見出し画像

【紹介】村上龍著『限りなく透明に近いブルー』【こうやって読むとすごさがわかる】

 いいかよく見ろ、まだ世界は俺の下にあるじゃないか。この地面の上に俺はいて、同じ地面の上には木や草や砂糖を巣へ運ぶ蟻や、転がるボールを追う女の子や、駆けていく子犬がいる。
 この地面は無数の家々と山と河と海を経て、あらゆる場所に通じている。その上に俺はいる。
 恐がるな世界はまだ俺の下にあるんだぞ。(作中より引用)

はじめに

 村上龍は村上春樹と同時期にデビューした大型新人として、「W村上」なんて呼ばれ方をしています。しかし、そこに描かれる世界は村上春樹とはまったく違った作風と意味合いを持ち、多くの読者を魅了しています。

 ここでは村上龍のデビュー作であり選考委員の混乱を招いた『限りなく透明に近いブルー』の持つエッセンスの話をします。それはそれは局所的なお話をします。ストーリーにはほとんど触れませんのでご了承ください。

ここがすごい

 作品の内容は、まさにドラッグ、セックス、バイオレンス。登場人物たちはパーティーという名の不純異性交遊に興じたり、過激なロックフェスに行ったり、人を殴ったり、つねにドラッグで酩酊し、いやってほど血が流れ、しょっちゅう嘔吐します。ドラッグのバリエーションは豊か。ヘロイン、マリファナ、モルヒネ、LDS、メスカリン、ニブロール、ハシシ。反社会的な若者のオンパレードです。

 すでにお腹いっぱいの方もいらっしゃるかと思います。露骨な性描写、暴力描写が苦手な方は半分も読めないでしょう。でも、そこじゃないのです。純文学作品においてストーリーなど作品の容器、ラッピングに過ぎません。私も初めて読んだ時は、ときどき覗く感傷的な描写にドキリとさせられることはあるものの、そこまで深く読み込むことができませんでした。しかし、巻末の今井裕康さん(今は三浦雅志さんと名乗っている)による解説を読んで、パズルのピースが嵌るような快感を覚えた記憶があります(平凡な比喩で申し訳ない)。そのすごさの一部を解説して行きますが、ほとんど今井さんの解説で事足りてしまうので、それ以外のところを中心にいきます。

 当時、新人賞の選考委員の間で賛否が分かれたそうです。この作品を受賞させるか否か。ただ一点に置いて選考委員の意見が一致しました。この物語は「清潔」であると。清潔とは何か。例えば以下の文章。これはリュウがヘロインを打った後の描写です。

レイ子を呼ぼうと思っても喉が攣れて声が出ない。煙草が欲しいとさっきから思っている。そのためにレイ子を呼びたいが口を開いてもかすかに声帯が震えてヒィーというかすれた音がするばかりだ。オキナワ達がいる方から時計の音が聞こえる。その規則正しい音は妙に優しく耳に響く。目はほとんど見えない。乱反射している水面みたいな視界の右の方に痛く感じる眩しい揺らめきがある。(作中より引用)

 ここには主人公の視覚、聴覚情報に加え、感情と事実が書かれいますが、どれも平坦で現実味を伴っていないのです。もう一歩掘り下げてみると、上記の文章は、「出ない」「思っている」「聞こえる」「揺らめきがある」のように、現在系だけで構築されています。主義文学(前回の記事参照)のように物事を客観的に描く手法が用いられていますが、それ以上に、事象に対するあらゆる意味を排除し、言葉や風景、感触を外部刺激のひとつとして均等に描いているところが、「清潔」にあたるのです。この描き方では、感情が優位になることも、描写が優位になることもないのです。これはいわば、美術でいうところのキュビズム的であり、わざと奥行きのない描き方をしているのです。

 他にも、本来句点(「。」ですね)が打たれる場所に読点(「、」)を入れることで文章に疾走感を持たせたり、鉤括弧(「」)を取り除いて会話文までも客観的事実に落とし込んで混沌を強めたりと、よくよく観察してみると、文章に潜んだギミックが随所に見られます。

 そして、手法の斬新さで終わらないのが村上龍のすごかったところ。
 後半になると、幻覚なのかただの感情の発露なのかわからないくらい混沌としてきます。言ってしまえば徹底的に意味を排除した描き方は、クライマックスを際立たせるための布石なのかもしれません。例えるなら、登りの長いジェットコースターみたいな感じでしょうか。

 主人公は「大きな鳥」が見えると言い出します。もちろん、そばにいる恋人には何も見えないのです。これが何を意味しているか……という部分は是非、その目で確認して、想像を膨らませていただきたいと思います。正解が書かれていないのが文学作品の面白いところですね。

余談

 村上龍は昔、ピーターキャットという村上春樹が経営していた千駄ヶ谷の喫茶店に足を運んでいたらしく、二人はもともと知り合いだったらしいですね。二人はお互いに尊敬し合っていて、村上春樹が龍の『コインロッカー・ベイビーズ』に影響を受けて『羊をめぐる冒険』を描いたことは有名です。

 村上龍と村上春樹がてっぺんで再会したように、私もいつか切磋琢磨している地元のマジシャン達とてっぺんで再会できればと思います。



この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?