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マロニエと夏服を着た女たち

「マロニエのみどりが本当に美しいですね」と言いかけて、やっぱり、と口ごもる。口に出さぬのが正解、と思いなおすのだ。これをもう幾たびも青山通りを抜けるタクシーの車中で繰り返している。

言い淀むのは運転手さんはよそ見なんてしていないから、マロニエが輝くばかりの美しさだなんて知る由もないため、わたしの不用意な言葉によってあわててよそ見などしたら大変だからである。それなので、「あっ」と思って心のうちに再度押し込められていく。

乗り物のなかで文字を見ることがとても苦手で、てきめんに車酔いするのでひたすらに流れる景色に目を向けている。戻ってきた街の賑わい、夏服になっていく人々の群れ、街路樹の生命力とか、そういったものが眼前を次々に通過していくのが楽しい。

この季節になると、アーウィン・ショーの「夏服を着た女たち」という短編を思い出す。小説で描かれる、移り気で浮気、無邪気な男性心理はおそらく世界中の女性をかなしませるはずだが、車窓に次々と写す夏服を着たいろんな女性の姿を見るのは同性であってもなぜか心躍る気がする。若い女性だけでなく、幼い子ども、お年を召した方、夏服に着替えた女たちはライブ感に満ちていてマロニエのみどりのようにとても美しい。

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