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私の多様性の起源

いつ頃からか「多様性」という言葉を日常でよく耳にするようになった。
「みんなちがってみんないい」という命題のもと、個性を尊重し人それぞれみんながみんな生きたいように自分らしく生きていく。当たり前のようで当たり前でなかったことが徐々に当たり前になっていった。
例えば2015年に渋谷区が同性婚を認め証明書を交付するようになったのが最たる例だろう。
また、集団に属さず個人として活動していく人が増えていったり企業に属しても転職を繰り返しキャリアアップしていく者も増えていき、今まで日本社会に根付いてきた「終身雇用」という言葉はもはや死語となっている。まさに自分の思うがままに動くようになりそれを他者に咎められるものではないという認識がみんなに根付いてきたということなのでしょう。
YouTuberなんかもこの良い例でしょうか。
今はみんな事務所に入りマネジャー、カメラマンがいたりしていますが、YouTuberが出てきた当初は自分で三脚にカメラを設置し、録画ボタンを押し、撮影し、編集、この一連の流れを全て一人でやっていましたよね。これが仕事になる。一昔前なら考えられなかったことでしょう。1人で働くなんて。
僕自身ももちろん多様性とは大事なことであると考えています。自分が自分らしく生きることの大切さ、素敵さをよく知っています。なので自分自身の人生はもちろん、他人に対しても多様性という概念に則り否定することは一切ありませんし、その人が本当にやりたいことなのであれば良いじゃん。と心から思っています。
多様性が身近になった今社会的マイノリティだった人は凄く生きやすくなったのでは無いのかなと思います。もちろんその程度は分かりませんし今も生きづらさを感じている方も多数いらっしゃる事だとは存じますが。
ですがやはり多様性が当たり前になり行きやすくなった人は増えたかなと思います。
多様性とは素晴らしいものであり多様性を尊重することは凄く暖かいものに感じます。
しかし何事も難しいもので(というか僕が小難しいことを考えすぎているだけでしょうが)多様性というものもその定義が凄く難しいように感じます。
多様性を大事にするということは少し言い換えるとどんなタイプの人も受け入れるということでしょう。
では、多様性を重んじない人に対してはどうすれば良いでしょうか?同性婚なんておかしい!!!!と言っている人は淘汰してしまって良いのでしょうか?でもどんな人も受け入れることが多様性なんですよね。では多様性がない人も受け入れなければならないのですよね。
多様性がないというのもその人のひとつの個性ですよね。尊重されるべきですよね。まぁ人を傷つける個性や意見はダメですが。。
他人の個性を受け入れず自分のイデオロギーのみで行動する人も沢山います。そういった人達とどう接するか。凄く難しいですね。線引きとしてはやはり今も言ったように人を傷つけるものか否かって所かなと思います。頭が固い人はだめだ。もっと時代の変化について行かないと。と頭が固い人を多様性という名の元頭が固い考えで否定するのは良くないですよね。うん、難しい。
あと最近よくいるのは自分自身に対しては多様性がすごくあって柔軟に物事を考えていて色々な選択肢を持っている人でも他人が自分の中にあるいくつかの選択肢とは異なった選択を言ってきた時に尊重することが出来ない人。
一見頭も柔らかくて固定概念に縛られていない人に見えるけど固定概念に縛られないことが唯一正しいこと。という固定概念には縛られている人。今回のテーマに言い換えると多様性がとても重要な事という固定概念に縛られていて多様性がない人。うん、これまた難しいですね。堂々巡りになる感じですね。
ここでようやく今回の記事のタイトルにもなっている私の多様性の起源というメインテーマに触れていきます。このように多様性とは何かというのがとても難しいので私自身の多様性とは何かについて考えてみたのですが僕は多様性という言葉に逃げているんですよね。考えることをある種放棄しているんですよ。
例えば先ほど例として挙げた同性婚が認められた。という多様性も僕は人それぞれでいいじゃん!と言いますがもちろん本当にそう思ってはいますが実は心の底では本当にそれがいいことなのかを分かっていないのです。でもそれ(同性婚が認められる事)が悪い事なのかもわからない。ならば人が喜ぶ方を選択する方が幸せなんじゃないかなと言う考えから、いいじゃん。というだけで。物事の善悪を決め付けられるほど自分の知識にも見解にも自信がないから「多様性」というプラスのイメージを持った便利な言葉に逃げるのです。
本当はちゃんとした根拠を持って物事の善し悪しを述べたいのですが今日常にこんなにも便利な言葉が現れたことによって善し悪しを考えることを辞めてしまったのです。もちろん心の底からみんなちがってみんないいとは思っていますが、では逆に何故みんなと一緒じゃなきゃダメだ。という考えはダメなのかを説明しろと言われても自分の固定概念で偏見にまみれた説明しか出来ません。それでは議論になりませんからね。確固たる根拠と信念をもってこちらの方が良い。と言えないから多様性に逃げる。
どうでしょうか。何を言ってるんだ?頭がおかしくなりそうだな。と思われたかも知れません。僕も今この文章を書いていてなんだか自分の立場はどっちだっけと分からなくなりそうになってます。
でもいいのです。良いと思う立場の人、悪いと思う立場の人、中立の立場の人。それぞれがそれぞれの正義を持っていて良いのです。人を傷つけることさえしなければね。唯一確固たる自信を持ってこれだけは言えるかなと。それ以外のことはよく分からないから多様性という言葉を使って逃げています。
恐らく結局お前は何が言いたいんだ?と思われてると思いますが僕が何を言いたいかはどうでも良くて皆さんは何が言いたいですか?自分が言いたいことはなにかを明確に分かっていればそれだけで十分だと思います。どんな意見でも。
「みんなちがってみんないい」ですからね。

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