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【787】「閉店セール」を真に受けるヒトビト

いつ見ても閉店セールや「バーゲン」をやっている店があります。

もちろん奇妙な感じはするのですが、「閉店」が何を意味するかも特に説明されていませんし、毎日店終いしているとも言えます。連載漫画の各話の後に「完」と書いてあってもお話の全体が終わったことを必ずしも意味しないことに似ます。

それに、まあ数十年オーダーで見ればもうじき閉店(ないし廃業)するとも言えるわけで、その観点からも特に問題はないでしょう。

何にせよ、ず〜っと続いている閉店売り尽くしセールの類を見ても、特に近隣住民は誰も「この店はもうすぐ廃業するのだな」とは考えませんし、単にお得感を演出して販促のためにやっているのだろう、と思うことになるでしょう。

要はわりと多くの「閉店セール」が顧客にとって何の意味も持たない、ということは顧客の側も理解しているわけです。それでも何らかの販促効果があると思って経営サイドはやっており、顧客の側もちょっと心が動いてしまうのをやれやれと認めながら、この無意味なものを無意味に回しているというなりゆきです。

要は誰も本気にしておらず、それで回っている、ということです。お祭りの一本くじと同じで、あんなものは当たるわけがなく、誰でもそんなことはわかっているというなりゆきです。


ところが話の通じない人が出てくると、「これは詐欺ではないか」と怒り出すことも考えられるでしょう。

いやもちろん、適切な怒りという面もあります。一般消費者に著しい誤認を与えている場合には景品表示法に引っかかると思います。それに、誤認を与えないにしても、こうした閉店商法は(個人的には)良くない面が多すぎる、というか言語に対する浅ましい挑戦だと思います。

が、言語ということを真面目に取り扱う人が1%も存在しないからには、相互に了解が生じている限りは仕方のないことだろう、という面もあります。

言語を真面目に取り合うべき場面でもなければ(ということは人間として生きるということにダイレクトに関わってくるのでもなければ)、まあこのくらいのことは見過ごしたほうが害が小さいというのも事実でだということです。


誰も本気にしていないけれども存在しているプロジェクト、というものはわりとありますが、それを本気にしてしまう人が出てくるとあっという間に歪みがでます。

ヤバいポジティヴ言説とか、大学改革とか、アクティヴラーニングとか、価値でもないものを売れるというだけで価値とニコニコ言い募るとか、そういうものが代表例ですが、果たしてそういった「みんながダメだと思っていなくてはならないけれども形式上言っておかねばならない」だけのものに、ひょっとして本気でコミットしてしまっていないか、以って極めてヤバい歪みを生んでいないか、ということは日々各人が振り返ることが望ましかろうと思われてなりません。