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ただ徒然なるままに。 『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』

”一日数時間、ただ鍵盤に指を置いて出てくる音を楽しむ、それくらいの心構えでいいんじゃないかなって。”

『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』坂本龍一

”ただ鍵盤に指を置いて”
世界的な音楽家。もちろん、それだけの経験と研鑽を重ねた人だから意味のある言葉なんだろう。けれど、誰にでも許されて良いことなんじゃないだろうか。子どもみたいに誰の目も忘れて、何かに触れようとすることが。
そうありたいと思う。ただ鍵盤に指を置いて出てくる音を楽しむように、今を生きてみたいと思う。

”「ガンと闘う」のではなく、「ガンと生きる」という表現を選んだのは、無理して闘ってもしょうがない、と、心のどこかで思っているからかもしれません。”

『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』坂本龍一

無理して闘ってもしょうがないものがある。
自分が嫌いな人間はみんな、いつも自分の本質と闘っているのかもしれない。
別に自分を好きになれるとは思わない。けれど諦めてしぶしぶでも一緒に生きてみれば、何か心境の変化ぐらいはあるかもしれない。
闘うでも逃げるでもなく、白でも黒でもなく、それでいて一貫性もない。それでいいはずだ、人間は機械じゃない。それなのに、人間らしく生きようとするのは、案外つかれるから不思議だ。

”きっと、月にも音楽と同じ効能がありますよね。”
”ぼくたちが音楽に耳を傾けながら、心がふっと楽になるのと似たようなことが、月によってもたらされていたのだと思います。”

『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』坂本龍一

月。月と音楽。文化って不思議なものだと思う。
『月とコーヒー』という本がある。まだ読んでないけど、タイトルは『太陽とパン』の対義語としてつけたらしい。
太陽もパンも生きるのに必要なものだ。けれど月とコーヒーはそうではない。生命活動には必要がない。たぶん。
文化、嗜好。ただ生きるだけでは満足できなくなった人たちが生み出したもの。「生きる」という目標を叶えてしまったから、生きることに目的が必要になって生まれたものなんだろうか。

”ただ徒然なるままにシンセサイザーやピアノで奏でてきた音楽を一枚にまとめたに過ぎず、それ以上のものではないんです。でも、今の自分には、こうした何も施さない、生のままの音楽が心地よい。”

『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』坂本龍一

一年くらい前から本屋で見かけるたびに気になっていた。でも自分は坂本龍一の音楽をほとんど聴いたことがなく、そんな人の手記を読んでもしょうがないと思って避けていた。

今回、気まぐれに買ったのもいい機会だと思って色々曲を聴いてみたが、あまりピンとこない。そんなものかもしれない。わかったような気になるよりはいいと思う。
けれど本はとてもよかった。思ったよりも普通の人間だというのが正直な感想だった。怒ったり驚いたり感動したりしている。少し意地っ張りなところも、ときどきそれを反省しているのもおもしろい。抵抗と許容を同居させている、とても人間くさい魅力に溢れる人だと思った。ずっと手元に置いておきたい本がまた増えた。

ただ徒然なるままに。

”それでは、ぼくの話はひとまずここで終わります。
Ars longa, vita brevis.(芸術は永く、人生は短し)”

『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』坂本龍一


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