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〈インタビュー〉こんな俺でも:天職とめぐり会って|堀内未央さん

「天職やと思ってるんですよ、訪問が。」 

訪問介護の道に生きる堀内未央ほりうちみおさんの言葉には、一点の曇りもない。「無敵ちゃうかなと思ってるくらい!」と自信に満ちた笑顔を見せる堀内さん。他方、根っこでは「こんな俺でも」という自信のなさを抱えてきたという。
堀内さんは、いかに天職と出会い、自信を育んできたのだろう。

天職と出会い、避けたあの日

堀内さんの職業選択の原点は高校時代にさかのぼる。

堀内:高校生の頃、祖父が寝たきりになりました。離れた場所に住む祖父。それまでは長い休みになると家を訪れて、一緒にご飯を食べたり、お喋りしたりしていました。その祖父がしばらくぶりに会うと、コミュニケーションがとれなくなっていて。そのとき、「もっとできたことがあったんじゃないか」「もっと話を聴けたんじゃないか」「もっと思いを汲んであげられたんじゃないか」と思ったんです。この体験があって、人の声に耳を傾けることが仕事のカウンセラーの道も選べる心理学の方面への進学を考えるようになりました。

当時、テレビやニュースなどでは、高齢者の孤独や孤立、自殺などが社会問題としてよく取り上げられていた。そういう話を耳にするなかで「もっと救える人がいるのでは」と考えるようになった堀内さんは、「高齢者のカウンセラー」のような存在を漠然と思い描いていたという。そこに福祉の仕事が選択肢として入ったのは紹介がきっかけだった。

堀内:就職の相談を大学の先生にしたら、「高齢者のことをしたいのなら、ヘルパーの資格をとってみたら?」と勧められました。高齢者はキーワードだったのですが、実は介護・福祉なんて全然頭になっかったんですよね。「まあでも、とりあえず行ってみるか」とヘルパーの講習を受け始めました。結局就職したのは福祉とは関係のない、営業職だったんですけど。

堀内さんは、いま天職と胸をはる仕事に学生時代に出会いながら、一度その道を避ける選択をした。

堀内:実はヘルパーの実習に行ったとき、とてもショックな体験をしたんです。家事援助のための高齢者の自宅訪問に同行したとき、そこのおばあちゃんが倒れておられたんですよね。救急車を呼んだあと、僕は実習生なので帰るよう言われるのかなと思っていたんですけど、「堀内さんも一緒に乗ってください」と言われ、そのまま救急車に乗り込んみました。病院に到着すると、お医者さんが「亡くなられています」と。そのとき、すごい仕事やなと思いました。なんて責任の重い仕事なんやと。それで福祉の仕事に就くことに気が引けてしまったんですよね。そんな体験もあり、複合的にいろいろ考えた結果、訪問販売の仕事をすることにしました。 

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「楽しい」を仕事に

ところが、訪問は訪問でも訪問販売の方は適職でなく、1年足らずで職を離れることとなる。

堀内:もう働き方がえげつなくって。いわゆるブラックですよね。ある業界のトップシェアを占める会社だったんですけど、その陰でこんな血反吐ちへどをはいてる人たちがいるのかと思いました(笑) 詳細はここでは避けますけど...この経験があるからあるしゅのタフさはついているというか、嫌なことも「あれに比べたら大したことない」と受け流せるようなところはあるんですが、とにかく楽しくなくって、これはアカンと思って辞めました。

このタイミングで、堀内さんは高齢者福祉の世界に飛び込む決心をする。最初に勤めた小規模多機能型居宅介護の施設で、いろいろな現場を経験している人が強いと教えられ、様々な事業所を渡り歩いていく。このキャリアの積み方が、堀内さんは天職を引き寄せる。

堀内:2つ目の事業所で、訪問サービスをはじめて仕事としてやりました。それが凄く面白かったんですよ。最初におばあちゃんの家にご飯を作りに行ったとき、楽しくって、終わった後に爽快感もありました。時間は短かったんですが、大勢を相手する施設とは違う一対一の空気感がとてもしっくりきて。一対一だからとても密に関われること。施設では見せないような素の自分を出してくださること。家にはその人の情報があふれていて、施設ではわかり得ないその人のことを知れること。そういうのがいいなと思って、当時の事業所でも「訪問いっぱいやらせてください!」ってお願いしてました(笑)

訪問という軸が形成される一方、いま携わっている障害福祉と堀内さんは、このときまだめぐり会ってすらいない。だが障害との出会いは、おのずと訪問が招き入れた。

堀内:本格的に訪問をきわめようと思い、福祉業界に入って8年目に訪問専門の事業所に移りました。そこは高齢と障害の両方を扱っていて、どちらかといえば障害のある方、なかでも児童や青年の利用が多いところでした。そこでますます「楽しい!」ってなったんです。障害のある子どもたちが、これから社会に出ていくために必要な能力を伸ばすお手伝いをしたりできることに、充実感があったんですよね。

こうして堀内さんは障害福祉の訪問という天職と巡り合う。

堀内:子どもたちは、大人みたいに気を遣わないので、プラスもマイナスもリアクションがハッキリしてます。例えば、親御さんが忙しくて海にも遊園地にも行ったことがない男の子。釣りやテーマパークとか、彼が知っているけれど行ったことのない世界に一緒に行くと、とても喜んでもらえる。そういうポジティブな反応はもちろん嬉しいです。けれど実はネガティブな反応もすごく大切。その子の情報が上書きされることで次につながるので。訪問は一対一だからこそ、喜怒哀楽をともにする深いかかわりをできます。
ちなみに制度面でも高齢より障害の方が、長く訪問できる仕組みになっています。介護保険の訪問介護では利用者と長い時間を過ごすことができません。せいぜい1時間。その面でもかかわりの密度は違って、障害福祉の訪問にどんどんとハマっていったんです。

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こんな俺でも

福祉の仕事を10数年間やってきたなかで、自分の支えとなっている経験がある。それは意外にも、堀内さんを福祉の世界から遠ざけた、利用者の死にまつわる一コマだ。

堀内:ある利用者さんに心臓マッサージをしたことがあるんです。亡くなられてしまったんですけど、救急隊員の方に「初動がとてもよかったです。結果は残念でしたが、気を落とさないでください。」と言われたんですね。ご家族さんも涙を流して「ホンマにいままでありがとうございました」とお礼を言ってくださって。心臓マッサージをするときって勇気と度胸がいると思うんですよね。やってるときは無我夢中なんですが、後からなんかあったら自分のせいなんじゃないかみたいな意識も出てきて。でも救急隊員の方の言葉やご家族の反応を受けて、心臓マッサージをやってよかったし、この仕事をやっててよかったなと心から思えました。こんな俺でも頼られてるんやという気持ちが芽生えたんです。

この一件を含めた様々な経験が、自信を育み、堀内さんを変化させてきた。

堀内:中学まではいわゆる悪ガキで。授業もサボったりヤンチャして、親にも迷惑をかけていました。そんな俺なんですよね。大学時代は「こんな俺をどこの会社が雇ってくれるんやろう」ってくらい、自分に自信がありませんでした。そんな俺が福祉の業界に入って、おじいちゃんやおばあちゃんに「堀内くんの作ったご飯、おいしい」なんて言ってもらえる。涙ものなんですよね。だからこそ、「こんな俺でも頼られているんや」と、心臓マッサージのときも感じたんだと思いますし、いまでも「ありがとうって言ってもらえるんや」と思いますよ。

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大学生の頃の自分に出会ったなら、いまの自分は背中を押せると語る堀内さん。堀内さんの変容を象徴するエピソードがある。

堀内:「未央みお」という名前、子どもの頃は嫌いやったんです。「男?」ってなる反応が嫌で。でも働き始めて大好きになりました。「みおちゃん」と名前を憶えてもらえて、親しんでもらえるんですよね!


嫌いだった自分の名前が好きになる。「こんな自分」も悪くないやんと思えるようになる。障害の有無によらず、あるいは老いやどんな変化があろうとも、その人のあるがままを受け止める福祉の世界。その世界に生きることは、利用者・支援者の枠を超えて、まるごとの自分を包みこむことへとつながっているのかもしれない。

堀内 未央(ほりうち みお)
訪問介護事業所つながり。趣味はアウトドア全般。

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ダイバーシティ&インクルージョンの時代の鍵の一つ「ともに生きる」を障害福祉を切り口に考え、これからの社会をよく生きていくヒントを探索するメディア〈ヨコヨコ〉。「ヨコへヨコへと、ヨコヨコと」を合言葉に、ゆったりと丁寧に文章を編んでいきたいと思います。

次回は、相談センター「みゅう」の相談員・高橋みず希さんのインタビューをお届けします。お楽しみに。

執筆・編集:大澤 健
企画:大津市障害者自立支援協議会

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