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君に逢いに

 会社で支給されていたPCのことを愛せなかった理由は思いつくだけでもいくつかある。まず重た過ぎた。これはいけない。なんといっても何かを新調するときに「軽いこと」を重視する人間にとって、自ら選ぶことの許されない強制支給配布物が重量級であったことは許しがたいことだ。けれども、愛せなかった一番の理由は結局のところ、その会社の仕事の仕方が好きではなかったからだと思う。かわいそうなパソコン。君に非はなかったのだよ(重いこと以外、たぶん)。

 反対に、2021年の年明けに結構奮発して購入した私用PCは、私にとって心近しい友人であり頼もしい相棒そのものだ。大変軽量であるのはもちろんのことだ。さらに特に重視していなかったのだが、たまたま限定エディションでチョコレートブラウンのカラーには、ごくごくかすかなメタリックのきらめきが施されている。そんな個性的なところも、使いこなすにつれとても愛しさが増した。

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 こんなふうに書くと変態じみているかもしれないが、フリーランスの人間にとって苦楽を共にし、すべての仕事に寄り添ってきてくれるのは愛機だけなのだ。それに自腹で購入していると思うと、心なしかやっぱり扱いが丁寧になる。いや、自腹を問わず壊れたら仕事が立ち行かなくなるのでそれはもうソフトタッチにデリケートにいたわっている。たぶん。

 15年もフリーランスでやっていれば、数台のPCの最期に立ち会ってきた。大抵の場合、小康状態をからくも乗りこなしながらある日突然、それは予想もしないタイミングで一発で逝ってしまうことが多い。まだクラウドなんてものがなかったときは、一夜にしてすべてがパーである。もちろん、さまざまな方法でバックアップは取れるけれど。あるときなど締め切りを翌日に控えていた原稿作成の途中でPCが急逝し、徹夜で復旧のために試行錯誤したり問い合わせに奔走するなどしたが、あれって結局どう乗り切ったのか思い出せない。

 ともあれ、私は仕事を始める前にPCを開くときも、今こうやって特段PCに向かい合う必要がない時間帯にあっても、電源をいれ画面に向かうと「ただいま」という気持ちになってしまう。特に、ああ、今これを書いておきたいな、と思ってやさしく穏やかな時間のなかでPCが明るい光を映しだすときなど、少なからず「君に逢いにきたよ」という心持ちをPCに対して抱いてしまう。タイトルに何か色っぽいことをご期待された方がいましたらすみません。

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 本当にたくさん、悲しい日もうれしい日も疲労で粉々になった日も、こうしてPCに向き合ってたくさんの文字や数字を送り込んできた。

 会社支給PCの方が使用時間において膨大になった8ヶ月ほどの間に、なんと驚くべきことが起きた。海外メーカーのそれと、国産メーカーの愛機とでは微妙にキーボードの配置が違っていたのだ。それなので、私用PCで入力するときに指がずれて想定と異なるキーを打っていることが増えた。そのたびに舌打ちをした。だって、圧倒的に愛をもっている自分のPCが基準でなくなっているということだから。指が他人に慣れて、本当に愛する人を傷つけているようなものだ。

 今日は金曜日。夜更けの静寂の時間に「やあ。君に逢いにきたよ」と凪いだ心で語り掛ける。

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