【紹介】武者小路実篤『友情』【男の友情と三角関係】
これまで海外文学を中心に紹介していて、今回も本当はヘルマンヘッセをやるつもりだったのですが、甘いものばかり食べているとしょっぱいものが食べたくなる心理ってやつで、日本の古典文学をやってみたいと思います。私は明治から大正にかけての文学が特に好きで、その中からもっともエンタメ性の高い作品をひとつ紹介したいと思います。
日本の文学って何となくじめっぽいイメージを持っている方多いんじゃないですかね。芥川龍之介とか太宰治の影響が強いのかもしれないですね(思い込みです)。でも、じつはエンタメ性の高い作品たくさんあります。海外の作品のように、その文化とか設定を理解する手間もなく、すっとストーリーに入り込めますし、とくにこの『友情』はおすすめ。
著者紹介
武者小路実篤、明治終わりから昭和の初めにかけて活躍した作家です。影響を受けた作家は夏目漱石、ロシアのトルストイ(後に脱トルストイしてます)、フランスのメーテルリンク(『青い鳥』が日本では有名)などですね。作品には『友情』とか『真理先生』といった作品があります。
武者小路実篤は雑誌「白樺」を刊行していた「白樺派」と呼ばれるグループのリーダー格的存在です。白樺派——国語や社会の授業で必ずやるので、名前だけは聞いたことあるはずです。この派閥とか系譜とかの話を余談でしたいと思います。
ストーリー
主な登場人物は売れない脚本家である主人公「野島」と、新進気鋭の作家「大宮」、そして二人の友人の妹「杉子」の三角関係を描いた作品です。タイトルの通り、友情を中心に描かれた熱いあつい恋愛小説です。
主人公野島は友達の妹杉子に恋をします。この杉子、16歳とまだ幼いのですが、その美貌からいろんな男子にアプローチされるので気が気ではない主人公。彼は親友の大宮に相談に行きます。彼はそれはもういいやつで、野島を励まして褒めてやるのです。そんなに美しくて器量のいい女性は君の奥さんにぴったりじゃないかと。自分の作品が売れずに落ち込んだ時も「君は前に復讐を受けているのだ」(未来で必ず成功するから、今は我慢の時ですよ)と励ましてくれる。めちゃくちゃいい男です。
単純な野島は恋愛でのぼせ上がっています。こんな感じ。
「このよろこびは何処からくる。これを空と云うか。空にしてはあまりに深すぎる。彼女の美しさは何処からくる。これを空と云うか。それにしてはあまりに美しい。彼女は何処から来た。何の為に来た。彼女の存在を空と云うか。空にしてはあまりに清い。すぎゆく美か。それにしてはあまりに貴い。魔力か、魔力か。それにしてはあまりに強すぎる。愛しないではいられない、失うわけにはゆかない。断じてゆかない。神よ、あわれみ給え。二人の上に幸福を与え給え。神よ、私を彼女に逢わし、かくまでも深く恋させて下さった神よ、彼女を私から奪いはなさりますまいね。それはあまりに残酷です」
ただね、この野島、とても器が小さいのです。
ある日、杉子一行が鎌倉に旅行に行くということになりました。そのことを知った野島は、大宮の別荘が鎌倉にあることを知っていたので(大宮は金持ちの息子なのです)、遊びに誘います。そこで当然のように杉子たちを合流します。海水浴をしているときに早川という杉子を狙っている男子と彼女がイチャイチャしているのをみて、「あんな女は豚にやっちまえ、僕に愛される価値のない奴だ」と心の中で思っちゃったりするんです。
さらに杉子が神様のことを野島に尋ねました。野島は神学とか哲学とか、その分野に精通していたのですね。周囲の人間のナイスアシストによって、いいところを見せるチャンスだったのに、早川にちゃちゃを入れられて怒って場を白けさせたりする始末。
落ち込んだ野島は早朝の海に来てしょぼくれながら水切りをします。「よーし、この水切りが奇数回だったら二人はまた一緒になれる、偶数回だったらダメだ……あ、まって今のなし、ルール変えよう、波打ち際に杉子の名前を書いて波に消されなければうまく行くことにしよう」と意味不明な願掛けをしている一方で、大宮の考えていることのかっこよさ。こんな感じ。
「僕は今波のりしながら考えたよ。波は運命で、人間がそれにうまくのれると何でも思ったように気持ちよくゆくが、一つのり損なうといくらあせっても、あわてても、思ったように進むことが出来ない。賢い人だけ次の波を待つ。そして運命は波のように、自分達を規則正しく、訪れてくれるのだが、自分達はそれを千に一つも生かすことが出来ないのだ。それを本当に生かせたら大したものだって」
野島の杉子への好意を表すなら、ちょうどクリープハイプの「おやすみ泣き声、さよなら歌姫」みたいに好きだ好きだという割に細かいところまで見てない、一方通行の恋です。他方、大宮は杉子の歌声や手の美しさ、内面の美にも気が付く。
売れない脚本家でひょろっとしていて、すぐ感情的になる野島と、新進気鋭の作家で、体格もよく、金持ちの息子なのに、それを自慢することもなく友情を優先する硬派の大宮、自分が女性だったら間違いなく大宮を選ぶでしょう——杉子さんもそうでした。
大宮は敏感ですから、すぐに彼女の好意に気がつきました。ところが大宮、友情を優先すべく一人パリに行ってしまいます。このままだと杉子とますます近しい関係になることを察したのですね。なんて良い男なのでしょう。野島は大宮がいなくなってしばらくしてから彼女にプロポーズをしますが、呆気なく撃沈。その後明らかになったのは、じつは、大宮を慕う杉子とパリの大宮との間で秘密の文通が行われていたのです。それが何と出版されて、野島の知るところとなります。いろいろ恥ずかしい。その手紙の中で明らかになったのは、大宮は野島より先に杉子に恋心を抱いていたのです。ただ、野島との友情があるので、自分の感情を押し殺してまで野島の後押しをしてやっていました。つまりこの二人は最初から相思相愛だったのですね。しかし、次第に自分の感情が抑えられなくって、最後は親戚と一緒にパリに来ている杉子を迎えに行くというところで手紙が終わります。野島は杉子と大宮を同時に失い、泣き崩れます。
……と、こんな感じで、ポップな作品が、じつは日本の古典には多いですよ、というお話を今回はしたかったのです。
最後に
学生の頃海外文学にハマって、そろそろ日本の古典に手を出そうかなと思ったときに、ふと記憶をよぎったのが「脊椎カリエス」というワード。中学の時に教科書で読んだこのワードが記憶にへばりついていて、インターネットもあったので検索しました。すると志賀直哉の『城の崎にて』という作品がヒットしました。
どんな話かというと、モデルは志賀直哉自身であり、里見弴と線路沿いを歩いていたら山手線にぶつかって大怪我をし、医者から「脊椎カリエス」という脊椎にバイキンの入る病気にならなければもう安心だよと言われて、その療養のために城崎温泉の旅館に泊まっていた時の話です。窓を叩いていた蜂が死んで雨で流されたり、針金を刺されたネズミが子供らに虐められていたり、驚かす目的で投げた石でイモリを殺してしまったりと、自分の大怪我も相まって死というものを身近に感じたよ、というお話しです。
これがものすごい衝撃的でした。調べてみたら志賀直哉は白樺派という一派に属していたのだと知り、その辺りを舐め回すように読んでやろうと思った矢先に出会ったのが、この武者小路実篤でした。
というだけのお話です。
長々と失礼しました。
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