【世界の向こう側でやりたいことは 家の中にあった】どうやって「これだ」を見つけるんだろう
私は小さなチョコレートをやってます。
これが、「チョコレートを作ってる」も「チョコレートを手掛けてる」もしっくりこない。「チョコレート メーカー」も「チョコレート ブランド」とも違うし、やっぱり冒頭のようなのがいいな。
なんでこんなことをやろうと思ったのか、書いてみようと思います。
1. 島そだち─地球一周
私は淡路島に生まれました。電車も通ってないような小さな島なので、とにかく広い世界に出たいという気持ちが強かった。
神奈川の大学に決まったので、高校を卒業して 島を出ました。
その後、日本から出たくなって フランスに移り住みます。
初めて海外に出た経験は、学生の頃に参加した地球一周のクルーズ。 その団体では世界一周ではなく「地球一周」という表現だった。ここでの経験が私の人生を大きく変えることに。
東京の晴海埠頭を出て、石垣島、香港、ベトナム、シンガポール、スリランカ。ケニア、ジブチ、スエズ運河を通ってエジプト、チュニジア。ギリシャ、シチリア島(イタリア)、ポルトガル。大西洋を渡ってジャマイカ、パナマ運河を通って、パナマ、グアテマラ、NY、ハワイ、晴海埠頭に戻る17寄港地を巡る船旅だった(あれ、どっか忘れてるっぽい→シンガポールが抜けてたので、加筆しました)。
この中で、特に衝撃を受けたのがアフリカだった。ケニアのモンバサ港に降り立ち、村に向かうバスから見た景色が忘れられない。
真っ青な空。濃い緑のヤシの木ばやし。降り注ぐ強い太陽。全てが色濃くって、それだけで心奪われた。
この後、村で現地の人たちと交流し、小屋で一泊して帰るという極短い滞在。
だけどその交流が、今までアフリカ心を持ち続けることになろうとは。
2. カケラは家の中に
高校生の頃に、テレビで見た 確かアジアの村で井戸を掘るシーン。それが目に焼き付き、そこから発展途上国の活動に憧れるようになった。
実際に日本を出るまでは、どこの国に魅かれるというのが特になかったのだけど、クルーズで訪れたアフリカで、心はアフリカに決まった。そこから、どうすれば現地で働けるのか、帰国してからはいろんな所に出向いた。
いくつかアフリカで活動している国際協力団体の活動報告会などに出向き、その中からマリで活動してる団体(CARA カラ= 西アフリカ農村自立協力会)に出会った。
大学の卒業旅行のタイミングで、活動の様子を現地に見学しに行った。電気も水道もない村で寝泊りして、村の子どもたちとマンゴーを採りに行った。20日間の旅。
そこで、村の人たちの屈託のない明るさに、自分の田舎のようなあたたかさを感じ、すっかり魅了された。
後に、コートジボワールのカカオ農園で子どもたちがマリなど周辺国から奴隷のように連れて来られ、働かされているという問題を知ることになる。
3. 振り返ることでしか分からない
今思うと、何がきっかけになるかは未知数。自分の子どもには「動画はあまり見ないで」って思うけど、結局自分は、テレビで見たちょっとした映像が頭に焼き付いて、そこから世界が広がって行った。
自分や家族の周りは、良質の刺激に触れられうような環境にしたいな。どうするかな。
あと思うのは、クルーズからの帰国後、心の熱いうちに動いて良かった。「本は買った帰りにカフェで読むのが一番!」と聞いたこがあるけど、まさにそんな感じ。
動いた先での出会いが、その後の決断に大きく関わって行った。
動くことだなぁ。
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