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傷つき方だって自由にさせてくれ


どうしても「組織」というものに所属して動いていると、自分が悪くないが誰かを傷つけることというのはある。
もうちょっと具体的に言うと、「自分が全く持って意志決定者じゃない出来事で、誰かが傷つくであろうことがわかりながらただ見ていることしかできない」という様なこと。
そうした場面は何度も経験してきたけど、最近久しぶりにそういうことがあった時に思ったのは、静かにちゃんと傷ついておきたいなということだった。

☆☆☆

負の側面というのは人を浮き彫りにするなと本当に思う。僕は臆病が出る人間だが、「自分だけは」と人を足蹴にしだす人、関わらない様にする人、あろうことか相対的に自分が幸せだから愉快そうにする人、本当に様々だ。そして今回目にしてきた中に、「自分ではどうすることもできなかったし、判断として間違いではないから気にする必要がない」とひたすら話す人、というタイプがいた。

目の当たりにした時の最初の感情は、「なんだか嫌な気持ちになるな」と「ああでも俺もこういう時あるかもな」という二つの感情だった。
嫌いというほどの気持ちにはならず、かといって嫌な気持ちというか、モヤモヤしてしまうくらいには不快な印象、そんなものが自分の胸の中にどうしても浮かんできてしまった。
そして僕は、自分は悲しみたかったんだろうな、と気づいたのである。

☆☆☆

言っていることは別にそっちが正しいのだと思う。僕が悲しもうが楽しもうが結果が何も変わらないことはわかっている。何かできたかと言われれば何もできなかったし、実際それがあながち間違ってない判断であることも頭で理解している。だから、確かに僕が気にしても何もないのだ。それは正しいのだ。
しかも今回傷つくであろう人達と僕は、殆ど関わりのない人達だ。僕が何もできないのに勝手に悲しんでるなんて知ったら、却って怒ってもおかしくない様な距離感の人達だった。なのでつとめてこちらからは何もなく、淡々といることが最善だと思う。なので僕は基本的にそう過ごすことに決めた。

ただ、僕はちゃんと傷つきたかったのだ。それは僕だけの気持ちだった。
自分が悪くなかろうとも、傷つくのがそれほど近しい人達じゃなかったとしても。
その人達が理不尽に辛くなるという事実に関して、僕が勝手に悲しい気持ちになることだって否定されたくなかったのだ。
正しさを理解していたとしても目の前の辛いことに辛い気持ちになる自分を否定されたくなかったし、ちゃんと傷つきたかったのだ。
むしろ、何も感じなくなることが何よりも怖くて嫌なのだ。

嬉しいことと同じくらい、そうした悲しみに傷つくことも一つ一つ、全部大事にしていきたいのだ。それを邪魔しないでくれ。それは僕が大事にしたい僕の生き方なのだ。

☆☆☆

でも、気にする必要がないと聞いてもいないのに勝手に喋る人を見て、それも否定はしたくないなという気持ちにはなっている。
彼もまた、僕と同じ様に辛いからそう喋るんだろうなと思うからだ。

僕が目の前の辛いことに対し、せめてしっかりと傷つきたいと考えることと同じ様に、彼も目の前の辛いことが嫌だから、自分が悪くないと言葉にしないと辛いのだ。
自分の助け方が違うだけで、彼もまた僕と同じ様に傷ついてる人なのだ。
そうであるからこそ、彼にイライラした僕の気持ちも僕は大事にするが、彼がちゃんとそうしたことに傷つける人間であることも同じく大事にしていたいのだ。
(その他本当に何も感じなかったりなんなら喜ぶ人とかは論外。僕はむしろそういう人はめちゃくちゃに許しません。不誠実に対し、僕は酷く極端なくらい激昂するタイプだ。)
彼が自分にできることはなかったと口にすることで自分を救うのであれば、僕はそうした当事者のいないところで静かに気持ちを形にして、すこし寝る時に一人悲しい気持ちになったり、そういうことで自分を救いたいのだ。

☆☆☆

村上春樹はそんなに好きじゃない(というか、読み進められないものが殆どだった)のだけど、高校生の時に読んだ海辺のカフカは酷く感動した。
受験期であまり時間もなかったはずなのだが、読み終わってすぐ読み返して、何度も何度も読み返して、散りばめられた言葉が僕を僕以上に言語化している感覚に襲われて。全く持って村上春樹ファンじゃないのだけど、「海辺のカフカ」ファンではある。人生を思い返してもTOP3に入るくらい衝撃を受けた本だった。

そして未だに、僕が大事にしているのは以下の一節だ。

「(前略)僕が求めているのは、勝ったり負けたりする強さじゃないんです。
外からの力をはねつける壁がほしいわけでもない。
欲しいのは、外からやってくる力を受けて、
それに耐えるための強さです。
不公平さや不運や悲しみや誤解や無理解
−そういうものごとに静かに耐えていくための強さです。」
「それはたぶん、手に入れるのが
いちばんむずかしい種類の強さでしょうね。」
(海辺のカフカ/村上春樹)

何か全体が嫌な気持ちの時くらいは、静かでいれる人間でありたい。
そういう時だけは、感情を出すのを一番最後に出来る人間でいたいのだ。
そのために、幸せを噛み締める時と同じくらい、しっかりと傷つける人間であり続けたい、それも、静かに。


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