見出し画像

日常の灯

 どうにも仕事が手につかないので、夕方も近くなってから執務スペースに移動してきた。それなのに気分が乗らないまま、つい窓際に陣取ってその切り抜かれた大きな空が刻々と色合いを変えていくのを飽かず見ている。

 窓が映す光景は見事に上と下に世界を分かち、上空は神の御業により、下界は人の手に依る。この一体化した世界のなんと感動的に美しいことか。
 初夏のような4月の終わりは、まだ日が落ち切らず夜の気配はいまだ薄い。けれどこの時間帯ならではの都市の貌があり、少しずつ少しずつ、灯りがともりはじめる。それはまたたくようにきらめいていて、ガラス質の外壁を持つ高層ビルに反射してさらにきらきらと光りを放散する。

 ビルの向こうに見える海は、さっきまで強烈な青であったが、もうあとしばらくもすれば闇に溶けて姿を見失うだろう。そうこうしているうちに東京タワーにも光が入った。あの、見慣れた橙色の躯体がろうそくのように存在感を顕し始めた。ああ、空の色がいよいよ昼に別れを告げる。

 金曜日なのだな、と思わせるのは眼下に伸びる渋滞の車のライトが群れを成しているから。たいへんだ、ほとんど動かないではないか。そうだ、月末の金曜日で、人によったら超連休の入り口だものな。東京でもっともやさしい色は、道路に点滅する車のライトが発する光だと思う。

 上空から下界を眺め、本来は無機質な固体である車の群れが、のっそりと動く有機物のように思われるときなど、「客観視」ってこういうことかしら、とよく思うのだった。

 夜はまだ若い。(好きな文句でよく登場させてしまう)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?