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【自分は自分でいていいんだ】「安心感」のある学校

「ミライをツクル学校」を作る🏫

その学校で一番出したい雰囲気

それが「安心感」です。

心理的安全→安心感
安心できる環境に身を置いている時、人は最もいいパフォーマンスができると何かで見たことがあります。
これは大人のコミュニティでも当てはまるように思います。子どもなら尚更ですよね。

安心感。具体的に言えば、
「自分は自分でいていいんだ」
という気持ち。
これをどんな子にも抱いてほしい。
それが私の願いです!

各地のオルタナティブスクール(公立でも私立でもない、第3の選択肢としての学校)に伺って、たくさんの子どもたちの姿を見ていると、どこの子も共通して「自然に自分らしく過ごしている」という印象を持ちました。
自分を押し殺して黙っていたり、虚勢を張って人を傷つけたりする子は、どこの学校に行ってもいません。もちろん、必要以上にいい子でいようとする子もいないので、基本どこもわーわーしてましたが笑

オルタナティブスクールでは、公立の小学校のような時間割で動いていることは、ほとんどありません。ゆとりのある時間が流れる中で、たくさんの子が「自分」を目一杯表現できるのだと思いました。

そのような環境では、自分の価値を何かしらの物差しで測ること自体、する必要がないんです。


勉強ができない僕はバカだ
友達が少ない私は寂しい人間だ

あげくには、
このクラスに自分の居場所はない
学校に自分みたいな人がいていいのか

残念ながら、こんな思いを持って日々学校と向き合っている子がたくさんいます。現場にいると、このような言葉を口にする子は少なくありません。

ふざけるな。

どんな「あなた」にだって、絶対に価値がある。
「あなた」は「あなた」でいるだけで尊いんだ。
人には必ず誰にだって得意と不得意がある。
どんな人だって同じなんだ。

それを国語や算数の出来という、数ある力の一つで人の能力のほとんどを評価してしまう。
友達の多い少ないで、その子の人間性を評価してしまう。

子どもにそんな残念な感情を抱かせているのは、もとを辿れば、100%大人だ。子どもたちは、元からそんな物差しで人を比べちゃいない。もちろん大人だって、勉強できない子をバカだと言ってしまう人ばかりではない。しかし、テストの点が低ければ、責め立てたり、挙句に罰したりする人は、一定数いる。

考えてみてほしい。
足の遅い子に同じことをしますか?
速く走れるようになるまで、いつまでも走らせ続けますか?
歌うと音痴な子に同じことをしますか?
人並みに歌えるないと、罰を与えますか?
絵のセンスがない子に同じことをしますか?
ちゃんと描けないと「お前はダメだ」と責めますか?

足の遅い子や、歌や絵が苦手な子は、バカなんでしょうか?
そうじゃないというなら、国語や算数なんかできなくたって、その子がバカなわけない。

友達の多さだって、どうだっていい。
たまたま気が合う子がクラスにたくさんいれば、友達はたくさんになる。
今、気が合う子がいない、どんなに個性的な子だって、大人になれば気が合う人なんていくらでも見つかる。

性格なんて、明るくたって暗くたっていい。
真面目だってやんちゃだっていい。

それなのに、自分の性格を憂いて、自己否定する子がたくさんいる。
なぜか。
大人が、より良い?方向に変えたがるんです。(そもそも、何がより良い性格なのかって答えなくない?)
「そんなんじゃ、将来困るから」とか言って。

大丈夫だよ。どんな子も、自分を出せる環境であれば、その子なりにちゃんと成長するから。
何も心配いらない。

それもこれも、大人なんです。
「ふざけるな」は、自分を含めた大人への戒めです

だから思う。

子どもたち、ごめん。


世の中が、もっとありのままの子どもを受け入れられるようになってほしい。

そうすれば、どんな場所でも、お互いの違いを面白がり、認め合える、「安心感」のある環境になるから。

どんな子でも安心して学校に通える社会を作るために…
かずきち、動きます。
安心感のある学校「ミライをツクル学校」を作ります!!

誰もが「自分を生き切る」世の中に!
まずは自分が生き切ろう!!

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