花火のようなあの夏の夜
花火と手だけが写った写真。でも、手に取るように覚えている。これは、あのときあの子と一緒に手持ち花火をしたときのだ。卒業アルバムに挟まれたその写真を見ながら、まだ成人前のひと夏の夜を思い返す。
もう十二年前になる。高校三年生だった。
あの日、突然誘われた。
「うちと花火しようえ」
話したこともない僕にかけられた言葉。なんで、僕?
「え、なんで僕なん? あ、いや、お誘いありがとう。うれしいけど、その、僕たち、クラスも部活も違うし、そもそも話したことないやん」
彼女はひまわりのように笑って言った。
「嫌なん?」
そんなことはない。クラスが離れていて、たまにすれ違ったり集会で見かけたりする程度だけど、彼女のことを僕は知っている。周りに人のいない子だ。それを気にしている素振りはない。制服のスカート丈は長いし、化粧っけのない女の子。髪は少し茶髪だが、一年生のときの最初の服装検査で地毛だと幼少期の写真を先生に見せていたのを覚えている。名前も知らない彼女のことだが、なんとなく目がいった。目を引く容姿ではなかったのに。
「嫌やないよ。受験勉強はいいん? 県外の大学行くっちゃろ?」
「なんでそんなん知っちょんの?」
「この前、赤本持って進路指導室から出てくるの見たけん」
「ああね。いいやん、一日くらいさあ」
からっと言う。別に予定はなかったし、僕も一日くらいならいいかと思った。
「いいよ、どこでするん?」
「とっておきの場所があるけん、教えちゃん。待ち合わせは、校門前を右に曲がって、突き当たりを右に曲がった坂を下りたところな。部活もうないよな?」
ずいぶんとわかりにくい場所で待ち合わせるんだなと思った。校門前とか、クラス前とかでもいいのに。まあ、別にいいけど。
「うん、ないよ。わかった」
指定されたところに彼女はいた。日がかげり、昼間よりましだが、外気温はまだ高い。
「待たせてごめん」
「待っちょったよ~。あちいなあ。花火買って行くけど、お金持っちょん?」
「うん」
「じゃあ、割り勘な」
通り沿いのスーパーに寄った。彼女が手持ち花火セットと線香花火、点火棒を買い物カゴに入れる。手持ち花火セットと点火棒だけでいいのではと思って聞くと、こう言われた。
「わかっちょらんなあ、線香花火がいいんやん。手持ち花火もいいけどさあ」
そういうもんなのか。そのときは、よくわからなかった。それから、割り勘で花火を買い、彼女についていった。途中で尋ねた。
「親にはちゃんと言っちょんの?」
「言っちょんに決まっちょんやん。学校の公衆電話でしてきたわ。遅くならんようにって」
「ガラケーは?」
「だって、持ち込み禁止やん」
彼女らしい。
「そんなんみんな守っちょらんよ。電源切って出さんかったらバレんし」
「いいなあ」
いいなあ? どういうことだろう。
「そんなに先生が怖いん?」
彼女は少し俯いて、すぐにこちらを向いて言った。
「別に。私はつまんない人間なの。でも、高校最後の夏、同級生と花火をしたかったんよ。青春っち感じせん?」
僕も、そういう青春っぽいことをしてみたかった。部活三昧だった二年半。それはそれで、仲間と打ち込んで楽しかった。甲子園出場を目指して朝も夜も部活に明け暮れたが、結局、一度も県大会を突破できなかった。入学一年前に、二十一世紀枠で出場して以来、未だに甲子園出場経験のない学校だ。
「するわ。やろう、青春っぽく花火! つまんなくないやん、別に。えらいなあっち思うよ」
威勢のよかった彼女はなりを潜め、それから無言で目的地を目指した。
「着いたよ。ここっちゃ」
彼女が指差したところには、湧き水が流れていた。こんなところに湧水地なんてあったのかと目を瞠った。歩いて汗ばんだからか、水辺だからか、時間が遅くなったからか、少し涼しく感じる。
「よく知っちょったなあ」
「ほら、入学したてのときに親睦遠足行ったやん。神社に集合して」
「あったあった」
「その帰りに見つけたんよ。そっからときどきここに来るんよ」
たぶん、ひとりで。
「そうやったんや」
彼女はいそいそと支度を整える。湧き水の入った水瓶に、水瓶のそばに置いてあった洗面器を入れて水を張る。それから、通学鞄から取り出した新聞紙を浸す。
「ちゃんと始末するまでが花火やけんな。よし、準備できた。やろ!」
それからは、黙々と花火をした。きゃーっ、とか、キレー、とか、そんな声を発することなく。でも、暗闇に花火で照らされた彼女の顔は、花火に負けんばかりにきらめいていた。その顔が見られただけで、満たされていった。
ふと思い立って言った。
「写真撮らん?」
「持っちょんの?」
「ガラケーのやけど」
「撮ろ! 後で印刷してちょうだい」
「送るよ、メルアド教えてくれたら」
彼女は寂しそうに言った。
「うち、持っちょらんに、ガラケー」
え、と口をついて出そうになったのを慌てて飲み込んだ。
「そうなん。わかった、印刷できるか調べてみるわ」
「ありがとう」
左手でガラケーを構えてみたが、なかなかうまく収まらなかった。
「早く撮らんと終わっちゃうよ」
急かされて、慌ててボタンを押した。
「うわあ、花火セット終わっちゃった。もっと買っとけばよかったかなあ」
「まだ線香花火あるやん」
「もう線香花火しかないやん」
そう言いながら、彼女は線香花火の封を開けていく。彼女の言う線香花火のよさが、少しだけわかった気がする。線香花火の光は、他の花火のように色鮮やかではないけれど、暖かみがあって、パチパチと爆ぜるさまが美しい。ボトっとあっけなく落ちるのが儚い。できるだけ落とさないように、風を避けながらふたりで花火を見つめていた。
「線香花火って静かやん。シャーってならんくて、パチパチって。落ち着くんよなあ。それにさ、このほうが近づけるやん」
彼女はいたずらっぽく笑った。やっぱり、涼しくなんかない。頬が火照るのは、花火と暑さのせいだと心のなかで必要のない言い訳をする。
「最後の一本ずつやね。すぐ落とさんでよ」
そうして、最後の一本が、夏の夜に溶けていった。
それから写真を受け渡す約束をして別れた。待ち合わせは同じ場所だ。帰ってガラケーの写真の現像方法を調べて現像し、彼女に渡した。宝物にする、と言って、ノートを取り出して挟んでいた。几帳面な字が並んでいるのがちらっと見えた。
それ以降は、お互いに会ったときに会釈をするようになったくらいで、あまり仲は変わらなかった。卒業式の終わりに彼女のクラスを訪れると、彼女の姿はなかった。離任式の日こそ会おうと向かうも、やっぱりいなかった。少し残念な気持ちで下駄箱に向かうと、靴の上に紙が置いてあった。紙にはたった一言だけ書かれていた。
これは彼女の字だ。そう思ってあの場所に向かった。彼女は待っていた。少し髪が伸びていた。彼女は第一志望校に合格し、来月から県外でひとり暮らしをすると言う。僕は地元の大学への進学が決まっていた。
卒業アルバムにメッセージを書き合おうと言うので、離任式終わりに配られたアルバムを取り出した。アルバムのメッセージページを開く。彼女のメッセージページは真っ白だった。しかし、一枚の写真が挟んであった。
「大切にしちょんけん、この写真。お守りと思って、引っ越し先にも持っていくけん」
彼女はそう言って、メッセージを催促した。互いにアルバムを交換して書き合った。返し合って開こうとすると、まだだめだと言う。帰ってから読んで、と。
「じゃあ、また」
「バイバイ」
手を振って別れた。しばらく行って振り返ると、彼女の姿はもうなかった。
久しぶりにアルバムをめくると、他の寄せ書きに混じって、彼女の文字が隅っこに小さく真っ直ぐ刻まれていて、もう一枚現像していたあの写真も挟んであった。僕はあの日、メッセージと一緒に連絡先を書いた。しかし、あれから一度も音沙汰はなかった。時間が経ってもただ、ひと夏の思い出を抱き締めていた。僕は写真を見なくても、夏が来るたびに彼女と過ごした一夜限りのきらめきを思い出すんだ。
🎇
小牧さん、今週も素敵なお題をありがとうございました!
先週は月曜日〆だったので、今週は月曜日の1本とあわせて2作品参加しております。
もう11年手持ち花火をしていないすーこです。
このとき書いた小説のように、未だに桐箱の線香花火は開けないままです(実話ではありません。最初の1文以外創作です)。買って5年経ってしまいましたが、まだ使えるのでしょうか。公共交通機関に乗せるわけにもいかず、自宅近くには花火ができる場所もなく。実家で家族として以来していませんが、また手持ち花火をしたくなりました。
最近の花火体験は、去年ハウステンボスで久しぶりに生で打ち上げ花火を先輩と見て涙したこと、今週火曜日に行われた「関門海峡花火大会」のテレビ中継を帰省から戻って妹と見たことですね。
読者のみなさま、今週もありがとうございました!
花火のように儚いお盆休みが明けましたので、無理なく残暑を過ごしてくださいね。
お盆お仕事などでお忙しかった方、休めるときにゆっくりお休みください。