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「行きたい気分じゃない」って言いたかった。

連休明け。
久々の小学校登校。

「学校、行きたい気分じゃない」
と次女。

そりゃそうよね。
正直、私も会社に行きたい気分ではない。

同じ気持ちだよーと伝えてみたのだが
気分は変わらないらしく、泣き始めた。

正直、行かなくてもいいんじゃないかと思ったので、強引に「行こうよ」とは言えず。

たかが小学校。
別に一日休んだからって、何の支障もない。
支障があるのは、おそらく仕事がある私と夫だけ。

結局私が学校まで行き、
「ムリだったり具合悪かったら、先生に言ってね」
とよく分からないことを言って、なんとか校舎に入ってもらった。
(結局行かせるんかい)

学校って、何なんだろう。

連休中、なんでもやってみる母さんがおすすめしていた本を読んでみた。

日本からマレーシアに移住した著者の話。

マレーシアでは、学校を転校するのはめずらしいことではないらしい。

「ハッピーじゃないから」
という理由で転校するケースも多く、それに対して周りは「いいね!」と肯定的らしい。
いいなあ、そんな環境。

まあ今回の場合は、
「行きたい気分じゃない」
と言っただけで、転校云々の話とは違うのだけど。

でもせめて、
「行きたい気分じゃない」
と、子どもが素直に言える環境でありたいなと。



私自身、中学校に行きたくなかった。
仲の良い友だちもいないし、とにかくつまらなさったから。

でも、
「行きたくない」
と言ったら母親に怒られると思い、我慢しながら通って結局皆勤賞。

どんだけ真面目なんだろうか。
ね、そんなヤツもいるんですよ。

もしかしたら、実際にそれを口にしてみたら
「そうなんだね、行かなくていいよ」
と言われたのかもしれない。

それは分からない。
でも、少なくとも
「行きたくないんだよね」
とポロッと言えない環境というか、関係性だった。

いや、こう書くと母が悪いみたいだな。
うーん、私の性格もあるのかもしれないな。




だから、次女が
「行きたい気分じゃない」
と言っていて、正直ちょっとホッとした。
「よかった、言ってくれるんだ」と。



たまたま行きたい気分じゃなかったのかもしれないし、
これからも、そんな気分になるのかもしれない。

でも、せめて
「そうだよね、行きたくないよね」
と寄り添いたいし、否定はしたくないなと。

先ほどの本にも、
著者は日本からマレーシアに移住したことで、「寛容さ」を持てた、と書いてあった。



寛容であること、大事だよねぇ。

<あとがき>
私自身、学校が楽しかった記憶があまりないので、行きたくない気持ちは分かるのです。
本にも書いてあったんですが、もはや日本の教育=我慢を覚える場所、みたいになっていると。うーん、それってどうなんだろう。
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