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コンタクトレンズの望郷

 寝不足の朝、コンタクトレンズを受け入れようとする瞳は気の毒でならない。全力で拒否しているのが伝わってくる。基本的に外出する日はメガネをかけないので致し方ない。時折、コンタクトレンズというものに意識を向けると、必ずセットで思い出す方がいる。海外資本のコンタクトレンズメーカーの広報担当者でいらしたAさんのことだ。お目にかからなくなって久しい。その事実を思うと、自分の不義理ぶりに胸がしわしわとしてしまう。

 かつて広告代理店に勤務していた20代のとき、自分はなんとまだ裸眼で仕事をできていた。厳密に言うとメガネを持ち歩き、どうしても見えないケースがあるとかけるなどしていた。嘘みたい!そもそもがコンタクトのように目の中に異物を入れるなんて、自分には絶対無理だと信じ込んでいた。なにしろ、脈拍を自分で採ることもできないくらい、体の仕組みがこわくて仕方ない性質だったからだ。←イマモ

 しかし私は、自分が担当したクライアントのサービスや商品は積極的に使っていくことにしており、当時カラーコンタクトが誤った使い方をされ始めたことで眼病問題などが起き、これをきちんと医療用具としての使用方法を伝えつつ、メイクアップのようにOLさんに日常使いしてほしい、というメーカーの意図での広告展開に携わった。何しろ大昔の話なのだが、今まさにそのように根付いていることに感慨深く思う。
 けれどここで難問が訪れた。コンタクトレンズ未経験者の自分がいきなりカラコンを使用する必要性が現れたのだ。ちなみに、携わった商品を必ず買って使用するというのはすべての代理店マンのポリシーではないので、いやならやらなければいい話でもあった。

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 そういう背景から、媒体社の方が間を取り持って、メーカー広報Aさんと引き合わせてくださり、そのまま指定の眼科・販売所へ連れていってくださった。元々は媒体社の方とAさんは出稿量が多いことから非常に仲が良い間柄だったので、初めてのレンズ装着を前にナーバスにドキドキしている自分はいないも同然となりながら、二人は和気あいあいとおいしいお店の話題などで盛り上がっていた。信じられないことに、自分はレンズ装着に2時間かけてしまった。あまりに怖いし、単純に入れることができず失敗の連続。
 
 やがてお二人は「がんばってください」と半ばあきれ、私を置いて昼食にと連れ立って消えた。なんとか半泣きと心苦しさで装着したレンズの色はグリーンで、色展開はブラウンとシルバーが他にあった。その日から私は、広告で謳うとおりに「安全にOLさんの普段使いカラコンライフ」を始めたのだった。念のためにいうと、瞳の色をシルバーとかにして会社出勤しているのはまあまあおかしいのだが、得意先商品でもあり会社もなんにも言わなかった。そして私は完全にカラコンにハマった。今のお若い方々には信じられない話だと思うが、これは20年ほど以前の話なのだ。意外に長いんですよ、カラコンの歴史は(笑)。

 そうした私の姿勢を見て、Aさんは次第に媒体社の仲良しさんよりも私に個別のお声がけをしてくださるようになった。おそらく10歳以上年の差もあり、妹分のようにかわいがってくださった。私はと言えば、彼女の外資で生き抜くプロ仕事人ぶりにも、プライベートの豊かな過ごし方にも憧れて、心地よくどこにでも付き添った。さっぱりとした気性の女性で、べたべたとした付き合いは好まなかったが、意外なところで少女のようにかわいらしいところがあった。ゆえに生意気な自分もお付き合いしてあげている、といった気持ちのケースも多々あった。映画を一緒に観に行ったり、出版社に転職してからはメゾンのドレスなどもたくさんお古でいただいた。連日のパーティーや新商品発表会に着ていく服がない、と私が言ったのでせっかくくださったのだが、会社のロッカーに入れておいたらある日すべて盗まれていた。

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 連絡を取り合わなくなったのは、お目にかからなくなったのは、いつくらいからだったろう。厳密には思い出せないが、いずれにしても理由は自分の方にあったはずだ。出資を受けて会社をつくったころ、自分に課していたのは「かつての有名な会社にいた時代に知り合った人に、私から連絡をしない」というものがあった。それは、みんないい人だから私の力になろうとしてしまうからだ。好きこのんで勝手にベンチャーを創業した変人の自分(創業した事業が当時としては極めて異例であったから)が、そうしたいい人たちの心に負担を与えることは絶対にしてはならないと思った。
 仕事として安定し、連絡をしても彼らにへたな気を遣わせないようになるまでは連絡をしない、と決めて、次第にたくさんの縁が潰えていった。彼女は、そのうちの大切な一人であった。大好きだったから、迷惑になりたくなかったのだ。

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 あれからたくさんの時間が経った。彼女の方でも転職をなさって、令和の時代にカラコンはもう当たり前の社会になっている。今どうなさっているだろう。まちがいなく充実してお過ごしのことだと思う。だってそういう方だったから。かなしみも苦しみもちゃんと内包してそれでもなお、日々を慈しむ才能のある女性だったから。

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