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コーヒー好きの教員が考えた「コーヒーと教育」のとある共通点

ここ最近、とあることがきっかけでこれまでよりもコーヒーとの距離が近くなり、コーヒーについて学びたい欲が湧いてきているじゅんじゅんです。

あることをきっかけにコーヒーと教育には似ているところがあるのではないかと思うようになりました。
そこで、今回の記事ではコーヒーと教育の共通点を私の主観満載でまとめてみようと思います。

1.ボクとコーヒー

元々、大学時代にスタバでバイトをするなど、コーヒーには何かと興味はありました。(バイトしようと思ったのは、ドリンクが無料で飲めることやコーヒー豆がもらえることなど、不純な動機ですが。笑)

それまでは特に好んでコーヒーを飲んでいた訳でもないのですが、当時から兄がバリスタをしていたこともあり、それが「コーヒー」に対して興味をもつきっかけだったのかもしれません。

就職してからもほぼ毎日ハンドドリップで淹れたりするくらいには日常に溶け込んでいたですが、最近は豆の特徴について深ぼって調べてみたり、淹れ方について一歩踏み込んで、いろいろと試してみたりしています。

2.コーヒーに対する意識を変えた言葉

そんなボクがこの記事を書くきっかけとなったのは、とあるコーヒー屋さんの店主との関わりです。
「どうやったら美味しく淹れられますか。」というボクの問いに対して、
「基本はあるかもしれないけど、自分がどう淹れたいかによるんじゃない。
この子は〜だから、私はこう淹れるかな」
という回答が返ってきました。

”この子”という表現でビビっときたのですが、コーヒー豆ごとの個性を最大限に活かそうとする、その方のコーヒーとの関わりは、子どもたちを相手にする教師の関わりと重なるものがありました。

3.見えてくる景色

私たち教員は、子どもたちの個性をできる限り伸ばそうという思いをもって関わっています。目の前の子どもたちに合わせた指導、支援を考えるのですが、それが合ってるのか悩みながら過ごす日々です。

結果的にその関わりが間違っていたかもしれない、それでも「こういう子どもに育ってほしい」という信念をもって関わることが必要です。

コーヒーも一緒で「こういう風に淹れたい」という思いをもって、豆の量、お湯の温度、注ぎ方などといった、様々な変数について考える必要がありそうです

そういったことを考えながら過ごすと、これまでとは見える景色が変わっていきそうです。

4.正解がないからこそ

コーヒーも教育も正解のない世界。
そしてコーヒーも教育も、視野を広げると関わる人がたくさんいます。

その場その場で関わる人たちが、自分は「どういったコーヒー(子ども)になってほしいか」という思いをもって関わること、そのための支援をどう考えるかが重要だとわかりました。

これからも”その子”を理解すること。
そして、様々な支援のあり方を考え続けること。
コーヒーも教育もそんなことを大事にしていきたい
と思った出来事でした。

みなさんは、教育と何かが似ていると感じたことはありますか?
ぜひ、コメントで教えていただけると嬉しいです。
今日も最後までお読みたいだきありがとうございました!


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