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つるむではなく関わる?「ぼやいて、聞いて。」を読んで

ナイツ塙のエッセイ本。

美容院で雑誌「ダヴィンチ」を読んで、この本の存在を知りました。
「塙の本!面白そう!」と軽い気持ちで読み始めたのですが…
共感できる部分が多く、一気に読んでしまいました。

✅割り勘でいられる関係性

僕は「割り勘でいられる」という関係性が好きです。
そこには互いに平等な状態で関わり合える、という秘められた契約があります。
「今夜は奢るので付き合ってください」という態度、すなわち「割り勘でいられない」という関係性には据わりの悪さしか感じられません。

ぼやいて、聞いて。

そうか、私がいつも違和感を感じていたのは、これだったんだなーと。
割り勘でいられない関係性、明らかな上下関係があるのが苦手だったのか、と。

でも…社会人のお付き合いとしては必要なんですかね?

あと平等関連でもう1つ!

「うちの嫁」って言い方も好きじゃないです。
そういう人って「よき旦那」のイメージを醸し出そうとしているのかもしれないけど、実際的には亭主関白になってる自分を自覚できてない。所有物のように語っちゃってる。
こういう言葉が交わされている現場に居合わせていると、居心地が悪くなります。

ぼやいて、聞いて。

全文同意です。
「うちの嫁が」って言ってるのを聴いた瞬間、心のシャッターを速攻閉めます。
閉店ガラガラ、です。
楽しく話していても、相手からそのワードが出ると、一気に引いてしまいます。

なぜそんなにも違和感を感じるのか?と常々思ってたんですが、
誰かのことを、自分の所有物のように思う感覚
に、私は違和感を感じているんだな、と。
これが知れただけでも、この本を読んだ意味があったなと思ってます。

✅「つるむ」ではなく「関わる」

人数が多すぎると「ちゃんと関われない」というジレンマが発生します。
僕は他者と、できるだけ正面から関わりたい。規模の組織で言うと15人くらいがちょうどよく、「ちゃんと関われる」人数なんじゃないかなというのが今のところの実感です。
逆に言えば大人数でつるんでいるだけの状態ってほとんど正常に他者と関われていないし、そこから何の糧も得られないのではないか、とも思うのです。

ぼやいて、聞いて。

さらに、関わることについて。 

「100人の場所=つるむ」でもなく、「○人の場所=孤立」でもなく、その中間に位置する小さな集団を作って、そこで初めて人と関わるのが趣味なんだろうな。

なるほどー。
私は少人数を好んで関わるタイプなので、大人数でつるむことはないのですが、大人数でも関われる人は関われるんですかね?
学生時代、飲み会に誘われても、人数が7人以上のものは苦手でした。
6人までが関われる限度かなーと思っていたし、今もそう思ってます。

✅締切に身を置くことで得られる「精神力」

「締切がある」という状態に身をおくことが、ひらめきの頻度を上げるためのコツなのだと思います。
そんな日常を過ごしていると言葉と言葉が自然に繋がっていって、ひらめいて、ネタへと繋がっていきます。
締切に身を置く、ということによって得ているものは、技術力ではなく、精神力に近いものです。

これは仕事についての話ですが
noteを書いてる私たちにも、通ずるところがあるなーと。
やっぱり締切、大事ですね。
noteの毎日投稿で、おのずと精神力も鍛えられているのかも?と気づきました。

おわりに

喋る。それはすなわち、伝えるということです。
聞く。それはすなわち、身を捧げるということです。
その両立を果たすことで、僕は「他者に関わっている」という実感を得ています。(中略)
喋った分だけ聞いて、聞いた分だけ喋って、調律をしていきたい。
誰かと余計につるまずに、でも関わることは大切にしながら、生きています。

このバランス感が、絶妙でいいなーと。
またnoteに当てはめてしまうんですが笑、
noteの記事を書いて、書いたら他の方の記事も読んで、バランスよく関わっていきたい。
それが、私にとっては心地よい関係性だなーと改めて感じた本でした。

さすがは漫才師、読みながら吹き出してしまう箇所もあり、真面目な哲学もあり、でオススメしたい一冊。
興味ある方、ぜひ読んでみてください!
ではでは。

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