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「私が死んだらあなたに死に化粧をお願いしたい」 #会えない時代になぜ装う

化粧の起源には「衛生」という概念があったはずだ。感染症との対峙を含めて、衛生こそが人類の美意識をアップデートしてきた。コロナ禍でも同じく、私たちの美意識を加速させている。実際に、顔認証機能の浸透や非接触型の行動様式への移行は目まぐるしい。マスクの装着がデファクトスタンダードになった世界では、化粧スタイルもだし、プレゼンテーションの方法もガラリと変わっていく。”会えない時代の装い”は、私たちの衛生や養生のリテラシーから生まれてくるものが多いのではないだろうか。

衛生(えいせい、英語・ドイツ語:hygiene)とは、「生」を「まもる」ことから健康をまもること、転じて健康の増進を意味する。特に清潔を保つことを意味する場合も多い。 ーwikipediaより


話は変わるが、POLAに勤めている人たちが自社を語るときのエピソードが大好きだ。


「ビューティーディレクターが何十年も担当したお客さまから「私が死んだらあなたに死に化粧をお願いしたい」と頼まれるんです。販売員とお客様の関係を超えた、人と人としての関係がそこにある。外資ブランドのトップからは、アンビリーバブルと言われました」(ポーラ・横手喜一 前社長)

人間が「美しくありたい」という想いを持つのは本能であると思っている。最後の最後まで美しく生きたいと思う人間にとって、寄り添えるのは果たして誰なのだろうか。人生最後の化粧。それをお願いすること/されることがどれぐらいの意味を持つのかは想像に難くない。

コロナ禍で、人々の行動様式が変わり、身なりや装いに対してあまり投資をしなくなったという声を聞く。果たして本当だろうか。もともと興味がない人が興味を失ったキッカケになっただけじゃないだろうか。どちらかと言えば、我が家では装いのための出費が増えた。「誰かに会うから買う」という動機ではなく、「自分にとって、いいものがあれば買う」という動機だからだ。馴染みのショップにいけば、以前よりも質的にもコスト的にもいいものが残っているわけなので、店主にそそのかれては、ついついと手が伸びてしまう。

もし業績の低迷をコロナだけの理由にしているとしたら、それは見誤る。むしろ、従業員/お客さんを育ててこなかったことのほうが問題なのではないだろうか。POLAの死に化粧のエピソードではないが、商品を売る/買うだけの単純な生産と消費活動では、限定的な関わりあいにしかならない。この閉じたサイクルからいち早く抜け出さない限り、いつまでも外的要因を理由に出口のない迷宮を彷徨うことになるだろう。

2020年代においては、商品だけではない関わりあいにこそ価値が宿ることになるのではないだろうか。コロナ騒動における飲食店をサポートするためのクラウドファンディング活動を見ていても、「この店を応援したいから」「オーナーが好きだから」といったように、商品の売買ではなく”関わりを継続するため”に富の交換があったことは記憶に新しい。いま装いについて考えることは、関わり合いを考え直す良い機会にある。

3つに分けて、「#会えない時代になぜ装う」について頭に浮かんだことをとりとめなくスマホで書き殴ってみた。comemo事務局のみなさんと記事の方向性について話をしている中で、「comemoでは、まとまった意見や正解がほしいわけではない」「むしろ思考のプロセスや断片的なものに価値が眠っている」という話が印象的だったこともあり、好き勝手にやらせてもらった。読んでいる方には読みづらいんだろうなと思いつつも、なんとなく自分の頭にあったことをトレースできたような気がしている。

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