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私を蘇らせる「コープスリバイバーNo.2」の夜

 概ね昨日仕事は終え、今日は月末事務処理のみにしている。さらに開始も午後からとだいぶ既にモードを休日にシフトしている。けれど、そうしないとまだどうにも年の瀬という実感も持てないままでいる。しかし今宵は私的セレモニー「サントリーホールで第九」が待っている。

 ◇◇◇

 昨夜、今年最後の忘年会を20歳ほど年下の青年と二人で行った。彼とは5年ほど前に非常に重たい仕事をアサインされ、たった二人で大海を小舟で手漕ぎしつつ、命からがらわたりぬけたような日々を過ごした。年の差を感じることは感じるけれど、こと仕事という場において垣根なく同志のように文字どおり二人しか頼れるものが互いにいなかったこともあり、信頼関係が続いている。
 また、当時その職場で自分はリーダシップ研修を主宰してもおり、総勢50人ほどはマネジメント職へと導いた。彼はそのなかでも大変熱心に講義に参加をし、飛躍的に成長していった。そういう関係もあり、当時の社員の幾人かは私のことを今も師匠とか呼んでくれたりする。

 どちらかといえば家庭の環境が特別であったことで、まっすぐに育ちつつも暗い影のようなものが一瞬差す彼は、成長欲求も人並みにあれど、いちばん求めているのは誰か近しい人に指導されたり褒められたり、成長の過程を共にしてほしい、という願いを持っていると思う。そこに、大きな年の差があり、かつ自分自身がそれらの傷みをわかりすぎるほどにわかる私なので、なんとなくずっと、師弟関係のような間柄でいながら、あまりの年の差がうまく奏功して、気兼ねなくいろんな垣根を超えた話ができる不思議な縁になっている。

 二人とも仕事が昨日は多忙で、夜がまともな食事の機会としては初という感じでその日を迎え、カウンター席で思いつくままに食べて呑んでし、最後にふと「よぉ食べた…」とつぶやく私にカウンターの向こうからスタッフさんが「ほんとですね(笑)」と反応したほど。

 長い自粛期間を経て、我々はもう以前ほど酒を飲めない。その店でもかつてと比較したら驚くほど酒量は少なく、ただ心地よく今年一年の仕事の話をしあっていた。店を出ても22時半、どちらからともなく「もう一杯だけのもう。いつものあそこにいくか」となった。二人で食事をすると、たいていまだ名残惜しくて近くにあるバーに行き、本当に一杯だけ飲んで帰ることになっていた。昨日もそのようにして、場所に似つかわしくないほどクラシックでオーセンティックなバーに立ち寄った。

 私は海外文学や映画などで登場するカクテルにチャレンジすることがバーを訪れたときの楽しみで、「コープスリバイバーNo.2」をぜひとも飲みたいと思ってきた。バーテンダーが存在するバーであればどこでもつくれると踏んでいたのだが、かつてワクワクとしてそれをオーダーしたときにバーテンダーは「え?ごめんなさい、わからないです」と言った。衝撃である。さらにスマホで検索しながら、「えっと、検索しながらならつくれます!」とまで言われ非常に落胆して辞退したことすらある、クラシックな飲み物である。

 昨日はまちがいなくそれが飲めるとわかっており、オーダーすると隣の連れの坊主も「じゃ、僕も同じもので」と言う。それは賢い判断だ、なんせこれほどの年の差がある人間がここまで熱烈に求めていて、おいそれと機会が訪れないことも話しているのだから、乗らない手はないだろう。

 ちなみにコープスリバイバーとは「死者を蘇らせる」という意味で、文字通り非常に強い、いわばカンフルのような酒だ。No.1~4まであり、それぞれ当然レシピが異なる。そのなかで私がNo.2を求めたのには、アブサンという酒が配合されているからだった。 
 アブサンは薬草でできたリキュールであり、それだけで極めて魅惑的だ。ニガヨモギ、アニス、フェンネルなど複数の薬草を漬け込んでいて、もうそれだけで味見したくてたまらなかった。コープスリバイバーNo.2は他にもコアントローやジン、リレ、レモンジュースでつくられる。

 そのバーはバーテンダーが世界大会で入賞経験もあり、非常に小さな店であるが素晴らしく雰囲気がよく、清潔感に満ちている。また、葉巻とウィスキーがブレンドされたような香りがほのかに漂っていて、なんとも蠱惑的だ。私はここに、大切な人しか連れていかない。大人の場所なのだ。そこで出てきたコープスリバイバーNo.2は、気付けになるほど強いとは思えない爽やかな見た目であった。グラスに鼻を近づけるとふわりと複雑な香りがした。

 おそらくはアブサンの持つ薬草由来の香りであろうが、それはごくごく控えめでありレモンの爽快さが前面にいる。ひと口喉を通るとき、じゅっと焼けるような刺激がわずかながらあるが、概ねギムレットほどの飲みやすさである。しかし、我々は用心深く水をちょびちょび飲みながら、時間をかけてそれをいただいた。もちろん私がバーにくると必ずオーダーする生チョコレートと共に。

 暖色のあたたかな灯りに、仕事を愛するバーテンダーが磨きぬいたバカラのグラスが並ぶ。ホリデーシーズンの赤やゴールドの小さなオーナメントがたたずまいに季節を伝えている。おいしく大切に一杯を飲み干し、外に出ると12月の風が吹いていた。二人して「来年もまた、旨い酒を飲もう」と言い合って別れた。坊主はこう付け加えた。

 「旨い酒、と言えるような毎日を送りたいと思います」。

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