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“役に立たない”人文学を研究するのはなぜ?「本当に大切なものは目に見えない」

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社会に何かしらの貢献をすること、役に立つことは、学問に必要なことなのか。利益を生み出さなければ、存在意義がないのか。「役に立たない」学問であると攻撃される人文学を研究する大学院生に話を聞いた。

「人文学不要論」は叫ばれて久しい。

学問が「有用性」を指標に評価される近年、人文学は「役に立たない・有用性のない」学問の代表格とされ、度々攻撃されてきた。

事実、2015年には、文部科学省が国公立大学の文系学部の縮小・廃止の方針を示したり、2020年には政治評論家・橋下徹の「社会に何の貢献をしているのか分からん人文系の学者は謙虚になれ」等の発言があったりした。

2023年から開始される予定の大学ファンドも、人文学不要論に波を立てるだろう。開始されれば政府にとって有用な研究が優先されることになる。中国新聞は「学外者の意向が過度に運営に反映されれば、大学の自治はさらに形骸化してしまう」と懸念を示している。

しかし、社会に何かしらの貢献をすること、役に立つことは、本当に必要なことなのか。そのような利益を生み出さない学問は、存在意義がないのだろうか。
そうした疑問を持ちながら、筆者はフランス・アルザス(フランス北東部、ドイツとの国境沿いに位置する地域。ドイツ領とフランス領を行き来していた過去があり、言語状況が複雑)を言語学的観点から研究し、アルザス言語文化研究会を創設した2人の大学院生の元を訪れた。

(左:杉浦黎さん 右:宮腰駿さん。写真=筆者撮影)

インタビューを受けてくれた方:

杉浦黎さん:東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻修士課程2年。社会言語学を専門とし、修士論文ではアルザスの言語状況を社会言語学的観点から論じた。現在は日本語のサ行、「シ」の音声変異を研究している。

宮腰駿さん:筑波大学大学院人文社会ビジネス科学学術院人文社会科学研究群人文学学位プログラム言語学サブプログラム博士前期課程1年。フランス語(特に副詞の研究)とアルザス語を専門とし、学部時代から様々な研究会で発表を行っていた。現在はアルザス語文法(特に動詞について)の研究を行っている。

なぜだか分からないけど、惹かれた

杉浦さんは、中学生の時にフランス語と出会った。母とパリへ旅行に行った際、英語で話しかけてもフランス語で答えてくるフランス人達を見た時に、フランス語への興味が湧いた。

杉浦さん「なんで彼・彼女らはそれほどフランス語が好きなんだろう、という疑問から始まりました。自分もその言語を使えるようになったら答えが分かるかもと思い、大学はフランス語が勉強できる学部を選びました。」

大学入学後、授業を通してアルザスを知った。アルザスの歴史や言語状況をのめり込むように学ぶようになり、学部時代にはストラスブール大学(フランス)へ留学をした。

一方の宮腰さんは、フランス語よりも先にアルザスとの出会いがあった。高校時代の歴史の授業でアルザスについて学び、総合学習(1年間自分が決めたテーマについて研究し、レポートを書く授業)の時間で取り上げるほどアルザスに興味を持っていた。大学の学部も、アルザスについて多角的に研究したいという思いで選んだと話してくれた。

学部入学後は、アルザスについての文献を読めるようになるために、フランス語とドイツ語の学習に励んでいた。そうしているうちに、いつの間にか言語研究の虜にもなり、卒業論文ではフランス語の副詞について論じた。
杉浦さんも宮腰さんも「なぜだかわからないけどアルザスに惹かれた」と話しており、ただ研究を続けたいという思いで、大学院への進学を決めた。

アルザスの街並み。写真=unsplash

そして2021年9月、宮腰さんと杉浦さんはもう一人のメンバーである作本大祐さん(京都大学大学院で、アルザス語での母音連続回避に関する研究をおこなっている)と共にアルザス言語文化研究会を創設した。アルザスの言語と文化を中心としたテーマを扱い、学会や全国大会に向けた練習の場や、研究アイデアを議論する場を作ることを目指している。

この研究会は、宮腰さんの学部時代の「言つくば(学生が中心になって自分の研究について発表する、筑波大学のイベント)」の経験から、アイディアが生まれた。

宮腰さん「できる人って、一人でずっと自分の研究を進められるんですよ。けれど私のようになんかちょっと飽きちゃう人は、定期的に外部に発信する経験が大事だと思っています。大学がひとつに限定されない、より開けた形で発表ができる場・みんなで研究を進めていける、若手交流の場を作りたいと思い、丁度関心が近いところにいた2人に声をかけました。」

アルザスへの関心が高い人同士で結成されたため、これまではアルザスにフォーカスした発表が多かったが、今後はより様々な方面への拡大も予定されている。

日本社会の役に立つのか

杉浦さんも宮腰さんも、自身の研究について有用性を問われた経験があると話す。

奨学金を申請する際や、大学院入試の際、「社会にどんなインパクトを与えるか」や「なぜ日本にいるあなたが研究するのか」を問われたと話してくれた。

杉浦さん「このような(=有用性を問われる)問いに答えるのは難しかったです。ただ、私がアルザスに興味を持った最初のきっかけは、日本にもアイヌ語などがあるにも関わらず、ないように扱われているのに対して、アルザスの人達は、言語の問題が戦いに発展するぐらい、常に彼らの社会の中心にいたという状況からでした。日本では、言語と言語がぶつかり合うことは遠い世界の話だと思われていますが、そうではありません。日本も多言語社会であるという視点を持つ人がもっと居るべきなんじゃないかと思い、その一つの例としてまずはアルザスのことを研究することで、何かしらの貢献は出来ると答えていました。」

宮腰さん「なぜ日本にいるあなたがという問いに対して常に答えるのは、バイアスがないからということです。現地研究者には、ある程度伝統的な研究方法がどうしてもあるんですよね。私はそれを持っていませんし、そもそも話者でもないわけです。第三者という目線から、アルザスの言語問題に当事者がどう対処してきたのかを見ることで、これからの日本の多言語社会にも生かせると思っています。」

人文学の力が発揮される時

イメージ画像。写真=unsplash

人文学不要論が上がる要因として、お二人はこう考察する。

宮腰さん「まず、人文学が指す領域はとても広いので、人文学とは何かと聞かれたら、答えがみんな違うでしょう。そんな状況ですから、人文学に対してかなりずれたイメージを持っている人が世の中にいてもおかしくは全くないと思います。言語学で例を挙げますと、脳波実験を行う研究や大きなデータベースを使って用例をあつめる研究などもあるのですが、これは人文学に触れたことがない人からすると、人文学だとイメージしにくいんですよね。人文学は文章を読んで感想を言い合っているだけだと思われがちですが、これは誤りです。人文学は論理が大切であり、感情論だけでは出来ません。」

杉浦さん「目に見えるものを得ることが良いとされてる社会あるからこそ、能力として役に立つか立たないかとか、お金を稼げるか稼げないかみたいな視点で見られることが多いのではないかと考えています。やはり目に見える何かを得るほうが簡単だし、何かと比較しやすい。だからこそ捉えにくい人文学に対する批判が出てくるのではないでしょうか。」

杉浦さんは、友達に大学院に進学することを話した際、「修士卒は給料良くなるからいいよね」と言われたことがあった。これは、自分がそのような視点で物事を見ていないにも関わらず、給料という有用性を押し付けられた経験だったと話していた。

宮腰さん「お金になる、役に立つということがなぜいいことなのか。ここの議論がないんです。この議論なしに人文学は不要であるとしてしまうことにはかなり問題があります。前提を疑うことが大切です。そして、前提を疑う作業の時に、人文学の力は発揮されると考えています。きちんとした論点を出すためには、歴史的な流れの検証が必要になります。つまりは、歴史に関わる資料や文学等のテクストにあたり、先人たちが言っていることの確認が絶対に必要です。人文系不要論も、独り歩きするスローガンみたいになってしまっているため、様々な前提が含まれています。人文学の力を使い、一つ一つの前提を丁寧に分解した上で、個々の問題を積み上げていかないと、まともな議論は成り立ちません。」

目に見えることだけが全てなのか

話を聞いているうちに、人文学は役に立たない学問ではなく、私たちの思考の基礎の基礎にあるからこそ見えにくいということが分かってきた。

目に見える効果がないからこそ忘れがちであるが、実は私たちの思考のプロセスは人文学を利用している。

もし人文学の力がなくなれば、自分とは違う他者の視点や、前提が成り立つ前の段階の視点をもって、何かを議論することは出来なくなるのではないだろうか。

宮腰さん「人文学不要論は、当事者がいることを真剣に引き受けて議論すべきだと思います。全国にどれぐらいの人文系学部の学生がいるのかなどの統計や割合を見るのではなく、当事者一人ひとりに目を向けて欲しいです。真剣にやっている若者に対して『お前のやっている学問はいらないんだ』ということ。このようなキツさにどう責任を取るつもりなのかを考えてください。また、この問題は学問全体の問題だとも思います。仮に人文系不要論が人文学を倒すところに行きついた時には、必ず次のターゲットが出てくるでしょう。なので、学問に関わる人間はこれを対岸の火事と思ってはいけないと思います。」

杉浦さん「人文学によって、目に見える何かがすぐに手に入るわけではありません。しかしそこに面白さがあって、だからこそやるべきだと考えています。例えば、社会言語学を学ぶことで、自分の周りの人達が使っている言語を見る目が変わってきます。例えば、今日の自分はたくさん敬語を使って話していたなとか、自分自身の言葉や相手の振る舞いについて、社会言語学の知識を通して振り返ることができます。私はこのような日々の振り返りを、人と人との関わりから生まれる「物語」を見出すことだと思っています。自分の中の視点が変わる瞬間を見る。それが人文学の意味なのではないかと思ってます。お金がすぐに手に入らないから不要だのような、ネガティブな意見が世の中に実際溢れているかもしれません。ですが、『本当に大切なことは目に見えない』(サン=テグジュペリ)という有名な言葉があるように、人文学を通して自分の視点を変えていき、目に見えない大切なものを探して行きましょう。」

アルザスに関連する本たち。写真=筆者撮影

執筆者:金井薔那奈/Banana Kanei
編集者:原野百々恵/Momoe Harano、石田高大/Takahiro Ishida、河辺泰知/Taichi Kawabe


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