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【544】Bugenとはどこ?/訳では見えないエトセトラ/経営から職人の論理へ

さて、以下は18世紀中頃にフランスで書かれたディドロ&ダランベール『百科全書』第1版の項目のひとつです。何について書いているかわかりますか。

Bugen(地理)、Ximoの島に位置する、アジアの都市・王国であり、日本帝国に服している(BUGEN, (Géog.) ville & royaume d’Asie, dans l’île de Ximo, dépendant de l’empire du Japon. )

実はこれ、「豊前(ぶぜん)」つまり現在の福岡県の一部に関する記述です。

……これでハイ終わり、「Bugenっていうスペルからはわかりにくいね〜キラキラ〜」というクイズのレヴェルで済ませてもよいのですが、もうヒト理屈こねることが許されるでしょう。あるいは私がこの類の表層的クイズというものを好まないのは、獲得できるはずの知識や経験をみすみす手放しているからです。


たとえば、以下のような問いに答えられますか。あるいは以下のような問いは持たれましたか。

Ximoの島とはなんですか。

日本の中の話をしているのに「アジアの都市・王国」とか言われているのはなぜですか。

「日本帝国」とはなんですか。

……これ、いくら機械翻訳が強くなっても、相当強くならない限り、わからないことかもしれませんし、疑問にすら思わないことかもしれません。言語固有の文脈に応じておおいに情報を繁茂させて、各人の知識の量や明晰さに応じて編集することが求められます。


Ximoは「下」であって、京都から遠いことを意味すると考えられます。京都から遠いところにある島、つまり「九州」のことです。行政区分の名付けの際に京都から近いところを「上」、遠いところを「下」と指すことを踏まえれば一応理解できます(cf. 上野と下野、上総と下総)。

たとえばJohan Jacob HofmannのLexicon Universaleなどを見れば、Ximumの項に次のようにあり、このあたりからだいたいの理解(と混乱)が見られます。

URLは以下(マンハイム大学から)。

http://mateo.uni-mannheim.de/camenaref/hofmann/hof4/s0865b.html

Ximum, 俗に(or現地では)Ximo。日本の3つの部分のうちのひとつの島で、南のほうにあって、およそニホニアと日の昇るほうにあるシコクの間にあり、僅かな幅の海によりこれらから隔てられている。そして日の沈むほうには朝鮮がある。Ximumと呼ばれるが、つまり「下の王朝(regia)」であり、またSaycock(西国)と呼ばれるが、これは9つの王国(regnum)——つまり、肥前、豊後、筑紫、肥後、日向、豊前(Bugen)、薩摩、大隅、宇土(訳注:肥後の宇土を指すと思われる)——を含むからである。これらの王国においては特に有馬、豊後、長崎、薩摩という都市がみられる。(XIMUM, vulgò Ximo, Insula una ex tribus partibus Japoniae, versus Austrum & ferè inter Niphoniam & Xicocum ad Ortum à quibus separatur angusto fretô, & Coream regnum ad Occasum. Dicitur Ximum, i.e. Regia inferior & Saycock, i.e. novem regna, quot continet: Nempe Figen, Bungo, Chicuien, Fingo, Fiunga, Bugen, Satcuma, Volumi & Uto. In his praecipuae urbes Arima, Bungo, Nangasachi & Satcuma)

Saycockと呼ばれる理由として9つの「王国」を含めるのはおかしく、また筑紫を筑前と筑後に分けずに宇土とかいうものを含めるのもおかしく、有馬・豊後・長崎・薩摩が同じ水準でカウントされているのも妙ですが、少なくともXimumはXimo「下」として、inferior「下の」という形容詞と結び付けられています。

なおXimo「シモ」が見出し項目においてXimum「シムム」とされているのは、Ximoがラテン語名詞の活用形(地格としての奪格)に見えたことから、辞書の見出しとなるかたち(主格)の中性名詞を逆に構想した結果です。途中にXicocum「シコクム」という「四国」を指す語もありますが、これはXicocoと聞き取られているらしく(上のURLから見られます)、やはり同様にXicocumという「主格」が逆に構想されています。所謂「逆成」です。


上のBugenの定義に戻るなら、「都市(ville)」は特に日本人には理解の困難な語かもしれません(困難であることさえ認識されないことが多いのですが)。地理的-政治的な要素として、フランスというか西洋において「都市(ville, urbs, etc.)」は、古代ギリシャ-ローマ以来の都市と領域(territoire, territorium, etc.)の区別を前提とする語です。典型的には生産の場と政治の場は截然と区別されており、象徴的には城壁などの物的装置によって空間的に区別されます。政治を支える装置がおおいに変質してからも、城壁が軍事的な意味を失って崩壊してからも、空間的には都市と領域の間の区別は残りつづけています。

どこ出身か、と言うと日本の民は都市や市町村というよりも「埼玉県」とか「東京(都)」とか「北海道」とか、かなりの広さをもった空間ないし行政区分で言いますが、これは西洋人には奇異に思われることがあります。日本の都道府県は、フランスで言えばdépartementないしrégionに相当する概念と言えますが、出身地を言うときにdépartementやrégionを言うことはあまり多くなく、その中に点在する都市(ville)で言うのが通常です(マイナーな都市である場合には地域名を言うことももちろんあります)。というわけで、神奈川出身です、と言ったら、カナガワという都市の出身であると思われます。       

パリを見れば分かる通り、あるラインを境にして、人が住みよいように加工された都市と、農業が営まれ自然の残る空間は区別されます。高速鉄道でパリ市街に出ると、しばらくは大規模な倉庫や工場があるのですが、あるラインをすぎれば一気にビルがなくなってひらけた土地になり、すぐに人より牛が多く目に入るようになり、一面野山と畑になります。

これは(京都はともかく)東京とはおおいに異なるありかたでしょう。実際日本に留学していた知り合いと話していると、「電車に乗っていても東京はどこまでが東京なのかわからない、山手線の内側が東京だとも言い切れず、外に出れば東京でないとも感じられず、妙に感じる」と言われます。新幹線で都内を出れば段階的に人家が減っていき、建物もどんどん背が低くなっていますが、截然たる区別はなく、いつ「領域」が見えるのかと思っていたらいつの間にか別の「都市」に到達している、それが妙だ、ということです。東京が「都市」に見えないということでもあります。

で、都市と領域の区別こそが重要であり、都市を取り囲む地域に対して意識が向きづらい、ということから、百科全書においても、HofmannのEncyclopediaにおいても、都市と「王国(≒支配圏)」とが混同され、日本で言えば都市の名前でしかないものと、地域の名前でしかないものがおおいに混同されることにもなった、ということでしょう。あるいは冒頭の『百科全書』において、都市と王国を並列しているのは、西洋から見れば現地においては概念上の混乱でしかない事態を踏まえて(あるいは間接的に文献などから汲み取って)反映したのかもしれません。


「王国(royaume)」という描写は、藩の統治のありかたに対応するものでしょう。「王(roi)」が存在することを前提する表現ですが、これは概ね藩主でしょう。フランスはなるほど早くから中央集権化が進みましたし、この時代(18c半ば)においては主権国家体制がかなり固まってきてはいますが、「王」はグロティウス言うところの至上権(summae potestates)を強烈なかたちで持つ為政者とは限りませんし、その版図にも主従関係にもいろいろあります。

それが反映されるのが「帝国(empire)」という表現です。「帝国」はもちろん「皇帝」なる役職の有無とは無関係です。テクニカルには「多民族国家」の意味も持ちますし、ナチスの支配も「第三帝国」ですが、概ね諸王・諸行政区分を束ねる広域国家、という意味があります(19世紀後半の所謂「帝国主義」は広域に植民地支配を行うという意味においてそうですし、皇帝の存在が必要とされないということは、「大英帝国」なる語用に見られる通りです)。諸王の上に皇帝が立つという神聖ローマ帝国モデルが機能していると言えます。

「日本帝国(l’empire du Japon)」なる語で理解されているのは、およそ幕藩体制と推測されます。現在であれば、征夷大将軍を筆頭とする武家支配を示すためには(「将軍(shogun)」に由来する)shogunatという仏語があり(英語ではshogunate)、特にTokugawa shogunateと言えば幕藩体制を意味しますが、おそらくはそうした語がない(というか日本に関する歴史研究が進展していない)、しかも手に入る情報もごく僅かであった18世紀半ばにあっては、どうにか手持ちのフランス語で事態を説明するために、帝国とその下にある諸王国、という比喩を用いたということです。

で、(神聖ローマ)帝国への各王の服従がどのくらい強いか、という問題ですが、これ、多分に象徴的なものなんですね。

そういうこともあって、「アジアにある、日本帝国の支配下にある王国」という描写でなく、「アジアにある王国なんだけれども、日本帝国に属していますね〜」という記述にした可能性もあるでしょう。これはあくまで推測ですが、帝国イメージで理解するならそうなるでしょう。


私の理解ももちろん不完全というか付け焼き刃な部分をおおいに持ちますが、「訳だけでいい」「機械翻訳で行く」で突っ走ると、この程度の理解すら得られないということになるでしょう。もちろん時間と労力をどこに割くかということは考えねばなりませんし、必要に応じて外注することにはなるのですが、なんでもかんでもそうしていると、知的骨粗鬆症・砂上の楼閣になることでしょう(一つ前の記事でも書きましたっけ)。

少なくとも直接性を犠牲にする(cf.訳に依存する)、外注しまくる、というときには、多くのものが失われうる、あるいはかえって時間や労力が無駄になりうる、ということは、念頭においてみてもよいのかもしれません。

これは経営と資本の論理の限界——感じない人は感じない限界——でもあり、職人の論理の可能性です。もちろん資本主義社会では経営の論理に乗っかるほうが物的には圧倒的に幸せに生きていけますが、その点を踏まえてなお、寧ろ直接性に、手作業に、泥臭い知識の編集のための能力に、つまり職人的な能力のほうに、着目する価値はあるでしょう。