選択する時、なにを思い描くのか
人生は選択肢の連続だ。
きっといろんな人がいろんな言い回しをして、この類の言葉は擦り切れるほどに言われてきていると思う。
そして何度聞いても、そうなのよ、と納得せざるを得ない言葉だと思っている。
今朝の出来事だけでもそうだった。
朝起きた時にいつもよりも疲れが残っていた。
A. 二度寝
B. なんとか起き上がる
そしてAを選択した結果、見事に寝坊した。
いつも早めに出社しているのだけれど、今日はこの電車を逃したらやばいという最後の切り札的な電車に乗り込んだので遅刻は免れた。
会社に向かう途中でのコンビニにて。
A. おにぎり
B. パン
飲みたいみそ汁がなかったけれど、ひじきがあったのでAを選択。
結果的には満足な選択肢。
こんな風に、うっかり選択したが故になんであっちを選んだんだろうと後悔するような選択肢もあれば、
どちらを選んでいてもそれなりに満足できる選択肢もあって、
選択の連続と言えども、常に全力で選び抜かなければいけないという訳でもないように思う。
それでも人生は選択肢の連続で出来上がっている。
♢
そんなことを最近まで思っていたんだけれど、なにかを選ぶときにもパターンがあることに気付いた。
1. 「なんとなく」選んでいる
今朝の行動パターンは完全にこれ。
いつものお決まりパターンや、楽に選べる方だったりと流されているパターン。
人生は選択の連続とはよく聞くけれど、こういうお決まりのパターンに落ち着くことも多い気がする。
2.「やらない」という選択
選択肢は必ず「やる」ことばかりではない。
「やらない」ことを選ぶのも選択肢のひとつ。
3.「不安」だから「やらない」
「やらない」の理由もたくさんあると思う。
「興味ない」という理由から、「ちょっとこわい」「不安」という本当はやりたいけれど「やる」選択をできないパターン。
4.「不安」だけど(だから)「やる」
同じ「不安」だとしても、それでも「やる」時もあれば、それだから「やる」パターン。
始めて挑戦するから不安だけど一歩踏み出そう。
将来が不安だから貯金しよう。
不安が原動力になって行動していく。
今まではこの4パターンが自分の中に多かった気がするんだけれど、最近新しく芽生えたパターンがもうひとつ。
5. 「楽しそう」だから「やる」
同じ行動に行きつくにしても、選択する時の気持ちのあり方が違うことがあることに最近気が付いた。
オーストラリアに行こうと決めた時、「行きたいと思ったから」という理由のみしか思いつかなかったのだけれど、思い返すと心がわくわくしていた。
今まで何度もいろんな種類の選択肢を繰り返してきたけれど、不安だけではない「どきどき」を感じながら選択をしてきたことが何度もあった。
楽しそう!
わくわくする!
その理由で選んだ際に必ずお楽しみが待っているのかは分からないけれど、少なくても行動を繰り返すたびにわくわくが蘇るような感覚があった。
逆に不安が原動力になると、行動を繰り返しても、うまく進行したとしても不安が生まれ続けることもある。
オーストラリアから日本へ帰国した時は、住む家もあって、仕事もすぐに決まったのに、帰国に対しての不安が大きかったせいなのか、どんなに生活が落ち着いても不安な気持ちがずっと拭えなかった。
1月に就職を伴って引っ越しをしたのだけれど
「住んだことのない土地で、初めての業務内容…不安だな。
はやく仕事覚えなきゃな…」
という気持ちで引っ越しをして、仕事を頑張るのか。
「住んだことのな土地だから冒険したいな、初めての業務内容も自分の幅が広がるかも!はやく仕事覚えよう!」
という気持ちで引っ越しをして、仕事を頑張るのか。
きっと行動は同じかもしれないけれど、マインドが違うだけで結果が全然変わってくる気さえする。(絶対差が出るとは言えないけど)
どんな選択をするにしても、その選択の中に少しでも「わくわく」を見つけたい。
せっかく二度寝するなら、なんとなく二度寝しちゃうよりも、いい夢見れちゃうかも!ってわくわくできた方がきっと楽しいだろうからね。
(もう二度と寝坊はしたくないけれど!!)
メモ:
わくわくすることを選んでいく