読書感想『山深き遠野の里の物語せよ』 映画の仕事を通して触れることができる世界
映画の仕事は、携わる作品によって考古学者や歴史学者のように昔の人の暮らしに想いを馳せることがある。
興味がなければ、どのように先祖が生きてきたかなんて考えないだろう。
私も仕事でなければ、この本と出会うことはなかった。
私たちの先祖は、電気もガスも水道も今のようなインフラが整ってない時代に生きていた。そこで誰かが考えて発明して、今のような便利な暮らしができている訳だが、インターネットも車もなく、この物語は‥物語なのか?
昔の日本の一部を知ることができる書籍である。それは昭和生まれの私も衝撃的だった。
現代では都市伝説(都市ではないが)のようでもあり、今流行りの呪物であったり、そんなものが当たり前にあって、信じられていた時代。
『グリーンインフェルノ』くらい同時代にあったら衝撃的であろう世界線。
村のために、犠牲になり。見えないものに恐れ、掟から外れたものはそこから除外され、または蔑まされる。狭い村社会で掟からはみ出てしまうと生き難く、はたまた生きていけなかった時代があった。
そんな中でも現代に通ずるものがある。それは、感情という情緒。それがあるから私たちは進化しているのかもしれない。
いつだったか、縄文時代かの遺体に手向けたであろう花の化石があったとテレビで見たことがある。何万年も前から死を悼むという感情があったのだろうか。
生まれた場所で、そこのルールというものがあり、何の疑いなしに私たちはそれを受け入れている。痛みや悲しみ喜びという感情はそれらとは別に育まれ、感情があることでルールに対して疑問が芽生えたりする。
この掟、おかしくね?て誰かが思って良くしようと先人たちが努力し、時には過ちを犯しながら、今があるのだ。
自分は仕事をしていて、感情を押し殺してしまうことがある。きっとそこには人間性を失ってしまう危険が孕んでいるのだろう。その時は立ち止まって、感情と向き合うべきなのだと思った。
映画の仕事をしていて良き作品は、見ている人の感情に触れることができる。それは、時代も国も飛び越えてしまう。だから、この仕事は辞められない。
純粋な読書感想ではなくなってしまったが、改めて色々気付かされた。
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