読む、書く。(ryotaのノート)

自分のノートをまとめたものを投稿しています。(まさしく『note』です。) 本を読んで…

読む、書く。(ryotaのノート)

自分のノートをまとめたものを投稿しています。(まさしく『note』です。) 本を読んでいい言葉を見つけたり、学んだことや感じたことがあると、ノートに書きだしています。 書いたことは誰かに言いたくなるのですが、しょっちゅうやると迷惑なのでnoteに投稿しています。

最近の記事

あなたの傘に入りたい。 『ひとりでカラカサさしてゆく』

難解だ。手に負えない。前触れなく終わった物語を閉じて、うなる。 『ひとりでカラカサさしてゆく』を読み終えて、江國香織はやはり芸術的な作家だと思った。 芸術的というのは、「個人的」とよく似た言葉だ。万人に開かれたチャンネルではない。同じ周波数をもつ、限られた人間にしか届かない声が、この人の作品には込められている。 江國香織は自分の言いたいことをがんとして言葉にしない。伝えたいことそのものを文章にしない。ただ物語のなかにただよう「空気」だけを書き、本一冊分の文字が埋まればぴた

    • 存在が聴こえる。 『Kid A』

      『Kid A』Radiohead 震えた。何がと聞かれて言葉に詰まる。からだが、肌が、心が。もしかしたら空間そのものが震えていたのかもしれないと思うほど、音が全身を揺さぶった。 『Kid A』を聴いたのはずいぶん久しぶりだった。そもそもRediohead自体、積極的に聴くバンドではない。はじめて聴いたときも、友達に勧められてだった。 当時からかっこいい曲だとは思っていた。思っただけで、そのあとは記憶のどこかに置き忘れていた。 それが今になって、また目の前に現れた。正確にい

      • ただ徒然なるままに。 『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』

        ”ただ鍵盤に指を置いて” 世界的な音楽家。もちろん、それだけの経験と研鑽を重ねた人だから意味のある言葉なんだろう。けれど、誰にでも許されて良いことなんじゃないだろうか。子どもみたいに誰の目も忘れて、何かに触れようとすることが。 そうありたいと思う。ただ鍵盤に指を置いて出てくる音を楽しむように、今を生きてみたいと思う。 無理して闘ってもしょうがないものがある。 自分が嫌いな人間はみんな、いつも自分の本質と闘っているのかもしれない。 別に自分を好きになれるとは思わない。けれど諦

        • おれはマヌケじゃない。 『PORTAL2』

          承認欲求には終わりがないという。 他人から認められたいという欲望は、認められなければ苦しみ、認められても、さらに次の段階の欲求に進んでは、同じことを繰り返す。 そして承認欲求の強い人間が最も苦痛を感じるのが、劣等感だ。 自分が人より劣っていること、自分より認められている人がいること、他人から馬鹿にされること。これらに対してまるで耐性がない。承認欲求の薄い人からすれば理解できないくらい、落ち込むし、切れる。 『PORTAL2』というゲームに登場する「Wheatley(ウィー

        あなたの傘に入りたい。 『ひとりでカラカサさしてゆく』

          いつか返る冷たい刃。 『私はだんだん氷になった』

          木爾チレンの『私はだんだん氷になった』を読み終えた。 『神に愛されていた』がとても好みだったので、過去の作品も読みたくなって手を伸ばしたが、やっぱり良い。 苦さも甘さも酸っぱさも、瑞々しく混ざり合ったような。この人の作品からは毒の入ったカクテルみたいな、危険で背徳的な魅力を感じる。 「真実は時に残酷だ」なんて聞き慣れたフレーズだが、そういえば誰の言葉なんだろうと思って調べても、はっきりとした答えはわからなかった。ことわざみたいなものだと思う。 今作の主人公たちは、苦しい現

          いつか返る冷たい刃。 『私はだんだん氷になった』

          愛着を知る

          愛着というものを知った。 最近買ったものをながめて、ひとりで悦に入っていた。 Theoryのスーツ。Theoryでプライベート用のセットアップを買うのが、小さな夢だった。とても格好いい。 Nothingのレザーのカバン。ずっと気になっていた。『機嫌のデザイン』の秋田道夫氏が監修している。「カバンを持たない人のためのカバン」という哲学に惚れた。 ついでにZARAのアクセサリー。ネックレスとブレスレットとリング。装飾品としては格安だけど、シンプルで主張のないデザインと、ステンレ

          選択の正しさについて 『TRIANGLE STRATEGY』

          最近、私は私の生活環境を大きく変える決断をした。 迷いのある決断だったが、その選択をする勇気を与えてくれた作品があるので、ここで紹介したい。 先日『TRIANGLE STRATEGY(トライアングルストラテジー)』というゲームをクリアした。FFやドラクエシリーズでおなじみの、スクエアエニックスから発売されている戦略ゲームだ。 このゲームの重要なポイントは、「主人公たちの選択によってシナリオが変化する」ことだが、これについてなかなか考えさせられるものがあった。 このゲームの

          選択の正しさについて 『TRIANGLE STRATEGY』

          せめて私が私であれば。 『神に愛されていた』

          胸に灯った妬みの炎は、私を内から焼き尽くした。 仮面で顔を隠した私を、神は愛してくれなかった。 せめて私が私であれば。 愛せなくとも、憎まずにはいられたかもしれないのに。 感想 「他者から好かれるため、あるいは嫌われないために嘘をつくことは、自分を好きになれないという最大の不幸を招き続ける」 たしか『嫌われる勇気』か『幸せになる勇気』(ダイヤモンド社)に書かれていた言葉だと思います。 自分は特別な存在だと信じたい。 誰もが愛してくれる存在でいたい。 そんな承認欲求

          せめて私が私であれば。 『神に愛されていた』

          幕が下りた世界にも明日が来る。 『星を編む』

          この先になんの物語もなくても。 花火は消える。夏は終わる。 幕が下りた世界にも明日が来る。 感想 何度選んで、何度捨てても、生きてる限り道は続く。 自由を選んだその先で、もう一度人生と幸福の意味を問い直す主人公。 凪良さんらしい瑞々しい言葉で綴られた、エンドロールのような一冊でした。 人生って物語ではないんですよね。 よく人生を物語に例える表現を目にしますが、それは花火のような一瞬のターニングポイントであって、点と点の間に横たわる時間のほとんどは、なにも特別ではない生

          幕が下りた世界にも明日が来る。 『星を編む』

          届かぬ声のなれのはて。 『赤い月の香り』

          行かないで、と泣き叫ぶ。 そばにいて、と手を伸ばす。 届かぬ声のなれのはて。 傷だらけの心からこぼれた血が、月を真っ赤な怒りに染める。 感想 怒りという感情は悲しみからしか生まれないのかもしれません。 どうして理解してくれないのか。どうしてそばにいてくれないのか。 どうして。どうして。どうして。 期待が失望に変わり、失望が悲しみに変わる。 悲しみを悲しみのまま終わらせることに耐えられなくなったとき、人はそれを怒りに変えてしまうのかもしれないと、この本を読んで考えました。

          届かぬ声のなれのはて。 『赤い月の香り』

          あるいはすべてが夢だったとして。 『TIMELESS』

          今は走馬灯みたいに通り過ぎて、 記憶は白昼夢みたいに溶け出した。 言葉は口にした瞬間から疑わしくなる。 大切だと言ったとたん、大切じゃない気がしてくる。 生まれたことに意味はなくて、生きることに理由もない。 すべてがなりゆきだったとして、ここにいるのは誰だろうか。 あるいはすべてが夢だったとして。 感想 恋を知らないまま子どもをつくったうみと、父を知らないまま生きるアオ。 一見孤独なふたりだけど、孤独という言葉を知らないから、孤独に見えない。 うつつと夢とが混ざりあう

          あるいはすべてが夢だったとして。 『TIMELESS』

          今夜あなたが震えていればいい。 『20代で得た知見』

          いつも誰かを探している。 自分と同じ、深く青い香りをまとった誰かを。 そして祈るように呪っている。 今夜あなたが孤独に震えていればいいと。 感想 言葉はあくまで記号であって、それそのものではありません。 だからどうしても言葉では届かない領域があります。 空気とか、時間とか、香りとか、言葉では表現しがたいそれらを、著者のF(エフ)さんは「文学の領域」と呼びました。 ところで「文学の領域」は誰かと共有するの難しい。 言葉にならないものなので、言葉で説明ができないんです。当然

          今夜あなたが震えていればいい。 『20代で得た知見』

          恥の匂いがした。 『透明な夜の香り』

          罪と罰とが循環している。 見捨てた分だけ、見捨てられている。 それはとても自然なことで、それが悲しくてしかたない。 汗で惨めに湿ったからだから、いたたまれない恥の匂いがした。 感想 匂いばかりはどうしようもないよな、と思います。 どうしようもないものは匂いに似てるな、とも思います。 求めることも拒むことも、そのどうしようもない本能のようなものによって、ごく自然に行われている。そのことがとても悲しくてしかたなくなるときがあります。悲しいという言葉でかたづけるしかないことが

          恥の匂いがした。 『透明な夜の香り』

          風が吹けば流されるくらいが丁度いい。 『機嫌のデザイン まわりに左右されないシンプルな考え方』

          風が吹けば流されるくらいが丁度いい。 感想 「まわりに左右されない」って、解釈の分かれる言葉だと思います。なんとなく、なにが起きても動じない岩のようなものをイメージしてしまうんですよね。 でも秋田さんの言ってるそれはたぶん違くて、いらない衝突や摩擦を生まない、けれど自分をすり減らさないと言った、ほどほどの自然体を指しているように感じます。 別に岩なら岩のように生きてかまわないでしょうが、人間は人間らしく生きたほうが、健康的ですよね。たぶん。 前回の『自分に語りかける時も

          風が吹けば流されるくらいが丁度いい。 『機嫌のデザイン まわりに左右されないシンプルな考え方』

          36.5℃の生活デザイン。 『自分に語りかける時も敬語で 機嫌よく日々を送るための哲学』

          36.5℃の生活デザイン。 感想 「そのままでいい」という言葉って、「このままでいいのかな」って考えてないと出てこないんですよね。”経験がすべてではないと経験的に言えるようになった”という一文を読んで、そうだよなあと思いました。 「自分の見方で世界は変わる」とか「まわりに合わせて生きる必要はない」とか、真実なんだろうけど文脈のない言葉をたくさん目にします。これは写真を見て知った気になることと、実際に足を運んで知ることの違いに似ていると思います。 あたりまえの答えに行きつ

          36.5℃の生活デザイン。 『自分に語りかける時も敬語で 機嫌よく日々を送るための哲学』

          けれど目を背けるほど浮きぼりになる。 『シェニール織とか黄肉のメロンとか』

          『シェニール織とか黄肉のメロンとか』 シェニール織とか黄肉のメロンとか、 トイプードルとか手首の内側につける時計とか、 暑中見舞とかぴょんぴょん跳ねるクッションとか、 雨の日のコーヒーとか晴れの日の洗濯機とか、 知りたくなかったことがある。 気づきたくなかったことがある。 けれど目を背けるほど浮きぼりになる。 足下の穴なんか見ないふりして、三人娘はかろやかに歩く。 感想 それに近づくと空気がひりつく。目には見えないが、触れてはいけないと感じる。 しかし避けて歩けば歩

          けれど目を背けるほど浮きぼりになる。 『シェニール織とか黄肉のメロンとか』