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「今、だんだんとあの時代に似てきている。」

これは、昨年亡くなられた瀬戸内寂聴さんが、美輪明宏さんとの対談の中で語られた言葉です。2015年のことでした。

今、だんだんとあの時代に似てきている。このままいくと「あの作家に書かせるな」とか「こういうことを書け」とかいう世の中になると思う。私は本当に怖い。

中略

命をかけて戦争に反対しなければ。

徳島新聞電子版

詳しい内容はこちらから。

この(下)で語られるのは文化と戦争について

(上)では、二人の出会い、寂聴さんの作品、お二人の心のありようについて語られていて、どのお話も興味深い内容です。


7年の時を経てわたしの元に届いたメッセージ


皆さんもご存知の通り、瀬戸内寂聴さんは昨年11月にこの世を去りました。
ご冥福を心からお祈りするとともに、寂聴さんが残した偉大すぎる功績に触れる度に、人の命(そして魂)が永遠であることを思い返しています。

7年の時を経てこの瀬戸内寂聴さんと美輪明宏さんの対談の内容がわたしに届いたのは何故だろう。

そんなことを考えながら、今日はそのメッセージが届いた不思議な経緯から、それによって私に起こった変化やわたしからの提案まで・・・徒然に書いてみます。

現在の日本に危機感を感じている全ての方へ向けて書きます。

最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

言語化することが難しいことやモヤモヤは、一度誰かの前で言葉に出してみる


先日、いつもお世話になっている方が「紹介したい人がいる」とお誘いがありました。その方とわたしの共通点は「ベジタリアンで猫を飼っている」とのこと。それを聞いて以来、お会いできる日をずっと楽しみにしていました。^^

わたしの家の近くまで来てくださるとのことだったので、お気に入りのベジレストランにお誘いしました。

その女性とは、話せば話すほど共通点がたくさん出てくる出てくる。
同年代でクアラルンプールに来た時期もほぼ同じ。共通の知人もどうやらたくさんいるらしく、初めて会ったとは思えない不思議な出会いでした。

わたしたちを繋いでくれた方は、わたしのメンターとも言える存在で、この数年お付き合いがありましたが、特にこの数ヶ月はどっぷり深いお付き合いをさせていただいてきた大先輩。そんな方がピピピっと来て紹介してくれたからこそ、こういう化学反応が起きたのではないか、これもすごく深い縁なのだ、そんな風に思いました。

三人でお食事しながらいろいろなお話をしました。

後半は、世界情勢やロシアとウクライナの戦争の話題に。

ふとその女性が、美輪明宏さんの話を始めて、思わず聞き入ってしまいました。
その話の中でわたしが一番印象に残ったのがこの言葉。

「今、だんだんとあの時代に似てきている。」

その言葉を頼りに検索してみました。

実際にその言葉を発していたのは、美輪明宏さんの対談相手の瀬戸内寂聴さんでした。

ただ、この対談記事を読んでみると、その言葉を引き出すことが出来たのは美輪明宏さんだったからこそなのかも、と思いました。

このような不思議な出会いを通して、7年も前に書かれたこの冒頭で紹介した記事に辿り着いたのです。

この対談記事を読んだ時、まるでわたしの言いたいことを寂聴さんが代弁してくれているような、強い感情が湧き上がりました。

わたしのような一般人が言葉にして発するのは躊躇われるような、間違えると批判される原因を作りかねないような鋭い言葉も、寂聴さんが発すると共感を持って多くの人の心に届く気がするのです。

現代の日本は、あの当時の大本営に情報統制されていた頃とそっくり

第二次世界大戦の戦況が悪化していた頃には、恐ろしいことに「一億総玉砕」をスローガンに、子供達に竹槍を持たせて「鬼畜米英」を自らの手で撃ち落とせよと教えていました。多くの若者が特攻隊員として徴兵され命を落としました。勝てるはずのない戦いに国民を巻き込んだ戦争指導者たちの狂気が、失われなくてもよかったはずの数百万の命を奪ったのです。

そして戦後、平和が訪れて全てが元通りになった訳ではなく、その時に深い深い傷を負いながらも必死で生き延びた人々が、次世代に命をつなぎながらもその癒えることのない傷が故に残すことになった哀しい負の影響は枚挙に遑がありません。

そう、今もその戦争は続いているのです。

あなたの周囲を見廻してみたら、現代も似たようなことが起きていませんか?

政府や医療機関を信じて疑わず、いいなりになって大変な目に遭っている人、あなたの身近にいませんか?

いないという方は、続きを読む必要はないと思います。私にはいるので、なんとかしたいという一心で書いています。

わたしたちが直面しているこの大変な状況を変えれられる唯一の方法

7年の時を越えて、寂聴さんと美輪さんから私の元にメッセージが届いた気がしています。

「今、だんだんとあの時代に似てきている。」

瀬戸内寂聴さん

責任が重いのは選挙民。
(選挙の結果次第で)あなた自身、あなたの家族がひどい目に遭う。

美輪明宏さん

私たち一人一人が「自分ごと」として関わらない限り、残念ながら何事も変わって行かないのです。

今わたしたちに必要なことは

歴史がまた繰り返されようとしていることに気づくこと

そして

今目の前で起きていることを「自分ごと」として受け止めること

それから

選挙で本当に国民のために働いてくれる人を選ぶこと/もしくは自分でその立場を選ぶこと

これに尽きるのです。

ただ、政治家になろうという人はほんの一握りだと思います。そういう家系に生まれたとか、資金力があるとか、そもそも政治家としての本来の仕事をする目的で政治の道を志すわけではない人も多くいるのが現状ですよね。

だからこそ、そういったバックグラウンドがない人がその道を選んだ時、必要なサポートをする、全力で応援する、ことくらいしかわたしたちに出来ることは無いのでは無いか、と。

その為には、選挙の動向を注視して、名乗りを上げる人のことをまず知ることから始めないといけません。

これ、意外に言うほど簡単なことじゃないです。

日々仕事や家事に追われつつ、人生を謳歌しようと暮らしている人にとって、国政の候補者について知るために時間を費やすのは、優先順位が下がってしまってもおかしくありません。

でもね、毎日食べたり歯を磨いたりすることと同じくらい、誰に政治を任せるかを考えることは大切なんじゃないか、と最近は特にそう感じています。

人間とは愚かな生き物

お金や権力を掴むと、人は判断力をいとも簡単に失います。自分より、より多くの富や名声を持つ人に対して盲信したり、逆にひどい嫉妬心を持ってしまうこともあります。それは歴史が証明しています。

どれだけ澄んだ目でこの国の置かれた状況を見つめることが出来るか、この国のために国民のために労力を厭わず献身的に働くことができるか、自分ごととして弱い者の立場に立ってその人々の権利のために戦うことができるか、それが政治家に課された使命のはず。

そんな政治家候補に出会ったなら、彼/彼女が心が折れないように応援したいと、わたしは思います。

これまで12年間やってきた通訳という仕事柄、何人もの政治家に直接お会いしましたが、正直言って自分の想いを託して応援したいと思える人に出会ったことはまだありません。

メディア上でファンになって、仕事を通してお会いできるのを心から楽しみにしていた方数名ですら、実際にお会いしたら落胆したという苦い経験もあります。

人間とは、そもそも愚かで完璧ではない生き物なのです。

政治家を志す人にありがちな大きな自尊心(エゴともいう)や外的要因で失われてしまった判断力で、人は簡単に間違いを犯します。そういう人たちにこの状況を任せてしまっていいのかどうか。

そういうことに、国民一人一人が自分ごとして向き合いなんとかしなければいけない瀬戸際なんです。この夏の参院選で、この国の行く末は決まってしまうかもしれない状況で、わたしたち一人一人の選ぶ行動で未来が決まるのです。

徒然に危機感を書きなぐってしまいましたが、あなたはどう思いますか。

お気軽にメッセージください。どんなご意見もお待ちしております。

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