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内戦と劣化 - 貧困と教育水準の低下、暴力と呪術

内田樹が、アメリカは建国以来分断が常態の国であり、分断を抱えながら歴史的に成長したのだとツイートしている。この見方には、今回もまたアメリカらしく分断を見事に超克して、アメリカはさらに大きく飛躍するだろうという楽観的な展望が滲んでいる。最近、こうしたアメリカ礼賛論の放射と連発が日本のマスコミで多く、大越健介が毎晩のように絶叫し、NHKの田中正良とその子分も声高に強調している。分断なんて大した問題じゃない、アメリカは常にそれを克服する、アメリカは偉大だというシンプルでプリミティブな説教がシャワーされる。大越健介と田中正良の言説は、CIAに指令された刷り込み任務の遂行だろうと内情を了解できるが、内田樹が同じ誦経を披露するのには閉口させられる。

レジリエンスと内戦

内田樹は、アメリカには分断を克服するレジリエンスがあると言う。ひとまずその認識を一般論として肯定するとして、果たして、今回の分断を解消して統合を回復する姿とは具体的にどのような過程と動態なのだろう。それほど安易な楽観論で描けるのだろうか。前回の内戦とその後の新生アメリカの発展史は、まさしく内田樹の言うレジリエンスの姿だろう。現在の観点から積分的に総括すれば、それはハッピーでサクセスフルな新生と成長の歴史である。だが、そこに微分的に接近視すれば、民間人を含めて70万人以上の犠牲を出した巨大な惨事に他ならない。過酷な戦乱があり、北軍の勝利があり、70万人の犠牲があったから、アメリカは新しい統合を実現して今日を築いた。

内田樹の論理に従えば、レジリエンス再現のために、また大きな内戦をやらないといけないという結論になる。内戦を通じて再び分断を克服するという構図と進行になる。内戦がどれほど悲惨な地獄か、内田樹は分かっているのだろうか。内戦下にあるイエメンやシリアやソマリアで、実際に人々がどれほどの悲劇に直面し、苦難と絶望の中で傷つき嘆き悲しんでいるか、ユーゴやルワンダで何が起きたか、そこに思いを馳せる知性があれば、アメリカのレジリエンスなどと無邪気に楽観論は言えないはずだ。アメリカの内戦の危機は、アメリカでは現実の問題である。暇つぶしのネタではなく、与太話の類ではない。分断とレジリエンスの本来性があるからこそ、アメリカ人は恐怖しているのだ。

20年以上深まり続ける分断

素朴に内田樹に質問を発したいが、内戦を経ることなしに、どうやってアメリカは国家の新生と統合を実現するのだろう。レジリエンスの法則に純粋に従えば、アメリカは内戦するしかないはずだ。内戦によって分断の矛盾を止揚し、一段階高い融合と転生に至る弁証法的発展のプロセスを辿るしかないという必然性になる。すなわち、南北戦争で70万人の犠牲の上に北軍が勝利したように、ブルーステートがレッドステートに軍事的に勝利し、レッドステートを屈服させ、レッドステートの価値観を殲滅一掃し、ブルーステートの価値観に合衆国を一元化するという物語と帰結しかないはずだ。内戦以外に分断を克服する道はあるのか。内田樹に問いたいし、内田樹を信奉する左翼に尋ねたい。

中間選挙の報道の中で、幾つかの接戦州においてはディベートが行われなかったという指摘があり、いつものようにアメリカ民主主義の劣化が言われた。ディベートの質が下がり、選挙戦がカネ集めとネガティブキャンペーン一色に収斂するという状況は、もう20年ほど前から始まっていたように記憶する。ブルーステートとレッドステートの分裂・分割は、ブッシュとゴアが戦った2000年の大統領選時に地図に描かれて解説されていた。ブッシュがやたら聖書の言葉を頻用し、宗教右派の存在感が高まって奇妙な感覚を覚えたのもその頃だ。2008年に黒人のオバマが登場し、分断と劣化は改善に向かうかに見えたが、実際の進行は逆に出て、分断と劣化は年を追うほどに絶望的に悪化している。

知性の劣化と対話の不可能

分断と劣化には相関関係がある。と言うより、問題の本質は知性の劣化の方なのではないか。アメリカの劣化の問題は、グレアム・アリソンの『米中戦争前夜』の中でも言及されていて、指導者含めてアメリカのエリート層が過去と比べて著しく劣化し、その点が中国と戦う上での懸念材料だとグレアムが嘆息していた。8月放送の報道1930で紹介された世論調査が示していたところの、「政治的問題の解決に暴力を使ってもよい」と回答した割合が、民主党・共和党支持者の50代以下男性で40%を超えるという異常な数字には驚かされる。だが、よく考えれば、誹謗中傷のテレビ広告の乱発や、誹謗中傷の応酬だけで埋まるテレビ討論会は、殴り合いの一歩手前というか、市民社会の言論とか討論ではなくて、事実上、暴力のゲームである。

だから、それなら選挙のディベートは中止しようという進行になっても驚くには当らない。これはアメリカだけの問題ではなくて、日本でも同じ状況がある。例えば、しばき隊という札付きの集団があるが、彼らとまともな対話や政治討論ができるだろうか。不可能に決まっている。しばき隊の頭の中には市民社会の議論や討論の概念はない。最初から悪意しかない。挑発と威嚇と恫喝、個人情報晒しと名誉棄損、揚げ足取りと話のスリカエとデマを含む誹謗中傷。それが彼らが「議論」と呼ぶ中身で、あとは揶揄と侮辱と罵倒だけだ。そこに子分どもがリプライで加勢し、リツイートと「いいね」の数を増やして炎上させ、香山リカや有田芳生が拡散し、最後は「論破した」で終わりである。しばき隊はそれを10年やってきて、現在の左翼世界の「議論」の標準プロトコルを確立した。

教育の欠如による理性と倫理の不全

右翼側も同様で、右翼はもともと知性薄弱ではあったが、例えば、西村博之が典型的だ。揶揄と罵倒と侮辱と冷笑。その投げつけが自己目的になっていて、本人の頭の中ではそれが議論であり、論争の勝利という観念になっている。しばき隊と同様、不毛と愚劣そのものであり、人間と社会の劣化と堕落の証明であり、どこにも生産的な要素はない。アメリカの政治社会の異常は決して他人事ではなく、日本の問題である。しばき隊や西村博之のような、アンダーグラウンドな領域だけの事柄ではなく、選挙の政党のテレビ討論も似たような荒廃した情景に変わりつつある。そしてまた、劣化した大衆がその誹謗中傷合戦をショーとして愉しみ、吉本のお笑い芸の延長のように消費している日常がある。悪化の程度は選挙を重ねるほどに進んでいて後戻りできない。

しばき隊を観察していて思うのは、彼らはまともな教育を受けてないという問題だ。幼児的であり、未熟で野蛮であり、本来教育を受けて成長・発達・成熟していなければいけない精神性を獲得し得ていない。必要な理性と倫理の前提がない。人間的ではなく動物的であり、言葉を話せない野犬が、吠えるか飛びかかるか噛みつくしかできず、そうすることによって他者との関係を調整し、自己の目的を達成し、満足と快楽を得ている動物の生態を想起させられる。しばき隊において、言葉は暴力の道具でしかなく、ゴロツキの言葉でしかない。目的は、権勢であり、カネであり、相手を屈服させた下劣な満足感である。右翼の西村博之も同様。理性と倫理のない野獣が、野犬のようにネット空間をうろつき、敵を見つけて言葉の暴力の闘争に耽っている。

フィラデルフィアのケンジントン通り

アメリカは、それが一歩進んだハイレベルな組織的段階に進んでいて、銃武装と民兵団という次元に達している。言葉ではなく暴力で政治せざるを得ないという、厳しい認識と断念が世論調査に吐露されている。Qアノンのような言説と信条が現実の政治の動力となるのは、やはり、そこに教育水準の低さという条件を考えざるを得ない。ウェーバーの言う呪術の世界だ。宗教右派が要求する妊娠中絶禁止が、多数派の政策となるという非合理的倒錯も、やはり「呪術の園」と言うしかなく、その基本には、それを支持する大衆の教育水準の低さがあるからとしか思えない。アメリカの格差と貧困の実態は、われわれの想像以上のものがあり、解消に向かっていない。アメリカ礼賛をマスコミで義務付けられている日本は、その実相を取材して報道しない。

社会成員の全体に教育が行き届かなければ、また、格差拡大によって教育が邪魔されれば、市民社会を構成する主体の理性と倫理は劣化してしまうだろう。2年前の記事で、アメリカ人の寿命が短くなっていて、原因は薬物中毒とアルコール依存症、そして自殺だという指摘があった。最近の報告では、それがコロナ禍によってさらに増えているとある。経済は好調で失業率も低く人手不足のアメリカで、薬物とアルコール依存症が増えている。今年、ネットで注目を惹いた動画の一つに、フィラデルフィアのケンジントン通りを撮影した映像があった。衝撃の実態だが、NHKは紹介しない。オピオイドの過剰摂取による被害は、2年前の大統領選時に大きく報道されていたけれど、どうやら改善されず、NY州での2021年の死亡者が2020年の1.6倍になっている。

合衆国の価値観の否定

最初に戻って、内田樹のアメリカ健全論の見通しだが、何か根本的なところで認識を誤っている感を否めない。内田樹が言う、アメリカの建国以来の分断とは、フェデラリストとリパブリカンの対立と相克を指しているのに違いない。二派の分断と角逐がアメリカ政治の原型であり執拗低音 - basso ostinato - だとする見方は、南北戦争に至る19世紀のホイッグ党と民主党の対立の歴史や、現在の爆発寸前の民主党と共和党の対立に被せて分かりやすい説明だ。けれども、今回の抗争を見ると、コロンブスの銅像の首が切断されるとか、ワシントンやジェファーソンの銅像が引き倒されるとか、尋常でない情景に出くわす。そもそも合衆国の建国まで遡ってそれを思想的に全否定する主張があり、これまでとは異次元の地平で政治の動機が蠢いている。

双方が合衆国憲法の理念にコミットして、その解釈の正義と正統の地位をめぐって争うのではなく、憲法と国家成立の歴史を欺瞞だとして正面から否定し、思想的に転覆(解体脱構築)する動きが起きている。実際、内戦が起きて国家が二つに割れた場合、ブルーステートの方はそうしたラディカルな思想性の色濃い新国家となるだろうし、そのブルーステート内部も動揺し、すんなり一つに纏まるか見通せないように思われる。


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