壊せません。
つまり、全ての可能性を救うことはできません。

ただ、eスポーツに興味を持っていて、何処かからこの記事を見つけて読んでくれた人の中のほんの一部の人の考え方ならば、少しでも変えられるのではないかと考えています。

だからたくさん記事を書いて、色んな人に読んでもらって、ちょっとでも変わってくれた人がnoteでもなんでも自分を発信してくれたら、色んな可能性が生まれるのではないかと期待を抱いているのです。

ゲームをeスポーツにしたい理由。

タイトルの意味が良く伝わってなかったかもしれません。

ここまで書いておいてなんですが、ここではゲームは「娯楽」として、eスポーツは「競技」として見てほしいです。

ゲームは楽しくて、デザインやシナリオなどに限らず、様々なドラマを通して我々に知恵を教えてくれる、日本が誇るべき文化です。

自分はゲームを愛しています。
どちらが優れているなんてありません。

その上で話を進めたいと思うのですが、よく知らない人、判断基準を持たない人たちに向けて、ゲームで遊ぶこととeスポーツを同じに考えてほしくないというのが、タイトルの意味です。

時々「ゲームはもう遊びじゃないから」という言葉をYouTubeのコメント欄なんかで見るのですが、それも少し違うような気がしていて。

「遊びであるゲームに努力すること」にeスポーツの意義があると思っています。

勉強もスポーツも、もはや頑張るのが当然で、頑張らないといけないものとして見られているように思います。

eスポーツが頑張らなければいけないものになってしまうと、個人的に考えている良さが無くなってしまうような気がしています。

だから、自分がゲームを頑張っているのであれば、eスポーツという単語を使ってほしいし、そういう意味合いがあるのだと、認知されたいです。



eスポーツがより広まって、日本全体に柔軟性が生まれればいいなと考えています。

さっきも少し書きましたが、eスポーツに輪郭が形成されてきたら、良さは無くなってしまうと思っていて。

「パズドラはeスポーツじゃない」とか、
「LoLこそがeスポーツだ」とかいう話は違うなっていうのが正直なところで、様々なゲームがeスポーツになれるチャンスを持っているからこそ、色んな人が脚光を浴びられると思います。

契約上の問題はあるものの、実力が比例していないからと言ってプロを批判していいわけでは無いと思うし、本来頑張るものではなかったゲームという世界で頑張っている人間を応援できる世界にしたいというのが、僕の夢の一部でもあります。

そして。

一概に物事をああだこうだと決めつけないで、全てに疑問を抱いて、自分なりに答えを導き出していくのが大切なのでは無いかと思います。

人間いつまでも発展途上やで。

先進になった気になって、上部から物を言うのではなくて、常に発展するために考えながら生きていくことが、今の日本において、大切なのではないでしょうか。

自分なりのeスポーツを生きましょう。



ここまで読んでいただいてありがとうございました。
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