見出し画像

何者でもない一人の男性が綴った「女性の生きづらさ」。なぜ多くの人の心を打ったのか?

/違和感ポイント/
2021年3月にnoteで1万いいねを超える大反響を巻き起こしたエッセイ。執筆者の男性は、なぜ“当事者”ではない問題について発信しようと思ったのか。そしてなぜ多くの人の心に届いたのか、その理由に迫った。

7分だけ時間をつくって読んでほしいエッセイ

「かわいいね」ーー日常生活で何気なく使われ、褒め言葉として位置づけられる言葉だ。しかし、そもそも「かわいい」と言われたくない人もいて、使い方や関係性によっては相手を不快な思いにさせることがある。例えば、飲み会で初対面の男性が女性に向けて放ったとき。女性の心の中では、こんな気持ちが渦巻いている。

〈かわいいと言われても、そんなことないですと返せば「いやかわいいって」とゴリ押しを喰らい、ありがとうございますと返せば「調子乗ってる?笑」と餌食にされる。逃げ道がない。(中略)自分だけがチヤホヤされる状況だって別に嬉しいものじゃない。そのかわいい子の横にいる、話しかけてもらえてない女の子はそのかわいい子の友達で、その状況を楽しく思う人なんて実際はごくわずか〉(note『かわいい人にかわいいと言うのは、僕としてはけっこうありえない』より抜粋)

そんな女性の生きづらさと真正面から向き合ったのが、2021年3月にnoteで公開された『かわいい人にかわいいと言うのは、僕としてはけっこうありえない』というエッセイだ。執筆者の安原健太さんの言葉を借りると、当時Twitterフォロワー数は100人ほどの“何者でもなかった”一人の男性が書いた文章は瞬く間に拡散され、1万いいねを超える大反響を巻き起こした。

実際に不快な言葉を向けられる女性ではない、という意味では“当事者”でない安原さんが、なぜこの問題と向き合おうと思ったのか。その想いを深掘りすると、第三者目線で発信することの大きな意義を見い出すことができた。

このインタビュー記事をきっかけに、一人でも多くの人が、どうか7分だけ時間をつくって、安原さんの力のこもったエッセイを読んでくれることを願っています。(インタビュー=清野紗奈)

インタビューを受けてくれた方:安原健太(やすはらけんた)さん。2012年より、音楽、エッセイ、詩、ラジオなど幅広く表現活動を行う。塾講師の経験を活かした、勉強が苦手な人が楽しく学べることをコンセプトにしたサイトも運営。(Twitter


もし同じエッセイを女性が書いていたら

▼「なぜ女性の生きづらさ」についてエッセイを書こうと思ったのかを教えていただいてもよいですか?

「文章の案は7年くらいメモアプリに書いていて、その中に“男女の違い”についてのメモがいくつかあったんです。絶対いつか書きたいなと思ってたんですけど、ここ数年で多様性の考えが世間に浸透していって。

多様性の時代に男女の違いを書くのはナンセンスだなと思って書くつもりはなかったんですよね。なのでメモを見ても、スルーすることが多かったんです。

だけど次のエッセイをどうするか考えていたときに、TikTokでのコメントについて友達と話してたメモが出てきて、これなら熱をこめて書けるかもって思ったんです。そうしたら、元々書いていたほかの内容のメモとも勝手に結びついて、勝手に膨らんでいったんですよね。最初から『男女のことを書いてやる』と思って書いていたわけではなかったです。僕はエッセイを書くとき最低5回書き直すんですけど、書き直しながら、これは大変なエッセイになるなと思い始めました。これは大事に思ってくれる人がいるはずだから絶対にちゃんと書かなきゃいけないと思って、集中力がどんどん増していった感じです」

▼私がエッセイを読んだ時に最初に抱いた感情は、男性でここまで女性の気持ちを汲み取って文章にしてくれる方がいたということへの感動でした。その後に、もし女性の自分が同じことを書いてもここまでバズらなかったのではないか?という悔しさに似た気持ちも抱きました。執筆中から、男性である安原さんがこの問題を扱うことの強みや、戦略性みたいなものは考えていましたか?

「男性の僕が書いてやる、という気持ちはなかったし、戦略性もなかったです。たぶん女性が同じエッセイを書いてもバズったと思いますけど、(執筆者の)顔写真を晒されて、『こいつ美人側じゃん』『可愛くない側の僻みじゃん』とか、当事者が書くと、周りが無駄な物語性を発生させて伝わらないこともあるだろうなと思うんです。

これは男性が書いたから勝ちとか、女性が書かなかったから負けるとかじゃないです。ずっと思ってるんですけど、第三者にしかできないことがあると思ってるんです。だからだんだんと、これはきっと自分にしか書けないエッセイなはず、という気持ちが強まっていった感じでした」

特定の誰かの味方がしたいわけではなく“不平等”を書いた

(写真=Photo AC イメージ画像)

▼逆に、女性の問題を男性の自分が書くことに対する不安はありましたか?

「書いている最中はなかったんですけど、反応を見て、結構大変なことをしたんだなと思いました(笑)。女性からの感想には、『そんな気持ちがあるなんて知らなかった』というのがほとんどなかったんですよ。『なんでこの気持ちわかってくれるの?』というものばっかりで。そこで、本当にみんなきつかったんだって改めて感じたんですよね。

女性と括られる人が皆、大なり小なりエッセイに書かれているような経験を経て生活しているんだなって思いました。でも別に、女性の味方がしたかったんじゃなくて、不平等や不均衡を書きたかったんですよね。その対象がたまたま女性だっただけで。

『シーソーこっち傾いてるから真っ直ぐにしたほうがよくない?』と言っているのに、『なんでお前そっちの肩持つわけ?』と言われている感じはありました。歴史に詳しくないので想像でしかないんですけど、女性の参政権がない時代に、それおかしくない? って言った人ってこういう気持ちだったんじゃないかと強く思いました。『男だけで出来ないって言いたいの?』って言われただろうなと。

さっきも言ったように、あのエッセイを女性が書いていたら、たぶん僕が思う数十倍くらいのダメージがあったと思うんですよね。容姿に対する中傷とか。それに比べたらちっぽけなものだと思うけど、そうじゃない側の僕が書いても、『へぇ〜』って思うようなことがいっぱいありました」

▼今のお話を聞いていて、Black Lives Matterの活動が起こるときに必ず出てくるAll Lives Matterという意見について触れたエッセイ(『グーグルマップで行く! 世界的世界旅行(完全版)』のことが頭に浮かびました。

「え...その話はしようと思ってなかったので、ビックリしてます。実は僕も共通点について考えてました。『グーグルマップで行く! 世界的世界旅行(完全版)』のエッセイでは、『黒人の命が大事』と言ってるときに、All Lives Matter=みんなの命が大事じゃんと言い出す人が出てきて、それに対してビリー・アイリッシュさんが怒っていたことを取り上げました。

『怪我してる人がいるときに、みんなの腕が大事と言ってみんなに絆創膏を配るの? 火事が起こっているときに、みんなの家が大事と言って、全部の家に消防士を行かせるの?』と彼女は言うんですよね。『みんなの命が大事なのは分かってる。けど、今黒人の命が危ぶまれているときに、なんでそういうこと言うの?』という話です。

かわいい人にかわいいと言うのは、僕としてはけっこうありえない』の反応にも、今女性の話をしてるじゃん、って思ってたんです。女性がこういう不平等な目に遭っているよねって書いてるんだから。そのときに男性だってこういうことあるって言われても、そんなの分かってるよって思う。一部のリアクションを見ていると、Black Lives Matterって言ってるときに、胸ぐら掴まれて『白人だってこういう辛いことあるだろ』と言われてるような気持ちになりました」

“共感”だけでは届けたい人にメッセージは届かない

(写真=エッセイの冒頭部分。取材者撮影)

▼女性としての意見が聞き入れられない場面にはいくつも心当たりがあって、私の知っているフェミニズムを広めようとしている人も、聞き入れてもらえない状況に怒りをあらわにすることがあります。風当たりが強い中でも自分の考えを主張するためには、何が重要だと思いますか?

「少し遠回りになるかもしれませんが、僕はずっと『譲歩』っていう言葉がわからなかったんです。辞書で引いても『譲る』くらいしか出てこないからピンとこなくて。でも考えてるうちに『譲歩』っていうのは『いったん、相手に譲ることだな』と分かってきました。

例えば、好きなものを発表する課題があるとして、それにポケモンを選んだとして、『ポケモンって楽しくて強くてかわいくて時間忘れちゃって本当に楽しいよ!』って言ったときに『そうだそうだ!』ってなるのは、もうポケモンが好きな人なんですよね。それって共感であって、伝達じゃない。したいのは、ポケモンの楽しさが分からない人に伝えることですよね。その人たちは『は? ただの子供のゲームでしょ』って肘をついてるかもしれない。そこで譲歩なんです。『実は、私は前まで、ただのゲームじゃん、子供の遊びじゃんって思ってたんです』って言うと、その肘ついてる人が『あ、そこ気になってるところ』って目を向けてくれるかもしれない。『でも弟にむりやりレベル上げお願いされて、嫌々やってたら、そこに出てくるポケモンたちがすっごく個性的で!』って続けるんです。譲歩は『いったん、相手に譲ること』。結局自分の意見をわかってほしい、っていうことなんです。

だから、僕はノーマスク派の人たちも、マスクをして主張すればいいのになって思ってるんです。本当にデータが揃ってて、危険性もなくて、ちゃんとわかってほしいなら、マスクをして、マスクをしてる人たちに伝えればいいと思うんです。そうじゃないと、マスクしてる人たちからはただ騒いでるように見えちゃうから。

だから......意図を汲んでくれたら嬉しいんですけど、フェミニズムとかの活動を広めたいなら、フェミニズムっていう言葉を使わなくてもいいと僕は思ってます。カテゴライズされちゃったらもったいないと思うことがある。『あの人はああいう集団の一人ね』と思われてしまうと、伝わらないし、もったいない。あえて自分からカテゴライズしなくてもいいのにと思う場面も正直あります。

僕はあのエッセイが、ルッキズムとかフェミニズムとか、そういう言葉を使わずに書けたことが、自分の中では嬉しかったんです。ルッキズムという言葉は、あのエッセイを書いた当時の日本ではそこまで広まっていなくて、『ルッキズムは海外ではアウトだよ』くらいの広がり方でした。結果的にエッセイでは使いませんでしたが、その言葉を使わないことで『ここ日本ですけど?』という反論を防ぐ作用もあったんです。

ルッキズムっていう言葉が先にあって、その後に考えがあるんじゃないですよね。やらないほうがいいことがあって、それがルッキズムっていう言葉になっただけなので。だから伝えたいのが『言葉』じゃなくて『考え』なら、必ずしも『言葉』にこだわらなくていいんじゃない? と思います」

相手の気持ちを考えていない人の言葉は整理しようがない

▼最後に、相手の発言に違和感を抱いたときに何も言い返せなくなってしまった経験がある人に向けて、安原さんならどのように対処されるかをぜひお伺いしたいです。実際に私も、あるネットニュースを見た人から、「こんなのどうでもいいのにね」と同意を求められたときに、本当はどうでもいいと思っていなかったのに何も返すことができませんでした。

「僕も出来てるわけじゃないんですけど、『パッと言っちゃう作戦』はいいんじゃないかと思ってます。例えば、ご質問いただいた場面だったら『えー、私はどうでもよくなかったんですけどねー!』って明るく言っちゃう。そうすると、問い詰めてくるタイプの人もいると思うので、その場合はすぐその場を去る(笑)。

相手の言葉に傷ついてしまう人は、言葉が心に100残ってしまうんだと思うんです。でも、そういうことを言う人は、相手がどう思うか考えてないからそういう発言ができてしまうわけで。『なんで分かってもらえないんだろう』って悩むこと自体が無意味になっちゃうんです。だから、もしわかってもらいたいんだったら、サッとその場で返しちゃう。言わなきゃわからない人だから。ただ、議論になったら声の大きさで負けてしまうから、明るく言って、その場を去ってしまってもよいと思います。

グサって言葉が刺さっちゃう人は、『ちゃんと自分で整理しなきゃ』と思ってしまうタイプの人が多いと思います。でも、考えて発せられたわけじゃない乱雑な言葉だから、整理しようがない。だから、その場で処理するのが一番楽なんじゃないかなと思います。だってその人は楽しく暮らしているのに、何も悪くない人が時々それを思い出して自信無くしたりとかしてるの意味わかんなすぎるから。正直、僕も上手く出来てるわけじゃないですけど、思い出したら使いたい手です」


執筆者:清野紗奈/Sana Kiyono
編集者:原野百々恵/Momoe Harano、RIHOKO

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?