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手間暇は、自由だ。

手間暇かけて育てたアーモンドを使用しています

パンに塗るアーモンドペーストに、こう記載されていた。

これを見て、思ったこと。

そうか。
手間暇かけて」育てたことは、アピールポイントになるのか、と。

え、なるのか?
そうなのか?

ふと、頭に浮かんだ勝間さんの言葉。

労働時間は投入量であって、成果物ではない。

「勝間式生き方の知見」より

この労働時間=手間暇、なんだろうか?

いや、違う?
手間暇って、「投入量+愛情」 みたいなイメージがないだろうか?

たとえば、お母さんが
手間暇かけて作ったハンバーグ」のように。
これについては、後述したい。(←って言ってみたかった笑)

で、手間暇。
対「生き物」は、ある程度の手間暇かけることが必要なのかも?と思う。

たとえば、切り花。
これを家に飾るとする。

花瓶を洗って。
水を入れ替えて。
場合によっては、栄養剤を入れて。

それからそれから。
枯れた箇所を、手で取って。
茎の吸口(?)を、ハサミで切って。
バランスを整えて、やっと完成。

正直、手間。
だから、余裕のある時しかできない。
実際、ここ何ヶ月も我が家に花は飾られていない。

でも
この手間暇の工程が楽しいし、手間暇かけた結果、花が長持ちするとうれしい。

何より、花が家にあると癒やされる。
だから、私が花が好き。(え、何の話)

******

ちょっと脱線しましたが…

そもそも、手間暇ってなに?

時間をかけ、労力・技能も十分に費やし、丹念に制作・作成する、という様子を表現する言い回し。
「手間」は労力、「ひま」は時間を指すと捉えられる。
「手間ひま」の語は、国語辞書などでは「手間隙」の字で表記される場合が多い。 もっとも「隙」も「暇」もほぼ同義であり、「手間暇」の表記が併記されてある場合も少なくない。

出典Weblio

労力と時間。
それはまさに「労働時間」ではないだろうか?
そして、愛情とかは関係ないのね。

先程書いた「手間暇かけたハンバーグ

私は作らない。
手間暇かけることに、喜びを感じないから。
ハンバーグは、たまに外で食べればいい、というのが私の持論。

決して、手間暇かけてハンバーグを作る人を否定しているわけではない。
実際に、誰かが手間暇かけて作ってくれたそれを食べるのは好き。

つまり、何が言いたいかというと。

手間暇かけたい人は、かけたらいい。
手間暇かけたくない人は、かけなくて良い方法を模索したらよい。
ただ、それだけのこと。


そう。
手間暇は、自由だ。

〈あとがき〉
だから「手間暇かけたんだから」という、手間暇の押し付け(?)はしたくないなと思います。
「手間暇かけて作ったハンバーグなんだから、残さず食べてよね(圧)」みたいなイメージ。
手間暇は自由なんで、そこを押し付けることはしたくないなーと。知らんけど。
今日もありがとうございました。

▼労働時間は投入量であって、成果物ではない。


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