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大人になること

幼稚園の時から自然と『人付き合い』をしてた。大人をもてなすとわかりやすく喜んでもらえて嬉しい。小さいのに偉いね、お母さんに似てなんでもできるね、お父さんに似てしっかりしてるね、大人に囲まれているときはとても楽しい。子供扱いされたくないし、子供なんてずっと大嫌いだった。子供の自分が大人のように振る舞うと、それだけでみんな喜んだしよく褒められた。人の意見や流れに合わせることが普通だった。

外で振る舞うのは疲れるので、出かけるのは大嫌いだった。小学校も中学校もとにかく行きたくなかった。

誰に教わるでもなく、なんとなく常に周りの意見に合わせて動いている。基本的に外で自分の意見は言わない。友達に自分の意見を通すことは嫌われることだと思ったしそのことで気を揉むのがとにかく面倒だと思った。多数決が大好き。みんなの意見は自分の意見、それが楽だし正義だと思っていた。学校の先生の言うことを聞いて役割を果たすことが第一。いざという時に味方してくれる先生に気に入ってもらうための行動ができてしまう。自分の本心を犠牲にすることは容易かった。

私はすごく内弁慶だ。家族でいると自然なのに外に出るとなんだか構えて疲れてしまう。その反動で家族には信じられないくらい何でもかんでも言う。なんでも話すしどんなこともお構いなく意見をする。家族に気遣いなんてしなかったし喧嘩も多かった。可愛さ余ってわがままに育ててしまったなんて言われたこともあった。でも外ではとても良い子で評判が良かった。

習い事も嫌という程させてもらえて、やりたいゲームや楽しいことは手の届くところになんでも揃っていて、音楽的・芸術的なものが周りにあり、学校も好きなところに行って留学もした。友達も少なくなかったし自由に遊んで過ごした。

私は高校生くらいまで顔に腫瘍があり何度手術してもずっと取りきれずに入退院や通院を繰り返していた。全身麻酔の手術や通院は、時間的にも金銭的にもとても負担だったと思う。でも親兄弟の中で私だけが顔に傷を負っている。誰のせいでもないのはわかっていたけど自分は悲劇のヒロインに思えた。そういうこともあって皆して私をとても可愛がった。私は子供ながらにそんな空気もなんとなくわかっていたかも知れないけど、それを利用して自分の好きなように物事を動かすこともあった。

大人になると、きちんと自分の意見を言わないとやがて自分のせいになってしまうことがわかってくる。大人の皮を被った子供(悪い意味で)は大人の世界では生きていけないのだ。

兎にも角にも、自分の人生において、すべての責任は自分にあるのだ。なんでも親や人のせいにする、すぐに機嫌が悪くなる、恋人の文句を言う。思い返せば悪いのはその恋人を選んでいる自分であり、自分勝手に機嫌を損ねて人に委ねる自分自身だった。病気だって私の運命だ。親のせいではない。寄り添ってくれた親兄弟がいなければ、後遺症で五体満足で生きることは不可能だった。

私は年相応に失敗も成功もしたと思う。多少遅くなってもいい、失敗を恐れずに経験し、その産物として自分で自分を知ることの大切さは、思い返すほどに身にしみる。







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