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住人からお客さんへ

いやはやまさか更新が1ヶ月も空くとは自分でも思っていませんでした。笑
最近は種まきを重点的にやっています。(もちろん、本当の意味での種まきでは無いですよ😮‍💨)
来月はイベント事が沢山あってそれを存分に楽しむためにもある程度今月は来月分まで頑張りたいと思って毎日過ごしています🤔


まぁそんなことはどうでも良くて今回のテーマはタイトルにもある通り「住人からお客様へ」です。
僕は今から3年前の2019年春に19年間生まれ育った関西から大学進学を機に上京しました。その時は家がもうひとつ増える、帰るべき場所がもうひとつ増える、居場所がもう1つ増えるという感覚でいました。
しかし、夏に初めて帰省した際に凄く違和感がありました。この違和感の正体は一体何なのだろうというモヤモヤを残したまま帰省期間を終え帰京。そしてその年の冬に再度帰省した際にようやくあの違和感の正体が分かりました。それを端的に言うと「特別扱い」です。
例えば今までなら、お昼頃までダラダラ寝て過ごしていると起きなさいと注意を受けたり、いい歳なんだからお手伝いくらいしなさいと言われたり(実際にしたことないけど……)等自分のその家に住む住人であることにより発生する義務のようなものがそこには存在していました。
しかし、帰省した際はどんなに遅くまで寝ていても怒られません。お手伝いをしろとも言われません。
そうです、僕にあった義務というものが無くなっていたのです。義務が無くなったということはそれはすなわち僕はそこの住人では無くなったということです。お客さんになったということです。
「特別扱い」が自分が「特別」な存在である(=お客さん)ということを結論づけ、本来居る人ではないということを知らしめるのです。もちろんこれは誰が何が良い悪いの話でなく僕次第の話ですし、僕自身このことに関してなにか喜怒哀楽のいずれかの感情を抱いている訳ではありません。単純に面白いなと思いました。
これなにかに似ているなぁと思っていたのですが
以前障害を持っている方とお話した際にその人は「特別扱い」されることが1番嫌だと言っていました。しかも他人はそれを良かれと思ってやってくれていることも十二分に理解しているから、他人からの恩に対して嫌悪感を抱いている自分自身に嫌悪感を抱き始めてしまいよりいっそう辛いと。「特別扱い」されることで自分はみんなと一緒ではない、「特別扱い」がなければみんなと同じ土俵にも上がれないというレッテルを貼られているような気がしてしまう。と仰っていました。それを聞いた時は今までの自分にはなかった考えだったのでとても新鮮で考えさせられる内容でしたね。
このケースとは違い僕のケースはなにか嫌悪感を抱く様なものではありませんが似ているものはあるのだろうと思います。全く違う事象にも共通している事があるんですよね。こうして人間は同じ経験はしていなくとも似ている経験から相手の気持ちを理解し共存して行くんですよね。すみませんスケールが大きすぎました😊
話を戻しますが、ひとつ確実に言えるのは実家がなくなって訳ではありません。帰るべき場所がひとつ無くなったわけではありません。居場所がひとつ無くなったわけではありません。
ただ、帰るべき場所というものが今までなら常時存在していたけれども、今は特別な時にしか存在しなくなったということです。そういう意味では帰るべき場所という存在の定義から逸脱していないのか少し不安ですが僕にはこのように感じられました。実家が落ち着かない場所と化している要因もこれなんだろうなと思います。
これから僕は将来国内外様々なところに住んでみたいと考えいます。しかしそれは常時存在する居場所が増えるのではなく特別な時に存在する居場所が増えるだけなんだなと。まぁ、故郷から東京へ。と、東京から他のどこかへ。ではまたその性質も変わってくるのかもしれませんが。
19年間生まれ育った家を出るということはその家における自分の役割をも変えることなんだなぁなんていつも帰省するたびに思っています。当たり前のことですが。
こんなことも考えるきっかけになる上京は人生でも指折りのやって良かったことの一つですね。
皆さんには居場所がいくつありますか。そしてそれは常時ありますか。
また、「特別扱い」をされたことはありますか。そしてそれをどのように感じましたか。

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