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将門を読む


1976年にNHK大河ドラマとして放送された『風と雲と虹と』を、小学三年生の僕は親と一緒に、よくわからないながらも見ていた。
平安時代中期の叛将・平将門を主人公とする海音寺潮五郎の長編小説『平将門』を原作とし、加藤剛の将門、緒形拳の藤原純友、山口崇の平貞盛、露口茂の藤原秀郷、草刈正雄の鹿島玄明、薄幸の姫君役の吉永小百合、と役者陣も魅力的。
もう、加藤剛のかっこいいことといったら!

『平将門』上中下
海音寺潮五郎
新潮社

9歳の子供に詳しいことはわからないといいながら、役者陣の素晴らしさもあってかそれなりに感情移入してドラマを観て、秀郷との戦いに敗れコメカミに矢を受けて砂塵舞う大地に倒れた小次郎(将門)に涙した。

今でもそうだと思うが、大河ドラマで取り上げられた人物に関連する書籍が、放送に合わせて硬軟混交でさまざま出版される。子供向きに書かれた将門の物語もあった。
正確にはドラマの年よりも4年ほど前に出版されているが、大河ドラマのせいでピックアップされたのだろう。小池章太郎『山よ火をふけ!』というのが新着で小学校の図書室に入った。
ドラマを観ていてよくわからなかった部分を勉強してみようと、それを借りて読んでみた。
多分、これが40年後の今にまで続く読書狂生活の端緒となった本である。

『山よ火をふけ! 火雷天神・平将門』
小池 章太郎
さ・え・ら書房

何年か前に、この懐かしい児童向けの本をアマゾンの古書で発見し40年ぶりに買って読んでみたのだが、今読むと、まぁ何というか、あたりまえだけどユルい本である。そりゃそうだ、ユルくないと小学生には読めない。
しかし大河ドラマの興奮冷めやらぬうちに読んだので、ぐいぐい没入した。よくわからなかったドラマの概略が整理され、将門が何をし、何に怒り、どういう経過で滅んでいったか、小学生なりに理解できた。

その1年後、叔父の家でこの大河ドラマの原作の海音寺潮五郎『平将門』を見つけ、借りてみた。
新潮文庫上中下3冊、全1800ページ。
小学校5年生に読めるのか?
・・・結論からいうと、読めなかった。
しかし、案外健闘して、中巻の途中くらいまでは読んだのだ。全体の半分、約900ページ。
筑波山の嬥歌(かがい=歌垣)とか、蝦夷の娘との交情とかどこまで理解していたのか。わからないながらもエロい場面はそれなりに食いついて読んだのか(おそらくそうだろう)。

この本で学んだことはたくさんある。
まず、『山よ火をふけ!』と『平将門』は、同じ人物を描きながらも、当然世界が違う。子供向けと大人向けなのだからそりゃ違う。
しかしそのことで、同じ題材を扱いながら、書く人により、また目的により、まったく違う本になること。大げさにいうならば「歴史は記述する人間によって語られ方が違うのだ」というかなり重要なことを、小学生なりの頭で理解したと思う。
もう一つ、結局そのときは上中下すべてを読み通すことはできなかったものの、少し理解の及ばない難しい本に背伸びをして頑張って食らいついた、という経験。これは後の大きな糧になった。

結局僕はその後この上中下3巻読破をを中学1年で達成し、それ以来、今に至るまで、この1800ページの大著を、通しで十回以上読んでいる。少なめに見積もってもだ。
しかしまぁ、よくぞ小学生の僕がまずこの本に挑戦しようと思ったことだ、と子供時代の自分を褒めてやりたいのだが、実際この小説は日本の歴史小説の中でも珠玉のものだと今でも思っており、こんな傑作に行き当った小学生の自分の運が誇らしい。

ところが、中学1年で、この本を借りた叔父に「小学生の頃はあんまりわからなかったけれど、今やっとわかるようになった」と報告すると、叔父は少し苦い顔をして「貸しておいて今さら言うのも何やが、本当は海音寺潮五郎なんて、言っちゃ悪いけど二流やで」という。
そして「読むべきは司馬遼太郎や。司馬遼太郎を読め」
(こういう司馬信者って多いよね 笑)

その時の叔父の言うことを、全面に真に受けないでよかったと思っている。
叔父に言われてその後『竜馬がゆく』も読んだし、司馬氏の他の代表作もあらかた読んだが、それでもなお、僕の中では海音寺潮五郎『平将門』の凄さは揺るがない。

叔父に借りた新潮文庫を読み潰し、自分で新しく文庫3冊を書い直し、その後彌生書房から出ていたハードカバー判を書い、さらには海音寺潮五郎全集も古書で買い込んだ。
10回読んだといっても、その10回目ですら、1行もおろそかにせず、飛ばし読みをせず、全頁全行読み込む。そんな精読に耐える質を持っている小説である。死ぬまでにあと10回読みたいな。

歴史小説で問題になることとして、たとえば吉村昭のような精緻な調査を踏んでわかったことしか書かない人(生麦事件でイギリス人に切りつけた薩摩藩士のことを、はたして徒立ちの刺客が馬上のイギリス人を殺傷できるのか、というところから考証し、薩摩でかなりの長刀を使う流派があることを取材し確かめ、彼がその流派の使い手であったと確認できてから次の一行を書く、みたいな)がいて、かたや海音寺潮五郎のような「見てきたような嘘を書く」派の人がいる。

『生麦事件』上下
吉村 昭
新潮社

間違ってもらっては困るが、海音寺潮五郎は本当に「見てきたような」嘘を書くのである。ただの嘘ではない。
『平将門』で、将門の領内で小作をしている子春丸という青年が出てくる。彼はめっぽう足が早く、将門も重宝がって連絡役に使ったりするのだが、なかなかに馬鹿で下卑で憎めないキャラである。
他領に恋人ができて毎晩とんでもない距離を駆けては女と会い、またとんでもない距離を駆けて朝戻ってくるという驚異的な脚力を見せる。
その毎晩の往復に目をつけられて、敵(伯父・平良兼)にタラしこまれ裏切りを働くことになるのだが、彼の馬鹿で情けない人物造形が、もう唸るほどに上手い。
もちろん平安中期の武士の領地で働く貧農の生活など、ろくな史料は残っているまい。領主である将門と身分上は隔絶した下の下にいる子春丸がどういう具合に言葉を交わしたかなど、誰にもわからない。
そういう細かな関係性の描写も、決して疎かにせずに小説世界を構築していく海音寺潮五郎の筆力は本当に素晴らしい。逆に小説世界とはそんなところから構築を始めなければ本来ちゃんとした土台が建たないのかもしれない。
史実としてわからないことは想像で埋めればいい、その想像の部分が小説家の力量である、という海音寺潮五郎は吉村昭や大岡昇平の「わからないことは書かない」派とは真っ向対立する立場なのだが、下人の言動ひとつさえ確固たるパースペクティブの中に描き込む構築力が、この小説の「見てきたような嘘」に脈動を与えている。
何度読んでも感動が褪せない。

あと余談として、登場人物が、ほとんど「豊田ノ小次郎」(将門)や「石田ノ太郎」(貞盛)、「田原ノ藤太」(秀郷)という風に、「在地+通称」という呼び名で統一されているのが秀逸。
豊田ノ小次郎は叔父に本拠を焼かれて石井に移ると「石井ノ小次郎」と呼び名が変わる。
土地と武士との深い関係を自然と表す演出である(「田原ノ藤太」など、後世の記録にも残る呼び名なので実際にそういう呼ばれ方をしたのだろう)。

・・・・・・

あまりにベタ褒めで終わるのも何なので、その後いろいろ史実の将門のことを調べた目で海音寺『平将門』に文句をつけるとするならば、あまりに将門個人の武勇に頼りすぎて将門軍の強さが描かれるため(英雄史観というやつですね)、俯瞰して将門の乱とは歴史の上でどういう動きであったのか、という点がわかりにくい。
藤原氏専制に対する王氏末裔の叛乱というだけではなく、東国のどういう階層の人々が、どういう利害でどう動いていったか、将門を支えた基盤は何か、みたいな視点がもう少し描かれたらいいのに、とは思った。
しかし史実の将門というよりも、一個の英雄叙事詩的なものを描きたかったのであろうから、それも大きな欠点にはならないだろう。
やはり傑作なのである。

・・・・・・

とまぁ結局ベタ褒めになってしまったわけだが、実は海音寺潮五郎なら何でもいいというわけではなく、他ではけっこう駄作も書いている。
たとえば酷いと思ったのは『蒙古来たる』。
なんだか前半と後半で知らぬ間に主役が交代していたり、なにかととっ散らかって、どうにもつまらない本だった。このへんが叔父に二流呼ばわりされる所以なのか。

『武将列伝』『悪人列伝』の各シリーズは小説ではなく史伝集で、通して読めば日本の歴史の概略がわかるすぐれもの。おすすめです。

『平将門』以外で傑作だと思うのは『王朝』。

『王朝』
海音寺潮五郎
角川書店

短編集だが、どれも胸を衝かれる美しさ。
まぁ、でも最高傑作はやっぱり『平将門』だなぁ。現在新潮文庫絶版なのが信じられない。
(彌生書房のものはまだ在庫があるようだが)

1800ページ、どなたか挑戦してみませんか?
読んで欲しいなぁ。

(シミルボン 2016.10)

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