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学校での学びは20年後の世界に通用しない?〜『2040教育のミライ』を読んで〜

今回は読書記録の記事となります。
夏休みに自分に課した「読書10冊以上。そのうち3冊は感想を記事にまとめる」という宿題。今日はその1冊目となります。
今回読んだのは、株式会社ソニー・グローバルエデュケーション取締役会長である礒津政明さんが書かれた『2040教育のミライ』です。

友人に勧められたのでその場でメルカリ検索し、速攻ポチったのですが、最近読んだ本の中ではダントツで面白かったので記事にしています。(以下、出版社の内容紹介)

第1章 教育の未来を決める5大当事者
第2章 教育改革は「個別最適化」で加速すえる
第3章 「探究型学習」で先の見えない時代を生き抜く力を身につける
第4章 学校では教えてくれない「プログラミング教育」の本質
第5章 ソニー流「教育×メタバース」の新世界

ソニーグループ気鋭のフューチャリストが描く学びの未来予測!

20年後の世界を考える

2040年というと、今から約20年後の世界となります。
ただでさえ変化の激しい時代。20年後の未来の教育がどのようになっているのかをワクワクさせてくれるとともに、教員である私にとってそのような世界にどうやって適応していくのか、どのような教員生活を送っているのかについて考えさせられる内容となっています。

内容について触れる前に、約20年前の世界(2000年頃)がどうだったのかを考えてみると、プレイステーション2が発売されたり、二千円札が新たに発行されたりと、そんな昔のことだったかぁと懐かしく思わされます。

教育について考えてみると、学校が週5日制になったり(1年生までは土曜授業やってたなぁ…)、総合的な学習の時間が始まったり(6年生のときにお茶のことを調べていたのだけは覚えている)という時代だったことがわかります。

20年もあれば本当に多くのことが変わっていきます。プレイステーションは5まで出ていますし、支払いはキャッシュレスの普及により、現金を持ち歩く必要もほとんどなくなってきています。
教育においても、GIGAスクール構想によって一人一台端末が実現し、いつでもインターネットを通して情報に触れることができます。

本の中では20年後の教育の未来について、
メタバース、Web3、VR、AR、MR、プログラミング的思考、探究学習、PBL、海外進学
といったキーワードをもとに「最先端のデジタル技術を活用して、子どもの個性や特性を最大限に活かす個別最適化された教育」をテーマとして解説されていました。

我々教員はこのような最先端のデジタル技術に触れる機会が少ないように思います。しかし、今目の前にいる子どもたちが大人になった時に暮らす世界では、上のようなキーワードが当たり前で、さらに多くのテクノロジーが生まれていることでしょう。
そんな世界で、どのように生き延びていけばよいのでしょうか。

テクノロジーの進化に取り残される教員

筆者である磯津さんは日本の教員の問題点として、次のようなことを述べています。

各学校内におけるカギとなる教員については、日本では特に公立校の教員の「やる気のなさ」が問題になっています。公務員の宿命として給与や出世などの「インセンティブ」が少ないので、より良い仕事をしようとするモチベーションが生まれにくいのです。(中略)
また、コロナ禍で一気に必要性が高まったデジタルリテラシーについても、教員の知識は、現代社会の一因としてレベルが低すぎると言わざるを得ません。そのため、各校に点在しているリテラシーの高い少数の先生に負担が集中してしまっている状態です。

確かにどれだけ頑張っても給料はほとんど変わらず、分掌によっては業務の偏りがすごく出ていしまいます。私も校内では体育主任をしていますが、「手当くらいついてもいいのでは」と思うくらいには業務が偏っているように思います。

そのような環境では、モチベーションを保ちながら目の前の子どもたちのために日々学び続けようとする教員は限られてくるのも当然だと感じます。(もちろん教員個人の問題だけではなく、時間的な余裕のなさも原因の一つだと思っています。)

そういったモチベーションの側面とともに、デジタルリテラシーの獲得を妨げているのが、学校と社会との間に大きな溝があるからだと思います。
最近では、世間から見た学校がいかに非常識であるかという主張もよく目にするようになりました。社会が加速度的に進んでいっているにも関わらず、学校が変わっていかないことに対する意見だと思います。「ブラック校則」などはその典型的な例だと感じます。

今も学校が一生懸命なのは「目の前の子どもたちに対して教師の言うことを聞かせること。」そこに、最先端のテクノロジーなんて必要ないんですよね。デジタルリテラシーが低いのは当然だと感じています。(教師に対する批判ではなく、自分自身もその一部として)

20年後の教員の役割とは

デジタルリテラシーを高める必要性は分かりましたが、そのほかの求められる役割には、どんなものがあるのでしょうか。

本の中では、求められる学校の在り方を「教員中心の学校から子ども中心の学校へ」と表現されており、「子どもたちが自由に成長していくことができる土壌(環境)と養分(資金)を提供し、必要に応じて添え木(関わり)をしてあげる場」であるべきと捉えています。

自ずと教員の役割も「環境を整える」や「必要に応じた関わり」といったキーワードでまとめられそうです。
とすると、やはり教育は教え込むものではなく、Educationの語源とも言われるように「外側へ導く」、「潜在するものを引き出す」といった行為に立ち返っていくべきだと感じています。

子どもたちの20年後の幸せを考える

教員として子どもたちに関われるのは基本的にその1年間だけです。もちろん目の前にいる子どもたちが毎日楽しく学校に来て生活をしているか、それが一番大切なことだと思います。
だけど、その関わりの中にどれだけ20年後の未来の姿を思い浮かべることができるか、今の幸せだけでなく未来の幸せを考えることが、本当にその子たちにとって大事なことではないかと感じました。

小学校の実習先で本当に幸せそうな子どもたちと過ごした1ヶ月。数年後に中学校の校内問題で当時のクラスの子どもたちの名前を耳にしました。(その子たちにとっては、今の幸せがそれなんだ。と言われてしまえばそこまでですが。)
1ヶ月だけの関わりですが、なんだか寂しくなる気持ち。教員として人生の一部しか関わらないということの限界も感じました。

「その子のどこかで、自分の伝えたことが残っていてほしい」だなんて、そんなのただのエゴの塊かもしれませんが、これからも目の前の子どもたちの未来の幸せを願って関わり続けたいと思います。


最後になりましたが、この本を読んでワクワクするともに、教員としての危機感も感じました。

「いつまでも学び続ける」

言葉では簡単ですが、それを体現できる教員でありたいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。
皆さんのオススメの本など紹介していただけると嬉しいです。

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