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音もなく更ける夜

朝起きたときに羽織るものが必要だなと思うくらいに、冷え込みが日ごとに増しているのを感じると、冬が近いのだな、と思う。冬を目前にした晩秋の時期というのは、とにかく空が澄んでまぶしい。ブルーがやさしく、絹ごしされた日光が透けるように透明だ。陽光の満ち満ちたリビングにのろのろと向かう姿は、そんなさわやかな空の色とは雲泥の差ほどもあるよぼよぼぶりである。仕方がない、このところの過剰なハードワークに加え、昨夜も深夜まで後輩とごはんで、遅く帰宅したというのに土曜の朝まで打ち合わせが入っている。

かつてと違って電車がほどよく空いているので、それだけでわたしの朝の憂鬱は軽い。睡眠不足に一週間の重い疲労が肉体には如実にダメージを与えている土曜日、ハイヒールシューズの方が合う服装なのにやむなく白いスニーカーを履いた。確実にむくんでいるはずだし、何しろ歩き回る土曜日には脚にやさしい配慮が必要だからだ。

テレカンをのぞくと実際にお目にかかるのは2度目の新たなお客様と打ち合わせをしたが、不思議なことに最初に感じた空気のとげとげとした感じはもうない。たぶん、互いの人見知り期間が過ぎたのだと知る。何しろわたしときたら、その方が飲み物に口をつけるより先に自分のカプチーノに(いつもはいれない)砂糖をさらさらとふりかけて、シナモンスティックでゆるゆるかきまぜていた。無礼だなと思ったが、濃いエスプレッソの香りとシナモンの誘惑に勝てるわけがなかったし、この方がそんなことを気にしない方だという勝手な思いもあった。

打ち合わせの途中、2度ほど軽く眩暈を覚え、色濃い疲労を実感したが、その後いつもの執務スペースへ気力を振り絞って向かう。だってまさか週末の2日間も仕事をしたくない。ならば今日、起きているついでに片付けた方が精神的な解放感が生まれるだろう。なんて希望と闘志をもっていたけれど結果は惨敗で、3つのテキストをなんとか朦朧としながら書いて終わった。要するに、何も片付けることができなかった。

帰宅すると倒れるように眠った。深い睡眠は、音を消さずにいたスマートフォンから幾度も流れたはずのLINEの受信音すら気づかぬほどだった。3時間ほど眠ってもスッキリしたのは目元だけ、服のようにまとった疲労はそのままであるし、何より明日も仕事だという重たい気分が目の前に幕のように下りている。

普段は夕飯は炭水化物を食べないのだが、デリバリーのピザを頼んだ。今夜これがわたしには必要だ、と強い確信のもとベッドの上に広げてPCで映画を観ながらむしゃぶりついた。味そのものというより、小麦粉を腹いっぱいに詰め込む、という行為に慰めを見出す。

ふと心の隙間に入り込んでくるわずかなさみしさに気がつく。このさみしさがわたしを侵食する前に手なずけるテクニックはもうプロ並みにもっている。こんな時間だけれどわたしはおそらくあと5分もしないうちに、つまりはこの駄文を書き終えるころには、エスプレッソを淹れに行くだろう。いつもは浅い呼吸が珍しく深くゆっくりとしている。たぶんリラックスしているのだ。ならばエスプレッソは欠かせないではないか。

そんな土曜日の夜。音もなく更けていく秋の夜。

photo by Eneas

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