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事実であることに驚愕、ジャーナリストという仕事

 この本について書くのはもしかしたら2回目かもしれない。1度目に読了したとき、「これはすごい本を読んでしまった」と興奮した。契約している会員制ライブラリーで時間が空いたときにふと手に取って、途中で止められなくなりそのまま購入してしまったのが昨年の5月だった。ハードカバー全493ページ、もう一度読もうと決意したのは映画「SHE SAID」を鑑賞して改めて比較したくなったのだった。ローナン・ファロー著「キャッチ・アンド・キル」である。

 再読の必要を強く感じたのは、映画「SHE SAID」に物足りなさを覚えたこと、いくつか事実確認の必要があったからなのだが、その前にごく簡単にではあるが周辺の作品について解説が必要かもしれない。

 まず、ローナン・ファローの書籍は、ピューリッツァー賞を受賞しており、アメリカから始まった「#Me Too」運動の引き金になったもの。当時NBCの調査報道を担当していたファローが会社の了承を得て進めていったハーヴェイ・ワインスタインによる性被害についての全容だ。被害そのものも痛ましく酷いものであるが、震撼させられる点が2つある。ワインスタインが政治家を含む、全米のあらゆる業界中の有力者と強くつながりを持っていることで、妨害、隠蔽、脅迫をされるのだが規模がすさまじい。海外の諜報機関と関連の深い組織が我々の日常にこんなふうに関わっているのか…という事実は単純に恐怖を覚える。

 しかし最大にショッキングな事実は、報道機関であるNBCがファローの調査が進むにつれ隠蔽を主導したことだ。結局、ファローはNBCで発表することができず、ニューヨーカー誌の理解を得てニューヨーカーから発表することになるのだが、このあたりの腐った組織にジャーナリストの正義と使命、個人の仕事がつぶされていく様はすさまじくつらい。

 映画「SHA SAID」は同じテーマを扱っており、ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイがニューヨークタイムズでハーヴェイ事件を明るみにしたものだ。誤解のないように明らかにしたいが、「起きた事実」ではなく「作品(書籍、映像含む)」における比較が今回の論点になる。「SHE SAID」は、ファローによる書籍を読んでからだと内容が薄く感じられてしまった。無論、2時間弱の映像にまとめること、また映像作品にするうえで興行収入含む鑑賞に堪えうる内容にすることなどが求められ、おそらくは原作本よりコンパクトにまとまったのだと思う。また、映画になる時点で別作品という認識が一般的かもしれないし、あるいは「何が起きて誰が何をしたのか」という点を簡潔に理解するには適切な作品であったといえる。

 映画では主題を完全に「女性」に絞って見せた。調査報道を主として手掛ける二人のジャーナリストも女性、家庭と緊迫感の多い仕事の両立にそれぞれ悩む女性記者のパーソナルな姿も見せた。このあたりは実際、「こんなにプレッシャーの大きく生命の不安と背中合わせな仕事をする女性たちも、家庭があってそこでは一人の妻であり、母なのだな…」と思うと、同じ時代を生きる女性たちというリアリティを感じることができた。

 しかし、鑑賞後にものすごく物足りなくなって「キャッチ・アンド・キル」を再読しようと思ったのだった。毎日入浴時の10分だけ読んでいたので思いのほか再読に時間がかかってしまったが、その分以前疾走感で見落としていたことなどもよく見えるようになった。ニューヨークタイムズで会社から全方位的に応援されバックアップを得ながら発表できた二人のジャーナリストと違って、ファローのなんて孤独だったこと!報道畑で信頼してきた上司たち、弁護士たちがどんどんワインスタイン側であったことが暴かれていく。

 ファローはハリウッドセレブの家庭で育ったが、なんとも人生の不思議を感じる出自なのだ。「ローズマリーの赤ちゃん」を代表するミア・ファローを母に持ち、父親はウディ・アレン監督。そして、アレン監督はファローの姉であるディランに性的虐待を加えたことを告発された。姉が被害者で父が加害者という構図に加え、その後アレンはミアと離婚し養女だった女性と入籍をした。今回彼が暴いていく男による女への性加害は、家族に巣くう傷でもありつつ、悲劇的なのはセレブ一家であるために、そのすべては白日の下にさらされているのだった。

 ファローは姉のディランが告発したとき、またその過程においての心境と、取材を進めることで初めて真の変容が訪れていく。彼は巨悪と闘いながら組織の膿みと、家庭の傷、両方に向き合うことになる。

 最終的にニューヨーカー誌で発表後、それこそ映画のような大どんでん返しがファローに起こる。同じメディア界隈が一斉にNBCを非難、さらにはNBC自体が長年にわたり女性従業員に行っていた性加害すらもファローは明るみにしたので、組織の病巣を一掃していくことになる。

 多くの女優たちが、ニューヨークタイムズの女性記者らよりもファローの取材に応えているのは、おそらくハリウッドに精通していること、そして家族内で性被害者がいることなどから「商慣習(ハリウッドの映画産業)」への理解を信じたのでないかと思う。多くの被害者らは「そんなところについていくなんて自分がばかだった」、「話してもおまえが悪いと言われると思っていた」といった自責の念が強く、おそらくこのあたりの話を秀才に違いない女性報道記者に語るよりも、男性であってもファローこそ理解してくれると感じたのではないか。

 書籍全編が真実のみの緊迫感に貫かれ、「こんなふうにして世論は操作されてしまうのか」とか、上層に上がれば上がるほどみんなつながりあって利益を享受しあっている社会への驚きと恐怖、一般私企業が金さえあれば国家をまたいだ諜報活動ができてしまうことなどに震撼する。
 この緊迫感を弛緩させずに提供した訳者の関 美和氏にも驚嘆する。

 ジャーナリズムと組織、という観点でぜひ多くの人に読んでほしい一冊だ。

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