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ピアソラ最大の大作「ブエノスアイレスのマリア」

小オペラ「ブエノスアイレスのマリア」アストル・ピアソラの最も規模が大きく、彼の人生においても重要な意味を持つ作品です。

しかしあまりにも特殊な内容のためか、なかなか上演される機会がなく、存在は知っていても通して聴いたことがない、あるいは劇中曲の「フーガと神秘」「受胎告知のミロンガ(私はマリア)」は知っていても、このオペラ自体は知らないという人も多いようです。

「ブエノスアイレスのマリア」の構想は、ピアソラが私生活の破綻から重度のスランプに陥っていた時に生まれました。
1966年頃からまったく新作の書けない精神状態に苦しんでいたピアソラでしたが、そんな彼のもとを十年来の友人であり、タンゴの研究家である詩人のオラシオ・フェレールが訪問しました。
その時の彼らの会話の中でブエノスアイレスを題材にした朗読劇のアイデアが生まれました。ピアソラの念頭にはブラジルで見たヴィニシウス・ヂ・モライス(ボサノヴァの立役者である詩人)による朗読と音楽のライブのイメージがあったようです。

同じようなライブができないかと相談していくうちに構想はふくらみ、ピアソラの音楽と歌、朗読によるオペリータ(小オペラ)というプロジェクトに発展しました。
この「ブエノスアイレスのマリア」の制作にのめりこんだピアソラは五重奏団を一時解散して作曲に没頭します。
60年代以降、仕事が軌道に乗りながらも、どこかで新鮮なアイデアを求め、マンネリを脱却したいという想いがピアソラにはあったのでしょう。

1968年5月に「ブエノスアイレスのマリア」は公開されました。
特にスポンサーがついたわけではなく、ピアソラたちが自ら費用を出した公演でした。
主役のマリアを演じたのはアメリータ・バルタール。後にピアソラの恋人となり、ピアソラ・フェレール・アメリータの3人で「ロコへのバラード」などの名曲を世に送り出すことになります。

演奏は五重奏団にヴィオラ、チェロ、フルート、パーカッション、ビブラフォンなどを加えた11人という大所帯で行われました。

鳴り物入りで公開された「ブエノスアイレスのマリア」でしたが、シュールレアリズム的なあまりに難解な内容のため、オペラとしては賛否両論。
動員は徐々に減っていき、8月の閉幕までは赤字続きでピアソラは危うく破産に追い込まれるところでした。

興行的には振るわなかったものの、その内容に対する反響は小さくなく、ブラジルからはヴィニシウス・ヂ・モライスやバーデン・パウエルといったアーティストたちがわざわざ見に来たほどでした。
この小オペラの公演をきっかけにスランプを脱却したピアソラは、それからの数年間、絶頂ともいえるような旺盛な創作意欲を燃やします。

「ブエノスアイレスのマリア」アジア初公演鑑賞

このようにピアソラの全作品の中でも重要な地位を占める「ブエノスアイレスのマリア」ですが、その特殊性から実演される機会は少なく、私も完全な形で鑑賞したことはありませんでした。
ところが昨年末、ピアソラ生誕100年記念として柴田菜穂氏ひきるタンゴ・ケリードによる演奏でアジア初となる完全版の公演が実施されました。

配信で鑑賞しましたが、やはりこの作品はオペラとして制作されたため、映像で見るとまったく印象が異なってきます。

「マリアというタンゴを象徴した女性の誕生、死、再生を通じてブエノスアイレスを描く」という基本コンセプトは知っていたものの、実際に鑑賞してみると予想以上に難解。

パジャドール、ポルテーニョ、大盗賊、娼館のマダムといった古いブエノスアイレスを象徴するような人々から、マリオネットや精神分析医といった不条理な面々までが次々登場し、不可解で謎めいた言葉を延々と連ねていきます。(タンゴ歌手のKazzma氏とダンサー達が複数の役を兼任します)
狂言回し的な役割であるドゥエンデ(小悪魔)は初演ではオラシオ・フェレール自身が朗読しましたが、この公演ではよく似た立場であるタンゴ研究科の西村秀人氏が演じているのが面白い効果を出していました。

執拗に繰り返されるのはタンゴの出自を思わせる場末の汚れた世界と宗教的なイメージの数々。マリアの死と再生は新しいタンゴの時代を予言するかのようです。
建国して200年足らずのアルゼンチンは独自の神話を持っていません。ピアソラ=フェレールの目指したのは、神話なき国に新たな神話を創造することだったのでしょうか?

そんな寓話とも神話ともつかない難解で象徴的な筋書きは容易な理解をよせつけません。(なんとピアソラ本人も後に内容はあまり理解していなかったと告白したとか!)
しかしこれらの謎に満ちた要素がピアソラの音楽と合わさったとき、さっと霧が晴れるように唯一無二の世界が生まれます。
ひとつひとつは理解にしくい内容もピアソラの音楽がまとめ上げることでおぼろげに全体像が見えてくる……あるいは理解するのではなく、感じるのが正解なのか!?

その時代のピアソラの精神状態や、ブエノスアイレスに流れる空気でないと生まれなかった奇跡的な作品と言えるかもしれません。
言い換えると、ピアソラがもっとも「芸術」というものに真っ向から向かい合ったのがこの「ブエノスアイレスのマリア」なのでしょう。
あまりにも異様な世界でありながら、どこかいつまでもその世界にひたっていたいと思わせる不思議な力がこの作品には宿っています。

決して万人受けするとは言えない「ブエノスアイレスのマリア」ですが、ピアソラという作曲家の全体像をつかむ上で避けては通れない名作と言えるでしょう。

タンゴ・ケリードの公演は1月23日まで動画配信を視聴可能です。
この作品に心を惹かれる方は決してお見逃しなく!


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