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欲しいのは美しい気配

 昨日、仕事上の知人と3年ぶりに再会したのだけど、待ち合わせ場所でほとんど同時に二人して互いを見つけて寄合い、知人がひどくいぶかしげに私を眺めていた。自分の方は彼女が待ち人と確定したので「いやー久しぶり!」と声を発するのだが、彼女はそれでもいぶかしげに私を見た。

 その後席についてお茶をすすりながら、「…なんか言い方があれですが、ものすごく若返っていらして記憶と違うので『本当に●●さん!?』って何度も心の中で確認したんですよ…」と彼女が言う。今年になって結構な頻度で「若返りましたね!?」と驚きをもって言われるのだが、そのたびに戸惑い、けれどすぐに理由が思い当たるのだった。

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 彼らと共通する職場で仕事をしていた頃、大変なストレスでほとんど鬱っぽくなっていた。無論、人前では微塵も感じさせなかったが1人になると廃人のようだった。一番象徴的なのは、休日に布団から一歩も出られず起き上がることができない日々が続いた。あれにいこう、あれを見ようだのの欲求がまったくわかず、はけ口のように食べ物を口にしていた。あの頃で大幅に体重は増加し、自分でも見た目を気にすることがつらすぎてほとんど諦めきって過ごしていた。その頃に比べたら別人と言われるのも無理はないが、どっちが仮の姿だったのかは今になるとわからない。

 立派な中年太りはおいそれとは解決しないものだから、まだ絞る必要があるけれどあの頃よりはだいぶ痩せたかもしれない。それに当時は仕事のストレスだけでなく、「がんになって娑婆に戻れたのだから、これ以上のことを望んではならない」と頑なになにかを望むことを贅沢だと禁じて過ごしていた。最たるものがお洒落であった。老いていくことに流されていくことを率先して許していたのだ。自分が見た目を装うことは、すごく身分不相応で贅沢なものに思えたのだ。当時よく、「年相応にきちんと枯れていきたい」と口にしてもいた。それはすごく素敵なことだけど、私はそれを醜くなっていく言い訳のようにしていたと思う。

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 現在、私はそのような達観を失いまして(笑)、めちゃくちゃに老いに対抗して過ごしている。もちろん、どうにもならないところは受け入れつつも。力を入れているのは「髪」、「体型」、「肌」だ。当たり前?いえいえ、ディテールが違うんですよ!

たぶん「手の甲」美人度はかなり高い

 たとえば「肌」。たるみやしわはある程度もう仕方ない年齢になった。そのあたりは自分がとりあえずやれる範囲でがんばっているが、ディテールでいうと手の甲の肌にもっとも気をつけている。よく「手に年齢が出る」というが、確かにその片鱗を感じ始めたため、何をおいても手の甲だけは手をかけている。といってもハンドクリームすら塗らないしネイルも無視。顔のスキンケア時におこぼれを手の甲にも施す。「手の甲スキンケアタイム」をちゃんと取っている。おかげで手の甲はホントに驚かれる。

見た目年齢をマイナスするツヤッツヤ髪

 「髪」についてはもうツヤとうねり問題。エイジングでいずれも失われるからだ。先だってうねり問題への解決策は書いたが、同時にツヤも意識している。これについてはプロの手による技術に加えて、これでもかというほどにアヴェダのオイルを刷り込んでいる。でも、うねりとツヤを意識するだけで髪のエイジングもかなり違うことがわかった。白髪とかじゃないんすよ。問題は!

筋トレやめて服の力と柔軟性に頼る

 最後の砦は「体型」だが、これもホント痩せないんでね…。痩せてみえるお洋服選びに長けてきました。また、いっときパーソナルトレーニングで筋トレもがんばったのだけど、結果廃人になって一日を過ごす…などとにかく向いていなかった。ウォーキングはまあまあ続いているが、たぶんそれだけじゃもうダメなんだろうな、と思っていたところ自宅でヨガを始めたことで既に5ヶ月になるが、かなり柔軟性が増して可動域が拡がったことが実感される。そっかー。ハードに何かやるのはもう無理なんだな。毎日続けられることが何か?ってのが自分に合うものなんだな、とやっとわかった次第。

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 いますごく憧れるのは、自然に美しい気配に満ちた人。
 髪のうねりも血管の浮き出た手の甲も、いまのその人らしい健やかさとして感じられる生き方のある人。そんでたぶん、そういう人はムダに脂肪を蓄えていない。すっきりとしているはずだ。

 私なぞまだ煩悩の塊なものだから、生き方が現れる自分を真正面からヨシとはできない。スタイルのある人というのは、生き方が潔くシンプルなんだろうと憧れる。

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