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血のつながりがない私たち

約生後3か月で市松がうちに来たばかりの頃、いかにも子猫!という感じの
ちいささや弱弱しさは感じなかったのだけど、今になって写真や動画を見返してみると、やっぱりちゃんとちいさかったのだと分かる。
 
好き嫌いなくなんでも出したものをよく食べる子だったので体重は倍になり、(最近は、前よりいろいろなことが分かってきて少し選り好みする日もあるけれど)頭の大きさも私の手のひらにちょうどよくおさまるサイズまで大きくなった。

大型猫の子猫というより、成猫に見えないこともないくらいの大きさ、顔つきになり、細かった尻尾も立派にふっさりと育ってきている。
 
そんな彼の艶やかな黒い毛が隙間なく生えたやわらかく、やさしくカーブした温かな後頭部をなでていると、たまに考えてしまう。もし私が子どもを産んでいたら、どんな気持ちでその子の頭をなでていたのだろうと。
 
私の貧弱なものと違い、夫の髪は黒髪のお手本のようなきれいなしっかりとした髪なので、もし私たちに子どもができたら彼に似て欲しいと思っていた。髪の毛だけではなく、弓なりの目に宿る穏やかな瞳も、親しみやすい笑顔も、陽だまりのような心のぬくもりも、なにもかも、彼に似て欲しいと願っていた。

私の要素は、1mmもなくて良いと本気で思っていたのだ。
 
今は随分とマシになったけれど、そのくらい、私は私が極度に好きではなくて、自分の何かが少しでも混ざった子どもは、絶対に産みたくないと思っていた。
 
それでも、10代後半から20代はじめの頃は彼と「子どもができたら……」という話をすることもあったし、20代の終わりには、かなり本気で「今、産んでおかないといけない気がする」と死ぬほど焦った気持ちになったこともある。(恐らくホルモンの大暴走だったのだと思う)
 
それが、「いや、もうこの人生では子どもを産むのはやめておこう」と、完全に切り替えたのは、30代半ばの頃だった。
 
周りの友だちがどんどん結婚して子どもを産んでも、私は割と平気な顔をしていた。あまりにその平気な顔と演技がうますぎたので、友だちの何人かには「早く結婚しないの?子ども産むなら早い方がいいよ!」「せっかく大学時代から良い彼氏と出会って長く付き合ってるのに、将来のこと考えてるの?時間がもったいないよ!」と言われてしまった。
 
けれど、内心では、29歳の頃からめちゃくちゃに焦って、ボロボロの状態だった。

なにせ、私は病気で心が擦り減り弱りきっていて、彼に(今の夫)結婚したいとか、子どものことを話し合おうなんて言えなかったのだ。精神を病んでまともに社会参加も自立もできていない足りないものばかりの人間が、そんなことを口にする権利すらないと信じていたから。

結婚や子どもに対する本心を、私は彼にも、友だちにも、誰にも、本当に誰にも言わなかった。
 
どうにかどん底から立ち上がり、働き始めて何年かが過ぎた頃、私は30代半ばになっていた。そして、これからまた生まれ変わるかどうか、今が何度目か、この次があるのか分からないけれど、現実的に考えて、今のこの人生では、子どもを持つのは無理だという結論を出した。
 
障害がある子どもたちと関わる仕事に就いて、自分が想像以上に、子どもが好きだということに気づいた。走ったり遊んだり学んだり、彼らとすごす時間の濃さと楽しさに、夢中になった。
 
でも、同時に、自分と同い年、同年代のお母さんたちの苦悩と苦労、とても大変な日常を知った。私には、そんな「お母さんとしての人生」を全うできる気がしなかった。子どもに障害があるなし関係なく、「お母さん」というものがあまりに偉大過ぎて、私には無理だと思ったのだ。
 
端っこながら社会に参加して、細々と稼ぎ、彼と穏やかに暮らし、夫婦の家の中のことを取り仕切り、彼の家族と関わっていく。心にも体にも持病があり、生育環境にも問題を抱えた私には、それだけで精一杯で。日本社会のためには本当に申し訳ないけれど、子どもを産み育てることはとてもできそうにないと思った。
 
30半ばになり、周囲の「結婚は?」という声が最高潮にうるさくなった頃、私たちはほぼ初めて、子どもと結婚について真面目に話し合った。そして、結果的に、今後の人生にお互いが求めるものが合致していることに気づいたのだった。
 
彼も長年さまざまなことを考え、結果として子どもを持たない人生を歩みたいと考えるようになったのだという。私のせいかとも思ったけれど、そうではないそうで、聞いてみると彼なりの持論があった。
 
いざ本当に「子どもを産まなくていい」となったら、それはそれで、ストンと、なにか心の中から抜け落ちたような音がして。なぜか理由もわからず一時期落ち込んだのだけど(これも、やっぱり誰にも打ち明けなかった)、40目前になった今では、これで良かったのだと思っている。

多分、焦りや世間体を気にしたり、自分の問題を無視して強行突破で産んでいたら、きっと今頃果てしなく後悔していた。夫や市松を愛するように、穏やかに我が子を愛することはできなかったのだろうと思う。
 
猫の市松を子どもがわりにしているわけではなくて、市松はちゃんと猫で、私たちの子どもでも、人間でもないと分かっている。
 
夫と、市松と、私には血のつながりがない。私は、どこかおかしいのかも知れないけれど、そこに深い救いと安堵を感じる。血のつながりがない、なにもかもバラバラの私たちが、一緒に寝て、ごはんを食べて、笑って、鳴いたり泣いたり、けんかしたりしながら、暮らしている。
 
私の実家の両親は「子どもを持たない夫婦なんて、つまらない家族ごっこだ」と言う人たちだった。誰かに同じようなことを言われたら、正直なところきっと少し落ち込むだろうけれど、それはもう仕方ないし、構わない。構わないと思うしかない。
 
私の仕事ぶりを見て「絶対良いお母さんになるのに」と言った同僚がいた。子持ちの友だちは「産めば何とかなるよ。私にできたんだから」と言った。世の中には、自分の抱える不安を越えてとても良いお母さんになる人も、産めば何とかなる人たちもきっと存在する。けれど、私はそうではなかった。
 
ただただ、毎日、彼のことも、市松のことも、とても愛しく大切に思う。これまで私には、とてもたくさんの問題があったけれど、こうして血のつながりがない1匹と2人で生きる毎日にたどり着くことができて、良かったと思う。
 
私自身も、私の人生も少しも完璧じゃない。でも、自分が大切なものを大切にできる人として、生きて死にたい。子どもは持たない人生になったけれど、みんなと同じではないけれど、不幸ではないよ。


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