学費とアルバイトと働くことと

学生時代にアルバイトをしましたか?

私は18歳から。
高校時代は禁止でしたし、学校生活でめいっぱい。余力がゼロでした。大学受験を機に、学費を自分で賄うことになったのでアルバイト生活がスタート。

この記事で触れた内容です。

今日はその続きを。

両親は幼児期より共働きだったので、後で気づいて奨学金申請をしても最初通りませんでした。世帯収入で見ると該当外になってしまうのです。その独りだけ困窮していることを、なんとか学生課と交渉して奨学金が通るようになるまでは、私にとってアルバイトは年中必須でした。

さて、学生アルバイトの常連職種は、カフェとかレストラン、コンビニでしょうか。大学生になれば家庭教師とか塾講師など、もっと選択肢は広がっていきます。というか、多様化しますね。見えていなかった仕事に巡り合っていくというか。

そこが分かれ道ですね、きっと。

私はというと、高校を卒業した春、初めてのアルバイトをしようと決めます。そこで、すかさず親から飲食店でのアルバイトを禁止されます。理由はいろいろ聞きましたが、こちらとしては踏んだり蹴ったり。とにかくそうなると、残っているアルバイトって何があるのよ?という感じでした。

思いついたのは、

パン屋
本屋

以上。
本気で稼ごうとしても、こんな発想しかありませんでした。

そのポヤポヤしたとこからスタートして、覚えている就労先は、これ。

デパート:アパレルフロア補助
デパート:贈答品フロア補助
デパート:お中元・お歳暮(短期)
ホテル:エレベーターホール係
巫女(短期)
和菓子屋(短期)

デパートやホテル関連のものが、半年〜年単位の長期アルバイトです。ほぼ紹介で情報誌から応募とかではないです。あと巫女って、よくあるお正月の手伝いですね。

ただ、これでは学費全額とお小遣いをカバーできなかったので、アルバイトに慣れてきた私は、後に、もっと高額収入を狙えるアルバイトにつきます。それが、機器メーカーの営業補助です。

そこは東京のど真ん中にある大きな会社で、知り合いの紹介で働き始めました。もうこれは、はっきり言って社員級。派遣社員登録の人と同じ作業を、時間帯を昼9:00〜17:00ではなく夕方へずらしたり、学校が休みの時は昼も働きました。だいたい2年間くらい雇ってくれました。気分は丁稚です。

あとでわかるのですが、このとき得た価値は、お金より甚大。

実は、この時代、まだそんなにパーソナルコンピュータが家庭に普及していなかったと思うのです。少なくとも我が家にPCはゼロ台。でしたが、会社の机にはDOSパソコンがずらっと、並んでいました。

それを操作して営業補助資料を作成するのが仕事です。キーボードとか触ったことがないのに使いこなさなくてはいけなくて、とにかく周囲の方に学ばせてもらいました。ブラインドタッチになったのが、この時期です。というか、ならないと仕事が終わらなかったと言っていい。

仕事の内容はだいたい、営業から帰ってきて明日提出したい!急務!となった資料を、終電までに作成すること。

依頼した本人が先に帰ってしまうことが多かったと思います。そういう、BtoB顧客からの無理難題をのり超えて、大なり小なり契約を取りにいく営業さんたちの補助は、今でいうインターンよりもおそらく、食い込んだ社会勉強だったと思います。

そうやって急速に社会人化したため、大学では周囲の誰とも話が合わなくなっていきました。もともとそうでなくても、そうだったのに、もっとなりました。

そして、とうとう迎えた大学4年生の春前後。貯金していたので、アルバイトを全てやめ、卒論と進学の準備を始めることになるのです。


接客、販売、営業補助。

その後のアルバイトは、講師業だけになります。教える仕事だけれど、私の根底にあるのは、この接客、販売、営業補助。これらを、学業と両輪で同時期に血肉にしたことが、後々にも大きく影響していきます。

つまり、「机上の空論」という言葉があるけれど、これを実感するのは、多くは卒業して社会に出てからになるはずです。実感して、大学や大学院へ戻って勉強し直したくなる人が出てくる。けれど、私は省エネにというか、学部時代4年間でそれを一気に通り過ぎたのではないかと思っています。だから、学業への思いもそうですが、就労についても周囲と考え方がかなり異なってしまったのでは無いか。でもそれは、全て後になってわかることです。

働くって、いま考えると深いなと思います。大きな時代の節目にいるから、なおさら、いまさら、こうやってじっくり振り返っているのかもしれません。



追記:2021/01/10参考記事添付




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