プロの仕事
先日、記事を公開しましたがスムーズに掲載されませんでした。それにヘソを曲げてしまうほど大人ではないのですが、モヤモヤとイライラの中で書いて、書くことで何かを落ち着かせようとすがったせいか、その結果を手にできなかったことで、プチッと生命線が切れてしまいました。
コメカミの血管が切れるとか、一縷の望みが絶たれたというよりは、外的要因により「逃避」をやめる決断をする感じ、逃げるための糸がプチッと切れる感じです。そういう時は、やるべきことに集中した方がいいときなのでしょうね。
その下書きに戻した記事に詳しく書いたのですが、要は、ここのところ私は、引っ越しせずに引っ越しをするようなことをしていました。
いちど部屋を空にして片付ける方法
簡単に多めに書くと、夏から始めた片付けが冬間近になって頓挫したままだったけれど、スペースに預けた家財一部が中途半端になってしまったので預け先に相談したところ、費用をある程度かけていちど部屋を空にすることを勧められ、そうすることにしたのです。
それで、先日、半日かけて荷物を全部出して家具の移動を実行し、預けるものは預け、残すものは残し、現在は残ったものを整理している最中といったところです。預けたものは、お正月を挟んで、来年戻ってきます。
残ったものも結構あって、前よりマシですが大変です。今更ながら、こんなにモノがあることに愕然。ただ、以前の、モノで身動きが取れない心理状態とは違い、実働して片付けられます。これが順調に進めば進むほど、お正月は空きスペースありありで過ごせそうです。カニしゃぶをみんなで囲めます。
プロの運送屋さん
さて、この時に出会ったプロの運送屋さんと言っていいのでしょうか、その方に私は痛く感動してしまいました。久しぶりに、長年仕事をしっかりしているタイプの、人生の先輩に出会いました。
事前に見積もりに来ていただいた、俳優倫也風の営業のお兄さんも「いちど空にした方が絶対にいい」と決め台詞を心に刺してくれるようなプロでしたが、実際に部屋を空にしに来てくれた熟練の運送屋さんも一挙手一投足が徹頭徹尾プロ。で、私はお金で何を買ったのかを、再確認してしまうような気分になりました。
誰に頼むか、何を頼むか
なぜかこの日、自分が、プロとして仕事をしていた頃を思い出していました。そうだ、これだ。これが大事なんだと思ったので、書いておこうと思うのです。
そのプロの運送屋さんは、とても小柄で押しのソフトな人。荒々しい、汗臭い、肉感的なステレオタイプとは真逆です。大きい荷物が持てなかったり、高い所にあるものを取れないことが、これまで幾度もあっただろうなと思わせる感じの方でした。
事前に見積もりに来た営業のお兄さんは、確かこんなことを言っていました。
便利屋さんを頼まれたなら、半額くらいでやってくれるところもあるかもしれません
私も、金額を聞いた瞬間、まさにそう思ったところでした。以前は引っ越しを、オリンピックかというぐらいのスパンで何度もしてまして、業者を見つけて交渉するのは私の担当でした。なぜなら、言い出しっぺの責任だったからです。
お兄さんのいう「便利屋さん」という言葉には、「その道のプロではない方」という意味が含まれていることを、私はなんとなく受け取っていました。いろいろ出来る方が便利な時もあるかもしれないけれど、プロにはプロのやり方がありますからっていうニュアンスを嗅ぎ取っていました。そりゃそうですとも!と激しく同意したわけなのですが、費用が予算外だったので、頭を抱えるほど悩んで、質問しつつ交渉しつつ、時間稼ぎをして、最後は依頼。見積もりの日に、荷物の引出しと戻しの日程を即決しました。
プロの仕事はさりげなかった
もう営業トークは実践済みでよく知っている。ので、乗せられたのかもしれないけれど、それでも前へ進むなら今しかない。と、時間を買ったつもりで依頼を決断しました。そして、信じるものとして私は救われたのです。
その道のプロの仕事は、さりげなくて、丁寧。で、よく考え抜かれているというか知り尽くした視点があって、その語り口は強い。なのに、とても謙虚でした。どこに何を置くかを聴聞したあと提案をくれ、その都度、考える時間をくれるので、押し付けられた感じが一切しません。そして、最後に
次にまた伺いますが、その時までにレイアウトの変更があれば、再度ご相談ください
いま置いたばかりの重いタンスを、移動し直しても構わないと言ってくれました。自信があるからこそやり直しにも応じるのです。普通は、時間が過ぎてやることやったら終わらせるでしょう。私は後から文句や無理難題をいうタイプのお客ではありません。だからこそ私にとって、これはとても嬉しい姿勢でした。通り過ぎる人に、通り過ぎるからいいやとすれば、本当に通り過ぎるだけで終わりです。それは薄利多売の商売と同じ。それはそれですよね。
残してくれたアドバイスの余韻で、私は今もあー言ってたなとかこう言ってたなと思い出しながら、今も片付けています。余韻を楽しめるなんて、思ってもいませんでした。
また詳しく書けるときに、続きを書けたらと思います。