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心の栄養も、質が大事

江戸時代の食べ物は自然でした。化学肥料や添加物などを使わず、ほぼ100%オーガニックの米や野菜を食べていました。誰でもオーガニック。貯金がゼロでもオーガニックです。海も今よりずっと綺麗でした。

例えば江戸っ子は、長屋住まいで貧乏をしていても、食べるものを食べ、出すものを出せば、喜ばれました。
「出したもの」は買い取ってもらえ、農家へ回って有機肥料になったのです。

生きているだけで人や自然の役に立てて、多少、お金までもらえる。
大自然の素晴らしい循環に、いつも参加している。
江戸の人々の自己肯定感は、現代人には想像ができないでしょう。

今、先進国では食糧が溢れ、余った物を大量に捨てたりしていますが、その一方で、食事の質が問題になっています。カロリーを摂り過ぎて太っている人でも、本当に栄養が充分で、身体が健康的に満たされているかは疑わしいのです。

同じようなことが、「心の栄養」についてもいえると思います。
人間は、炭水化物やタンパク質といった物理的、身体的な栄養だけでは生きていけません。
「心の糧」が必要です。

人から「ありがとう」とか「あなたがいてよかった」などと言われれば、心が満たされます。
もちろん、好きな人から「好き」と言われるのも、とても幸せなことだと思います。
「すごいね」と言われて、尊敬の目で見られるのも嬉しいものです。

優しい言葉や、自分を認めてくれるような反応は、心の糧になります。
そのためにすごく頑張ってしまう、という人も多いでしょう。

例えば、会社で働いていても、給料だけくれて、とても冷たい職場もあります。
そういうところで働いていると、だんだん心が痩せていくと思います。
仕事の後に飲みに行って発散したり、家族に八つ当たりしたりしないと、会社が続けられないというケースもあります。

一応、お金もあって、物理的には食べていけているのに……心が飢えてしまう。
残念な状況です。

飢えると、糧になるものを強く求めます。
褒めて欲しい、自分が必要だと言って欲しい、自分は偉いと言って欲しい……。

時々、恐ろしい人がいます。
「ウソでもいいから、褒めて欲しい」と言うのです。

例えば飲みに行った先で、優しい店員さんが、愚痴や自慢話を聴いてくれて、「お客さんすごいですねぇ。尊敬します」などと言われたら、すごく嬉しくなるでしょう。
それで思わず高いお酒を、飲み切れないほど注文してしまう、というようなことが起きます。

お互い商売と分かっているなら、まだましかもしれませんが、中には彼女や奥さんに「ウソでもいいから、褒めて欲しい」という男性がいるようです。
「本当は嫌でもいいから、笑ってて欲しい」とか、「そうしたら家庭は円満だ」とか……。
信じられない感覚、発言です。

嫌なのに笑う、面白くもないのに笑う、などというのは大変な苦痛です。
そのようなウソの円満が、長続きするはずがありません。

男性に限った話ではなく、女性も、ちょっと好意のある人やイケメンに、「素敵だね」「かわいいね」などと言われると、すぐに心を奪われてしまいがちです。
真意を確かめる余裕などありません。
結婚しても、何度も何度も「愛してる」と言い続けてくれないと、不安になる人もいると聞きます。

あるいは、ブラック企業で万年過労に苦しみ、もう嫌だと思っていても、上司に「君、頑張ってるね」と一言、褒められただけで、すぐにまた張り切って夜中まで働いてしまう、など……。
現代人は本当に、「甘い」言葉に弱いと思います。

これは、身体の栄養と同じだと気づきました。
多くの人は、甘い食べ物が好きなのです。
私も好きです。

どうも人は、飢えているときや疲れているとき、ストレスがたまっているときに、甘い物が欲しくなるようです。
とにかく早く血糖値を上げたい、とか、脳だけでも満たしたい、という欲求かもしれません。

砂糖がたくさん入ったお菓子などは、食べるとすぐにいい気分になります。
しかし、その後で急速に血糖値が下がるのです。
すると、むしろ不快になったり、パワーを失ったり、イライラしたりするといわれています。

一方、ご飯や野菜は、血糖値の上がり下がりが緩やかだといいます。
栄養が、ゆっくり、しっかり身についていくのです。

心の栄養にも、これと変わらない構造があると思います。
とにかく、ストレスがたまると「甘い言葉」や「態度」を求めてしまう。
褒められれば、別にそれほど心がこもっていなくてもいい。身になる言葉でなくてもいい。何ならば、ウソでもいい。
とにかく、褒めて欲しい、認めて欲しい。

そのようなことで、心の健康が保たれるでしょうか。
本当の「心の糧」は得られるのでしょうか。

「甘い言葉」をささやいてくる人は、相手を操ろうとしている可能性が高いのです。
喜ばせて、必要以上に高いお酒を買わせようとか、うまく褒めて、倒れるまで働かせようとか。
自分が利益を得るために他人を褒める、という人がかなり存在します。
相手のことなど、ある意味、どうでもよいのだと思います。

今、人の優しさや温もりを求めている人は多いと思います。
そんな時こそ、悪い人の「甘い」ささやきに騙されないよう気をつけましょう。

もちろん、心の栄養は欲しい。これが人間の正直な感情です。
しかし、人に褒められたり、よい言葉をかけられたりした時、本当にそれが自分の糧になっているか。たまにはじっくり考えてみたほうがよいと思います。

その場では嬉しいけれど、結局、いつも疲れたり、ストレスがたまっている……というのなら、人間関係を見直すべき時かもしれません。

今、もし少し時間があるのなら……いつもより人と距離をとれているのなら……職場の人や友人などが、お互い、本当によい影響を及ぼし合ってきたのか、考え直す好機だと思います。
仲が良いつもりでも、果たして本当に、心の糧となるような関係だったのか。

「あれ? 意外と、会わなくても平気だわ」とか、「会わないほうがむしろ楽だわ」ということも有り得ます。
「会わなくても平気」というのは、お互いもう深く理解し合っているから、会わなくても大丈夫なのか。逆に、あまりそれほど、お互い必要としていなかったのか。
いろいろとじっくり検証するのは、意味のあることだと思います。

もちろん、飢えと孤独は辛いものです。
しかし、今は辛くても、ここで心が自立し、他人の甘い言葉などに依存しない体質になれば、今後の人間関係が飛躍的に良くなると思います。

自分の心を自分で見つめ、自分で自分を大切にできる。そんな、真に自立した人間は、孤立することはありません。
自立した人同士は、ウソなどつかず、本当に我が身を養い、互いの成長を助けるようなコミュニケーションをとっていけるからです。

人は、相手を恐れたり、無理に自分のほうへ引きつけて利用しようとするから、ウソをつくのだと思います。
そのような駆け引きから解放された人生を思い描いてみましょう。
何と素晴らしく、心地よい毎日でしょう。

そんなことを想いながら、私は今日もオーガニックの粗食を食べます。

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