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くるみ割りのファンタジー

 念願が叶って、中2と小6の姪っ子(引率の姉も)をバレエ鑑賞で東京に招待することができた。もちろん、姉家族の住んでいる地域でもバレエを鑑賞する機会は充分にあると思うが、こうしたことに支出をする選択についてはまた別問題である。なにしろ、それ以外に子どもを育てあげるお金が膨大なんだから、舞台鑑賞が優先されることは難しい。そこで独身の自分が気まぐれのようにして招待してみる、というイベント事に映れば、これはなんとかなるのではないか、と思った。単純に若い感性がみずみずしいうちに、本物の芸術に触れる機会をあげたかっただけなのだが。

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 バレエと歌舞伎、いずれも総合芸術である。体と技を鍛えぬいた人間による舞踊と、舞台美術、楽団による生演奏。これらが集大成され一度に眼前に供されるわけだ。歌舞伎は言葉の問題があっても絶対に生で鑑賞したら楽しめるとは思いつつ、姪っ子らはピアノをずっと続けているのでまずはバレエだろうと思った。そしてなにより、クリスマス時期に「くるみ割り人形」をみせてあげたかったのだ。あんなにロマンチックにクリスマス気分を味わえる演目もないのだから。

 夏過ぎから猛烈に働いたおかげで手元に少し余裕があった。そこで姉に招待を申し出てみた。そしてそこに、引率という役割を与えて姉のことも招待したい気持ちがあった。今までの感謝と、そして彼女にも気晴らしになればと思ったのだ。この話を現実にするには、なにはなくともご夫君の承諾がいる。義兄はかなりの家庭人であり、週末はほとんど家族でできる楽しいイベントを企画している人なので、貴重な土曜日をわけてもらえるかどうか?そして東京にわざわざそんなことのために(人によってはそんなことだろう)、送りだしてくれるかどうか。姉は当初少し不安がっていたが、わりと簡単にそのハードルは超えられたようだった。

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 23日、はじめて3人で電車を乗り継いで彼らはやってきた。初台の新国立劇場である。ひとつ自分がうっかりしていたこととして、いつも座席は1枚とるものだから、結構時期を逸してもなんとかなった。しかし4枚つづり、連続した座席が取れないのだ。結局3階席になってしまい、叔母である自分は若干落ち込む。彼女たちにもっと良い席でダイナミックな舞台の迫力を感じてもらいたかったからだ。

 開場し、開園までのあいだオーケストラは練習や音合わせをしている。ピアノをやっている姪っ子らが近くで観たいというので、3階席から小走りで1階に移動し、オケピットの前でのぞきこむ。興味深く間近でプロの演奏者を眺める彼女らの横顔を見れてすでに私はうれしい。その後、ふたたび3階席に戻り開園を待った。

 くるみ割り人形は何度もホリデーシーズンに観ているが、不思議と今回一番集中して観れたと思う。有名なチャイコフスキーによる軽快な音楽に、ふわりふわりとダンサーが舞う。鍛え抜かれた筋肉や体幹の強さがそれを可能にしている。夢の世界のような舞台美術が素晴らしく、舞台の遠近がわからなくなるほど奥行きを生み出している。演劇部でもある中2の姪っ子は、舞台美術についてもしきりと感想を述べていたのでこれもまた収穫であった。

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 見ない間にまっすぐにすらりと伸びた脚を見て、3頭身くらいのあかんぼ体型のおちびたちはもう脱皮されて消えてしまったのだ、と思った。まだまだ幼いのだが、少女と呼ぶにふさわしい彼女たちはなんとも可憐で愛に満ちた存在に思われた。そして、それを姉と義兄が賢明に育てた日々を思った。

 姉が予約していたスイーツの食べ放題の店でたらふく飲食をし(私はこういうところと縁がないので早々にギブアップしていた)、驚くべき量のケーキをどんどんと胃袋に流し込む3人にたまげつつ、あっという間に別れの時間となった。

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 姉が、「私たち夫婦にはこんな体験をさせてあげることなんてできないから、本当に本当に感謝している」と言われた。これはいろんな意味が隠れていると感じていて、単純にお金のことではないのだがお金の事でもあると思う。たぶん、ディズニーシーに行くお金は出せてもバレエ鑑賞に出すお金は難しいとか、家庭の考え方なんかもあるからだ。無論、私にとっても4人分のチケット代は安い買い物でもないし、姉も東京に子どもを連れてくることをそう何度もは許可されないだろう。だから、とても貴重な1日だった。

 駅まで送り、あわただしく去っていく一同を見送りながら、くるみ割りのファンタジーが自分をまだぼんやりと幸福にしていた。そしてそれを愛しい者たちと共にできたことの幸福にも、感謝をした。

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