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hammeさんのピアノライブで思ったこと(2023.04.23、@uzuビバレッヂ)


 「音楽と生命」という本の中で、坂本龍一と福岡伸一は、「自然=ピュシス」と「論理=ロゴス」について話しています。ものすごく簡単に勝手に言えば、生き物としての人間というのは自然であるはずなのに、我々人間が何かを理解するときには言語という論理・ロゴスを介してしか考えることができない(できないと思い込んでいる)ことに矛盾があること。
 それから、坂本龍一は音楽の一回性や自然を表現するのに音楽を作っている部分があって(例えば「async」というアルバム)、ただそれらを作り出すにはこれまで積み上げてきた膨大な論理・ロゴス(ここでいうのは音楽理論)が必須であって、膨大な論理が体の中にあるからこそ良い音楽が生み出され得るのだと。
 また、そのことは福岡伸一の研究にも言えて、近年の彼の研究は「動的平衡」というもの(説明が絶望的に難しいけれど、すべてのものは常に変化しながらバランスをとっている、というような考え方)で、その研究もこれまで彼が膨大な時間をかけてきた研究の時間がなければ到達できない考え方であると。


ピアノを聴いた後にこんなことを思い出していたのは、hammeさんがお話の中で坂本龍一の死に触れたからでもあるし、最後の最後に「戦場のメリークリスマス」を弾いてくださったからでもあります。
(てか、ライブに行ってまさかセンメリが聴けるとは。。良すぎて鳥肌立ちました。。ずるいよね~、あんなに弾けたらモテるよね~、かっこよすぎるものな~)



ピアノの音だけが響く会場。
外で遊ぶ子供の声がうっすら聞こえる。
隣には偶然来ていた友達が座っている。
CDに入っている曲のソロバージョンが聴ける。
その日のために考えられた、その日だけのプレイリスト。
hammeさんの「ライブだと早足になっちゃう。。」というMC。

なんでしょうね、それらすべてが「そうだよなぁ、ライブってその日だけの音なんだよなぁ」と思ったのでした。コロナでライブや音楽が一回性のものだって、忘れてましたよ。



で、CDリリースライブだったので、もちろん新しく出された3作目のCDと2作目のCDを購入。今日はピアノの気分、ってときにはよく聴いておりますが、圧倒的に好きな3曲があります。
新しいアルバム「a bientot」の最後の3曲。


9曲目「Generalpause」
 コロナ禍で作った一曲だそう。
「Generalpause」=「(音楽用語で)全部の楽器が休止すること」
個人的には、流れる川、川辺に花が咲き人が行き交って季節は巡る。
転調で、少しの悲しみ、ツラさ、重い日々。
それからまた元に戻る、という希望。あぁ、まさにコロナ禍だなぁ。でも希望が込められてるなぁ。
少し不安なくらい間が空くのがうまいなぁと勝手に思ってます。
なんでだろうか「やっぱり世界は美しくてよかったなぁ」と思っちゃう曲です。

10曲目「madoromi」
 自分はこの曲が一番好きです。昔からの知り合いの方と作った曲だそうですが、あんなにも美しいピアノとギターの旋律が、音源を渡し渡しリモートで製作されたと誰が想像できましょうか・・・!
 イヤホンで聴くことが多いのですが、ギターの音が耳から上に抜けて頭の少し奥に響く、一方で、ピアノの音は耳から少し下に沈むように響いて聞こえる。これがものすごく音の振動として心地が良い。
 それからその響き方が、(おそらく意図的に)交差するところがあるんですね。そこがまた・・・!

11曲目「Under the cherry blossom」
 さくらの木の下で大切な人と過ごす時間。時間が過ぎるのはあっという間で、離れるのは口惜しいけれど、春もまたやってくるし、私たちもまた会いましょう。僕はそんな曲だと思っています。
 私たちもまた会いましょう、僕はこのメッセージがコロナ禍の中で曲を作ってらしたhammeさんの強いメッセージだと思っているのですが、このアルバムの名前「a bientot」が日本語に直すと「またね」なんですって。言葉のチョイスがニクイ。



映画にもなった小説「蜜蜂と遠雷」の中で、高島というピアニストがでてきます。幼少のころから天才と呼ばれた主人公たちに対して、「生活者の音楽」の演奏者として出てくる高島。僕は音楽のことはわかんないんですが、hammeさんの音楽はきっと高島みたいに、僕たちに寄り添ってくれるような音楽で「まぁ聴いてってよ」と声を掛けてくれているように思えました。
ライブに行ってみてよかったなぁと思ったのでした。


最後にそんなhammeさんの御紹介です。↓


CDはこちらで購入できます。↓


SNSでライブ情報の御確認も~

今日はここまで!

身体で感じた音楽やライブの雰囲気を、言葉というロゴスで表現すること自体、難しさと矛盾を孕んでいるんだけれども、敢えて言語化してみるということも、やっぱり人間にとっては大事なことにも思えるんですよね。
自分は楽器が弾けないものですから。もしもピアノが弾けたなら~

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