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素面(Sober):還暦を迎えてワインをやめた私。バッカス、さようなら。


私はワインが大好きだった。ワインはただの「気晴らし」ではなく、美味しい食事と友人たちとの会話に寄り添う、ちょっとした贅沢だった。20代の初めからそんな楽しみを味わい、いつしかそれは私の日常の一部に。特に、フランスに住む親友のステファンを訪ねる度、彼が開けてくれる特別なワインは、まるで神の贈り物のように感じた。40年近く、バッカスに導かれるように、ワインと共に優雅に過ごしてきたのだ。

でも、ある日突然、何かが変わった。もしかしたら体が変わり始めたからかもしれない。ワインが全身に染み込んで、私を重くしているような感覚があった。朝のだるさや頭痛だけではなく、心の奥にある違和感が次第に大きくなっていった。そして、ある日ふと、ワインを片手にこう思ったのだ。「もうやめたらどうだろう?次の20年は違う生き方をしてみたいな」と。

還暦を迎えて、今の私の優先事項は変わった。瞬間的な楽しみよりも、健康や長生きに目が向くようになっていた。その瞬間に、はっきりと感じた。「健康な脳と強い体、そして自立した楽しい老後が欲しい」と。これは罪悪感からの決断ではなく、ただ単に体が静かに変化を求めていることを感じ取っただけ。それで私は決めた。ワインをやめよう、と。

ワインをやめる決断は簡単ではなかった。でも、その理由は明確だ。ワイン、つまりアルコールは長い間、洗練された贅沢として美化されてきた。確かに、ピノノアールの一口は、高級な泡のお風呂に浸かっているような心地よさをもたらしてくれる。でも、年齢を重ねると、アルコールが体に与える影響が大きくなることもわかってきた。そして、その影響は決して優しいものではない。適度な飲酒でさえ、認知機能の低下を引き起こすという研究結果がある。短期的には会話を盛り上げる一杯のワインが、何十年も続くと、その会話の内容を忘れさせる原因になるかもしれない。

実際、アルコール摂取が記憶力低下や肝臓障害、癌のリスク増加に繋がるという研究は数多く発表されている。『ランセット』のような権威ある医学誌でも、飲酒量が増えるごとに健康リスクは飛躍的に高まると報告されている。適度な飲酒でさえも、完全に安全とは言えないのだ。

けれど、私がワインをやめる一番の理由は、もっと個人的なもの。次の人生の章を、ただ漠然と過ごすのではなく、輝かせたいという思いからだ。ワインに包まれたぼんやりとした未来ではなく、鮮やかでクリアな未来を描きたい。頭が冴え、体が元気で、毎日を活力に満ちた状態で迎えたい。朝、目覚めた時に、だるさではなくエネルギーを感じたいのだ。

私には大切なメンターがいる。ハワイに住む80歳を超えた日本人の漢方医だ。彼は今も現役で、ハワイの海で泳ぎ、薬草を探し、それをもとに患者を癒している。彼は一切お酒を飲まず、素面で充実した人生を謳歌している。彼の生き方を見ていると、アルコールを摂らないことで、年齢に関係なく心身が元気でいられることを実感する。私の周りで素敵に年を重ねている人たちは、どうもお酒を飲まないようだ。

そして私は、最後の一杯をゆっくり味わいながら、ワインとの別れを告げた。不思議と後悔はなく、むしろ安らぎが広がった。その後、私の体は確実に変わった。眠りが深くなり、思考もクリアに。そして、驚くべきことに、以前よりも幸せを感じるようになった。何よりも、ワインが思ったほど恋しくないことに驚いている。まるで小さな奇跡のように。

確かに、フランスを訪れる際にはワインなしの風景が少し寂しいかもしれない。でも、友人たちとの楽しい会話や、美味しい食事は、ワインなしでも十分に素晴らしいものだと気づいている。今では、炭酸水の美味しさにも感謝している。

これからの20年を、頭も体もクリアに、そして健康に楽しんでいこうと思う。

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