noteはじめました

「すーこ書いたらいいのに。」
職場の先輩の何気ない一言が、私を突き動かした。

***

noteの存在は知っていた。読者として記事を拝読したこともある。けれど、自分が書き手に回ることなど想像したこともなかった。
「読む」こと、「書く」こと、「聞く」ことが私は好きだ。
一方で「話す」ことは苦手だ。
その先輩とも、打ち解けるまでに時間がかかった。
たまたま仕事の話もそこそこに雑談しているときに、先輩に言われた。
「私ね、すーこにもらった誕生日カード、すごくうれしかったの。だから、普段手紙なんて書かないのに、あなたの誕生日に久々に筆を執ったのよ。」
そんな風に思われていたなんて、知らなかった。驚いた。
とても優しいけど厳しい先輩。
その頃はまだ、自分は認められていないと思っていた。
畏敬の念を抱いていたのに、このところはしょっちゅう話しかけにきてくださるようになった。

それはたまたま残業中、周りに人がいなかったのでイヤホンから流れる心地よいラジオをBGMにしていたときのこと。
「何聴いてるの。」
「ラジオです。」
「私もラジオ好きなの。誰のを聴いてるの。」
「星野源さんです。」
「え!私、大人計画大好きで、舞台も観に行ったことあるのよ。」
「ええー!」
それから、5年目にして意気投合し、可愛がっていただいている。

***

仕事量に耐えかねて、上司に相談するも解決せず、心が折れかけていたとき、たまたま食堂で先輩と一緒になった。
「大丈夫?」
意を決して先輩に相談した。
「…しんどいです…」
心臓がバクバクした。
「詳しく聞かせて。」
そして今の気持ちと仕事のことを赤裸々に話した。
話し終えると、ずっと相槌を打ちながら聴いてくださっていた先輩が、
「わかった。私がなんとかする。」
そう言って、上司に掛け合い、他の先輩に働きかけ、フォロー体制を整えてくださった。
感謝してもしきれない。

***

それから二ヶ月。
何を思って「書いたらいいのに。」とおっしゃったのかはわからない。
書くことは好きだが、圧倒的才能と努力を前にして、私はその世界の扉を敲く勇気を持てなかった。
でも、先輩の言葉が背中を押して、衝動のままに私は足を踏み入れた。

書くほどに、奥行きのある小説を書かれる方々の凄さをひしひしと感じ打ちのめされ、投稿ボタンを押して反応をいただくまで緊張するも、優しいスキが届いた瞬間、染み渡って、じわぁっと心がほこほこし、書き手魂が浮かばれる。
綿密な取材や積み重ねた経験も、鍛え上げられた想像力の豊かさも、私には足りない。
でも、書いたものを公開し、何度も推して敲いて、スキを受け取ることの喜びはひとしおで、もっと磨きたいという意欲が高まる。
そして、書くことで、いろんな気づきを得る。

***

高校生の頃、大学で「言語学」を専攻しようと思い立ち、入学してから四年間通った学舎で、言語の、日本語の奥深さを知った。
ことばが好きでもっと専門的に学びたいと思っていたが、想像以上に面白く、でも突き詰めるのは難しい。

ことばに向き合うということは、もちろんことばにまつわる法則とか、事象とか、ことばの様々な要素について学ぶことで、それがとっても奥深く面白いのだけれど、人間のコミュニケーションツールであり、使う人や解釈する人によって変容する言語を使う人について、ことばを発し理解できる人が人たる所以について、ことばを話す人というものについて問うことでもあると思う。

文学部で学んだことは実学ではない。目には見えにくいもの、傍目からはよくわからないもののことを、学友と語り、深化する。
講義中の議論やたわいもない会話の中で、得難いものを享受した。

ことばは刃物であり、湯たんぽである、諸刃の剣だ。
傷つけ傷つけられ刺さって抜けないこともあるし、救われて心の引き出しの中で内から温め続けられることも多々ある。私も、そんな誰かの支えになることばを紡げていけたらいい。

***

noteをはじめて一週間。
若輩者の私が、いつか読み返して、青いなって笑いながら、この綴った日々を糧に一生懸命生きる大人になれていたらいいなと思う。

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