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グラフィックが綺麗なだけのゲームは本当につまらないのか? 〜スクエニとよもぎもち〜

僕自身言うと「グラフィックムービーだけのスカスカの内容のゲームはつまらない」という一種のプロパガンダ的なコピーに扇動されていたような気がする。

というのも、この歳になって自らの意志でビデオゲーム(日本ではTVゲームという言い方が主流?)のゲームソフトを選び、態々高い金を出して購入するに至ってからこそ環境的にもやっと落ち着いて考えられるようになったからだ。

そもそも「グラフィックが綺麗」とはどのようなものを言い表すのか?

そして逆に「グラフィックが汚い」とはどのようなものを言い表すのだろう?

先ずその定義から検証していこう。

グラフィックが綺麗、というとどんなものを想像するか?これはほぼ一般論なのだがスクウェア・エニックスさんの作品を浮かべる人が多いのでは無いかと勝手に推測する。


もとい、スクウェアさんはファミコン初期からグラフィックには力を入れており、大看板であるファイナルファンタジーの何作目かに至るまでには「そこそこ知れたメーカー」であり今のような地位になるとは殆どの人は思わなかったのではないかと思う。「トム・ソーヤーの冒険」という版権モノの作品も手掛けていたのもお若い人にとっては意外ではないだろうか。

そもそもファミコンのグラフィックというのは現在の最新機のグラフィックに比べれば「ドットが荒い」「チープ」だという先入観を持ってしまう人だっている。今ならね

だけど、当時は「画期的なグラフィック」だという判断だったから持て囃されていた。

要するに「ドットが荒い=チープ=汚い」という基準になるのだろうか。それもまたおかしな話になってくる。ドットの荒い3Dキューブのマインクラフトは汚いグラフィックなのだろうか。それもまた「違うだろ」という結論になってくる。

「グラフィックが綺麗」というのは、これまた一般論に近いが「精密に描かれている」という事に至る。「綺麗」という評価に至るまで「精密に描き、錆びれた部分まで描いて美しさの部分と対比させる工程を得て」という経路があるのではと思う。見ている御本人は潜在意識としてそれを受け取っている筈である。

グラフィックの章は此処までにして。

グラフィックが良いゲームは面白いか?というこれまた主観を求める広義の話になってくるが、結論から言うとグラフィック精密でないゲーム(フリー素材として配布されてるグラフィックを使い、ゲームというアプリケーションとして完成させても)でも、主観が「面白い」と言うのであれば面白いのである。

恐らく「商業」の部分が絡んでくるため「お金を出して買いたいと思わせるか」の部分としてグラフィックが最高峰になるのが大きな要因だろう。流石にフリー素材では絵として売り物になるかが難しいから。

ゲームは実際に遊んでみないとわからないもので、実際に遊んだらつまらなかった=地雷=グラフィックが綺麗だけではつまらないという図式になる。

だけどグラフィックは所詮見た目なのでグラフィックには何の罪もないのだ。だって見た目で選んだのだから。

またスクウェアさんの話になるが、グラフィックに拘り、一時期は映画製作でとんだ大赤字を抱えエニックスさんと合併する事で命を取り留めたぐらいグラフィックに拘った理由はそれなりに重みがあり大切なものだったのではないかと今更ながら思う。

ソフトウェアの売り上げに直結しないと次の作品が作れず、一部の界隈で「昔こんな素晴らしい名作があって」と語り継がれるよりかは、「どんな作品を作ればたくさんの人に喜んで貰えるのだろう」と策を練り今日に至る道を選んだのだと思う。無論前者が悪いのではなく、これはメーカー自身の選択だから。

嫌な話をするが、スクウェア・エニックスさんの出版部と言えば「幸色のワンルーム」というTwitterで一部話題になった漫画作品をコミックス化し実写ドラマ化してしまうに至る事もあった。

あれは僕自身も抗議に時間を費やし早い段階でpixivのトップバナーから外して貰い、実写ドラマのスポンサーに抗議電話を行ったものだ。(TVドラマ番組はスポンサー攻撃が一番効くのである。何かに抗議したい方はご参考に。)

「幸色」の何が問題かは話が逸れるので此処では書かないが、当時「NieR:Automata」に少しばかり興味関心が湧いてきた僕自身としては出版部門の「幸色の表現の自由は守る」という態度には落胆し怒りを覚えたものである。

他「りゅうおうのおしごと」の『ハイエースする?YESorNO?』というロリコンホイホイのポップまで検出されたので最悪だった。(※ハイエースする=未成年者誘拐の隠語)これはハイエースを販売するTOYOTAさんの顔に泥塗るネットスラングであるためそれを含め抗議させて頂いた。ちなみに僕はロリコンもペドフィリアも一切寛容していない。NieR Re[in]carnationのフィオちゃんですらロリって言われると「ビキッ💢」ってなる。(ロリコン用ラブドールについても性依存・女性蔑視への販促グッズだと思ってるのでその手の異論者は僕に気を付けた方がいいよ)

しかし、抗議の結果大阪での放映は止められなかったものの東京の放映は中止。pixivコミックも「未成年者に誤解を与えかねない(性的な部分で)危うい表現の作品」ではなく「ブラックな部分を抱えつつもコミカルな作品」and「全体的にほのぼのな作品」をプッシュするようになっていく経緯があった。実際「うらみちお兄さん」「極主夫道」は購入して楽しませて頂いたし、消費者の声というのは本当に大事である。

そして少し落ち着いた頃、Youtubeおすすめ動画にNieR:Automataプレイ動画が出てきてそれを見る機会があった。


「何なんこれ、アダイブ悲しすぎんか😢」


という印象を持った。なんの事かは様々な事情を踏まえてこの文面だけにしておくが、とにかく大きな悲しみに包まれたゲームなのだと認識した。

スクウェア・エニックス出版部門さんの大きな失態があったにも関わらず、スクエニを毛嫌いせずNieR作品に向かい合う事ができたのである。

大きな痛手を負ったとしても、グラフィックに、音楽に(※NieRシリーズは音楽が本当に素晴らしいので是非Youtubeで聞いて欲しい)拘って拘って拘り抜いた結果が見事に実を結んだのだ。

シナリオ原案者でありプロデューサーであるヨコオタロウさんの世界観はこのグラフィックと音楽があってアクションが少々不得意な僕でも取っ付き易いゲームシステムがあってこそ成り立ったと言っても過言では無い。

フェミニストさん向けにも書いておくが、衣装的にも他所々思う所はあると思う。完全にミソジニーが無いわけではない。だが、そのミソジニーや汚い部分も含めて大きな世界の中の一つとして捉えているのがこのシリーズ作品の良い所なのではないかと僕は捉えている。

実際、NieR Replicant(Gestalt)のカイネは清々しい程に口が悪く、もし自分にパートナーができて浮気したら🍌を斬り落とすと発言して主人公ニーアが考えを改めるシーンがありとても好感が持てた。エミールも浮気はダメだと言っているのも良かった。

(ただしドラマCDを聴くと何故このように発言したのかが理解出来て印象は変わるが、それを踏まえた上でも常識的な発言である。)

つまり、途中で断念してしまえばこの感想には至らなかったのだ。

※トップ画像は無料DLCの衣装の3人である。当然リメイク版でしか↑の衣装は着れない。

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話は予想以上に大きく膨れ上がったが、結論としてグラフィックも企業側としてのやり方の一つであり、ゲームは「プレイしなければ評価が難しい」ものなので視覚効果としては非常に有利なものではある。という事が挙げられる。

それよりも、古いファミコン時代(アタリのビデオゲームと言っても日本では通じないからこの書き方。パソコンは除く。)のゲームをグラフィックがチープだからと言って「クソゲー」扱いしている人などを見た。「レトロゲー」という言葉を知らないのだなと思う。

あと、グラフィックの事がメインだったので音についてあまり触れられなかったが、僕はあの懐かしい8ビットの音が堪らなく好きなのもあってテクノミュージックが大好きである。

※ここは敢えて大御所のクラフトワークと書きたい

※個人的にファミコン版「火の鳥」の音楽が好きである。

興味があればYoutubeなどで探してもらえると有り難い。

2021/09/12 ネオフラワーデモ茨木 よもぎもちNovo🍡

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